第三章

12,不機嫌なハンナ

「……」

「おい」

「……」

「おい、しっかりしろ」

「はっ!?」


 肩を揺すられて我に返った。

 いつの間にか魔王が隣に立っていたが、いつものように驚く気力はおれにはなかった。


「あ、ああ、なんだ? どうかしたか?」

「いや、どうしたも何も……お前こそどうした? ギャンブルで有り金全部溶かしたみたいな顔になっていたが……?」

「ははは、そりゃどんな顔だよ。おれは別に何ともないぞ。いつも通りだ。気にしすぎじゃないか?」

「そうか? ならいいが……」

「ところで、ここはどこでおれは誰で今日は何日だっけ????」

「お前ホントに大丈夫か!?」


 気がつくと一夜明けて朝になっていた。

 ついさっき我に返るまで、おれには昨日からの記憶が本当にないのだが……どうやら自動的に風呂に入って歯を磨いてベッドで眠ったらしい。


 で、いつもの時間に起きて部屋を出たところで魔王とばったり鉢合わせたようだ。


 ……はて。

 おれはどうして昨日からの記憶がないのだろう……?

 何か、とても恐ろしいことがあったような気がするのだが……うーん、何だったかな。何か思い出そうとすると頭痛が……。


「どうした? 頭でも痛いのか?」

「ああ、なんか昨日の夜のことを思い出そうとすると頭が痛くてな……」

「昨日の夜?」

「そうなんだ。別に何事もないいつも通りの夜だったはずなんだが……何か変わったこととかあったか?」

「……」


 魔王が何か言いたそうにおれを見ていた。

 思わず首を傾げた。


「どうした?」

「いや……昨日、ハンナがいきなり妾のところに来たんだが……その時なぜか泣いていてな。訳を聞いてもずっと黙ったままで、結局そのまま何も言わずに部屋に戻ったんだ。お前が何か言ったのか、もしかして?」

「ハンナが泣いていた……?」


 その一言で昨日の記憶がフラッシュバックした。


 お兄ちゃんなんかキライ!!


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」


「おおい!? いきなりどうした!?」


 おれは膝から崩れ落ちた。

 あまりの衝撃に精神が耐えられなかったのだ。


「はぁ……ッ! はぁ……ッ! い、いや、何でもない……大丈夫だ……」

「今の絶叫は絶対大丈夫じゃないだろ!?」

「大丈夫だ、本当に何でもないんだ。何でも――」


 お兄ちゃんなんかキライ!!


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!!!!!」


「ちょおおおい!? お前ホントに大丈夫か!?!?」


 おれは昨日のことを全て思い出してしまったのだった。



 μβψ



「なるほど、そういうことがあったのか」


 気がつけば、おれは一通りのことを魔王に話していた。


「ど、どうしよう? ハンナにキライなんて言われたの初めてだぞ? お、おれはいったいどうすればいいんだ? おれそんなにヒドイこと言っちまったのか?」

「落ち着け馬鹿者」

「いてっ」


 魔王にチョップされた。

 ついでに呆れた顔もされた挙げ句クソデカ溜め息までかれた。


「はあ……常軌を逸した想像を絶する凄まじい形相で叫び出すからいったい何事かと思えば……その程度のことか」

「その程度!? どこがその程度だ!? ハンナにキライって言われたんだぞ!?」

「ようするにただの兄妹きょうだい喧嘩だろう? それくらいのことなら普通だ、普通」

「で、でもおれ今までハンナと喧嘩なんてしたことないし……」

「そうなる前にお前の方が折れてきたんだろうな。だいたい想像がつくし、言われずとも目に浮かぶ」


 やれやれ、と魔王は肩を竦めた。


「まぁ、ハンナもいきなりそんなこと言われてびっくりしただけだろう。それで少し感情的になっただけだ。しばらくは不機嫌かもしれんが、頃合いを見て謝ってちゃんと改めて説明すればいいだけのことだ」

「そ、そうは簡単に言うけど……も、もし二度と口を聞いてくれなかったらどうしよう!?」

「狼狽えすぎだ」

「あいたっ」


 またチョップされた。

 また溜め息を吐かれた。


「とりあえず下に降りるぞ。朝食の準備を手伝わんといかんからな」

「あ、ああ、そうだな……」


 とりあえずおれたちは一階に降りた。

 すでにティナはキッチンで朝食の準備を始めていて、ダリルは庭で日課の素振りをしていた。ダリルはああして、毎朝日の出と共に〝感謝の素振り一万回〟を行うのだ。まぁ実際は百回くらいだと思うが……おれも誘われたがこればかりは丁重にお断りした。


「あ、ハンナ」


 ハンナもすでに起きていて、キッチンでティナを手伝っていた。

 もしかしたら昨日のことなんてすっかり忘れて、いつものように弾ける笑顔を見せてくれるかと思ったが――


「ぷいっ!」


 目が合うなりそっぽを向かれてしまった。

 ぐはああああ!!!!!

 精神的ダメージを食らった。魂が半分くらい持って行かれたかもしれない。


「ハ、ハンナ……」

「ふーんだ!」


 話しかけようとしたがもなかった。

 さも朝食の準備が忙しいとばかりに、おれはハンナに相手にもされなかったのだった。

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