16,紳士シャノン

 おれは慌てた。


「お、おい!? 何してんだよ!?」

「いまの妾は大した力もない病弱な小娘だ。いまの状態ではどうしたってお前には勝てん。で、抵抗することもできんわけだ。だから――お前が望むと言うのなら、この身体をんだぞ?」


 魔王が肌をはだけた。

 それはあまりにもなまめかしい光景だった。

 今の魔王の身体は子供だが……なぜかとても妖艶に見えた。熱っぽい顔と身体のせいで、余計にそう見えるのかもしれない。

 いきなりのことに硬直していると、魔王がおれの手を取り――自分の胸に当てた。


「どうした? すぐ目の前に好き放題できる女がいるんだぞ?」

「――」


 何かがはじけ飛びそうだった。

 だが、理性がそれを抑えた。

 しかし……誘惑は囁いた。


 おいおい、何を躊躇っているんだ?

 相手は魔王だぞ?

 人類を滅ぼそうとした元凶だ。

 こいつさえいなければ、戦争は起こらなかった。

 全てこいつが悪いんだ。

 おれが前世で散々な目に遭ったのは、全てこいつのせいだ。

 だったら――おれはこいつに、をしても、許されるんじゃないのか?


 ごくり、と思わず生唾を飲み込んだ。

 魔王は抵抗する素振りを一切見せない。

 妖しく、挑発するようにおれを見ている。

 触れる肌を通して、驚くほど熱いものが流れ込んでくる。


 一瞬、あらゆる妄想が頭の中を駆け巡った。 

 そのチャンスが――目の前にある。

 何をしても許されるチャンスが目の前にあるのだという誘惑は、本当に抗いがたいほどに強烈だった。


「……」


 おれは無言で、魔王をベッドに押し倒した。

 魔王はまったく抵抗する素振りを見せなかった。むしろ、なぜか嬉しそうな笑みさえ見せた。


「ふん、ようやくその気に――」

「うるせえ、病人は大人しく寝てろ」

「――へ? うわぶ!?」


 頭まですっぽりとブランケットをかけてやった。

 魔王は慌てて頭を出した。


「な、何をする!?」

「熱のあるやつが服はだけてんじゃねえよ。とにかくちゃんと服着て暖かくして寝てろ」


 魔王は少し困惑したような顔をした。


「お、お前……妾は本当に〝魔王〟なのだぞ? ちゃんと分かってるか? 嘘は言っておらんぞ? お前の――お前らの〝敵〟なのだぞ?」

「だったらもっとそれらしくしてろ。熱出してしんどそうにしてる魔王なんか倒しても自慢にもなりゃしねえよ」

「……お前」


 ふん、とおれは魔王に背を向けた。

 我ながら猛烈に決まったと思う。










 あっっっっっっっぶねえええええええええええええええええええええ!!!!





 おれは叫んだ。

 心の中で。

 全力で。


 くっそ!!!!!

 反則だろうがこれは!!!!

 紳士協定違反だぞ!?!?

 いきなりなんちゅうことしてくれるんだ、こいつは!?


 マジで頭がどうにかなりそうだった……ああ、くそ!! まだ手に胸の感触が!! ちくしょうこんなに柔らかいもんだったのかよ!!

 おれはこの感触も知らずに死んだのか!?

 魔術の深淵には到達したのに、こんなにも素晴らしいものを知ることなく死んだのか、おれは!?!?

 ていうかこいつ思ったより胸あんな!?!?

 うひょーーーーー!!!!


「……お前、妾のことが憎くないのか? めちゃくちゃにしてやりたいとは思わんのか? お前にはそうするだけの権利があるのだぞ?」


 ブランケットから半分だけ魔王が顔を出していた。

 何やら困惑した様子だ。

 困惑具合であればおれも負けてはいないが、しかしおれは〝シャノン〟だ。

 シャノンは紳士である。

 紳士はおっぱいを触っても「うひょーーーーー!!!!!!」なんて叫んだりしないのである。


 ごほん、とおれはわざとらしいくらい大きく咳払いした。

 ……よし。

 ここはビシッと、おれが紳士的にこいつを論破してやる。

 おれが知能と理性の権化であるということを、こいつに理解わからせてやる!!!!


「……まぁ、ほら、なんだ。これは権利とかそういう話ではなくてだな……はなんつーかさ……ちゃんと好き同士じゃないとやっちゃダメっていうかさ……ちゃんとお互いの気持ちを大事にしないといけないっていうか……そ、そういうもんだろ?」←童貞に出来た精一杯の努力

「は?」


 魔王はポカンとした顔をした。

 ……あ、ありゃ?

 なんかすごいポカンとされてるんだけど……もしかして何か変なこと言った?

 自分なりにすげー良いこと言ったと思ったんだけど……え? おれ良いこと言ったよね? 変なこと言ってないよね?


 なんて思っていたら、ポカンとしていた魔王が「ぷっ」と軽く吹き出した。


「す、好き同士じゃないとダメって――お前、まるで童貞のようなことを言うではないか」

「ど、どどどどどどどどど童貞ちゃうわ!?!?!?」


 おもくそ動揺してしまった。

 しまった、と思ったがもう遅い。

 魔王は「……ん?」と怪訝な顔になり、すぐに「まさか」という顔になった。


「……お前、まさか……童貞なのか?」

「い、いや、おれ九歳だし……」

「前世の話だ、前世の。まさかとは思うが……本当に童貞だったわけじゃないだろうな?」

「は、はあ? ちがいますけどお? 童貞なわけないですけどお? 冗談はやめてくれますう?」

「……」


 じっと見られた。

 おれが冷や汗をだらだらかいていると――魔王が爆笑した。


「ぶはははは!! お、お前!? まさか本当に童貞だったのか!?」

「う、うるせえ!! ああ、そうだよ童貞だよ!? それの何が悪い!? 童貞は別に犯罪じゃねえんだよ!!!!!」


 紳士の皮など呆気なく剥がれ落ちた。

 おれが開き直ると、魔王はさらに爆笑した。


「ははは!! し、信じられん……! あの大賢者が童貞だったとは……!! 何歳で死んだんだ!?」

「うるせえ!! 六〇歳くらいだよ!! 文句あんのか!?」

「六〇!? 亜人ならもうジジイではないか!! その年齢まで童貞って、逆に凄すぎるだろ!! 大賢者じゃなくて〝大童貞〟ではないか!! わはははは!!」

「く、くううううううう!!!!」


 羞恥で身体が震えた。

 魔王は涙を流すくらい笑ってから、目元を軽く拭った。


「ひ、ひい……死ぬ……笑い死ぬ……こいつ完全に妾を殺しに来ておるぞ……」

「も、もう知らん! お前のことなんか知らんからな! そのまま笑い死ね! バーカバーカ!」


 おれはちょっと泣きながら部屋を飛び出して行った。

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