15,〝謎の病〟

「いたたた……くそう、ダリルめ……剣術の稽古となると本当に容赦ないな……ん?」


 稽古は昼前にいったんお開きとなった。

 とりあえず昼食の前に部屋へ戻ろうと思って階段を昇ると、廊下で魔王が壁にもたれて座り込んでいた。

 最初は何してるんだ? と訝ったが……どうにも様子がおかしい。何だか苦しそうだった。


「お、おい? どうしたんだよ?」

「……ん? ああ、何だお前か」


 おれが声をかけると、魔王は少し疲れたように振り返った。

 少し息が荒い。それに何だか顔も赤かった。

 その様子を見て、おれはつい先ほどのダリルの言葉を思い出した。

 ……まさか、こいつまた熱出したのか?


「なに、何てことない。ちょっと身体がだるいだけだ。気にするな」


 魔王はよろよろと立ち上がったが……少しよろけた。

 思わず魔王の身体を支えてしまった。

 その時、ふわりと良い匂いがして不覚にもドキリとしてしまったが、すぐに呪文を唱えて邪念を追い払った。

 こいつは魔王、こいつは魔王、こいつは魔王、こいつは魔王――ヨシ!!!!


「おっと、すまんな」

「べ、別になんてことねえよ」

「おや、お前なんだか顔が赤いぞ? もしかして照れてるのか?」

「ちげーし! ていうか今のお前に顔赤いとか言われたくねーし!」

「はは、ウブいやつだ。なに、ちょっとよろけただけだ。自分で歩ける」


 魔王はいつもの小憎らしい顔を浮かべたが、額には汗が滲んでいた。

 どう見ても体調が悪そうだった。

 演技をしている、という様子ではない。

 ……さすがに見てられんな。


「……肩貸せ。このまま部屋まで運んでやる」

「なに?」


 魔王が少し驚いたような顔をしたが、おれは半ば無理矢理魔王に肩を貸した。

 とりあえずそのまま部屋まで運んだ。

 こいつが来て数日経ったが、部屋は相変わらず以前の空き部屋のままのように殺風景だった。

 こいつが持ち込んだ私物は大きめのトランクバッグが一つだけだったからな。普通はもっと色々と持ち込むものだと思うが……。


 ひとまず、魔王をベッドに寝かせた。


「ちょっと待ってろ。水持ってきてやる」

「あ、おい」


 魔王が呼び止めるような声がしたが、おれは振り返らずに部屋を出た。

 ……はて。

 おれは何をしているのだろう……?


 魔王はおれにとって仇敵だ。

 あいつのせいで前世は散々な目に遭ったのだ。

 あいつらが……魔族が戦争を起こさなきゃ、おれは戦場で血反吐吐いて這いずり回ることもなかったし、家族と死に別れることもなかった。戦場でたくさんの人たちが死ぬのを見ることもなかった。


 例え人間に生まれ変わろうが、中身があの〝魔王〟だと言うのなら……あいつはおれの敵だ。気を使ってやる義理など髪の毛一本ほどもない。


 ……とは思うのだが。

 くそ。

 あんなにしんどそうな顔されたら放ってはおけねえだろ。

 色々考えながら、おれは魔王のもとに水を持って戻った。


「とりあえず飲め」

「あ、ああ」


 魔王は上半身だけ起こして水を受け取り、半分ほど飲んだ。

 どうやらそれで少し気分は落ち着いたようだ。

 魔王の浮かべる小憎らしい顔にも生気が戻ったように感じた。


「どうした、大賢者? 随分と優しいではないか」

「……ふん。別に優しくしたつもりなんてない」

「いまの妾なら、お前でも簡単に倒すことができるぞ? そうせんのか?」

「とか何とか言って、本当に襲いかかったら魔法でも使ったりするんじゃないのか?」


 おれがめつけると、魔王は可笑しそうに笑った。


「ははは、バカだなお前も。今の妾に魔法なんぞまともに使えるわけがなかろう」

「ふん、言ってみただけだ。まぁそうだろうな。人間の身体なんだから魔法が使えるわけはないよな」

「いや、使えんことはない。だが使うことはできんのだ」

「……なに? どういうことだ?」

「そのままの意味だ。妾はこの身体でも魔法を使うことはできる」

「……」


 思わず胡散臭い目で見てしまった。

 ……人間の身体でも魔法が使える?

 そんな馬鹿なことがあるか。人間の脳には〝第六感〟を司る部位が存在しないのだ。それに体質的に魔力を制御することもできない。だから魔法が使えるなんていうのは道理に見合わない。

 だが、魔王は笑ったりせず少し真面目な顔になった。


「……ふむ、何と言えばいいかな。確かに普通ならお前ら亜人の身体では魔法は使えんのだろうが……前世の記憶のせいか、わたしは以前のように四元素を知覚することができるようでな。その感覚に頼れば、恐らく前世と同じように魔法を発生させることは可能だと思う」

「……それマジで言ってんのか?」

「ああ。わりとマジだ」

「にわかには信じられんが……」

「嘘は言うとらん。だが、仮に魔法を発生させたとしても、この身体には〝魔法核〟が存在せんからな。魔力をちゃんと制御することができんのだ。だから魔法を使えんことはないが、恐らく使えば死ぬだろう。それがどんなにつまらん魔法でもな」

「死ぬ……? 死ぬってどういうことだ?」


 魔王は自分の右手を見下ろし、軽く拳を握った。


「いまの妾は、どうやらある程度前世から魔力を引き継いでしまっておるようでな。そりゃまぁ全盛期の魔力量と比べれば大したことのないものだが、それでもこの魔法核の存在せん亜人の身体でそれだけの魔力を抑えておくのはけっこう難しくてな。前世の感覚を頼りに何とか暴走だけはさせんようにしているが……それでもこうして、時折熱を出してしまう始末だ。この脆弱で小さな器に対して、妾の魔力は単純に量が多すぎるのだ。一度でも魔力が完全な暴走状態に入ってしまえば、こんな身体はあっという間に内側から破壊されるだろう」


「……じゃあお前が昔からよく熱を出して倒れてたっていうのは、病気なんじゃなくて魔力のせいだったのか」


「まぁそういうことだ。だから、そもそもこれは病気でも何でもない。まったく、我ながら情けない話だよ。偉大なる指導者たるバシレウスともあろう者が、今世ではこのザマだからな。お前の言った通り、今の妾は全盛期の足元にも及ばぬよ」


 ははは、と魔王は笑った。

 が、その笑いはすぐにしぼんだ。

 

「……だからな、今世での妾の父親は本当に馬鹿なやつだったんだよ。どんなに高価な薬を使ったところで、妾の身体はどうにもできんというのに……大して金もない貧乏貴族のくせして、妾のために家財道具まで売り払う始末だった。自分のほうこそよほど薬を使うべきだったのにな。本当に馬鹿なやつだったよ」


 魔王がつと机のほうへ視線を向けた。

 そこには一つの写真が飾ってあった。優しそうな女性が赤ん坊を抱いて、その横で男が緊張したような顔で直立している写真だ。


 恐らく、その写真は魔王の今世での家族のものだろう。あの赤ん坊が魔王なんだと思う。

 それは何て言うか……ものすごく〝普通〟な家族写真だった。どこにでもいそうで、ありそうな、本当にごく普通の家族の写真だ。

 その写真を眺めている魔王の顔は、何だかものすごく遠くを見ているかのようだった。


 ……魔王でもこんな顔することあるんだな。

 思わずそんなことを思った。


 身体がいくら人間でも、こいつの中身は〝魔王〟だ。

 だからこいつにとっては、現世での両親など所詮は〝亜人〟である。

 

 そのはずなのだが……けれど口でこそ馬鹿なやつと言っているが、その目はどう見ても〝馬鹿なやつ〟や〝亜人〟を見ているような目ではなかった。


 おれはもう一度写真に目を向けた。

 ……もし、あれがかつての自分の両親の写真だったら――きっとおれも今の魔王みたいな目で見ているんじゃないだろうか。

 

「――だから、妾はやはり然るべき〝罰〟を受け、〝贖罪〟をせねばならんのだ」


 ふと、おもむろに魔王がそんなことを言った。

 ……罰? 贖罪? 何のことだ?

 視線を戻すと、魔王はくすりと妖しい笑みを浮かべていた。

 それはいつもの笑みと似ていたが、どこか違った。

 いつもよりもっと妖艶で、年齢に見合わないほど挑発的な目だった。


「なあ、大賢者よ。前世での恨みを晴らすのならば――今が絶好のチャンスだぞ?」

「……なに?」


 なんだ? といぶかっていると……魔王はいきなり胸元のボタンを外し始めた。

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