31,世界でいちばん、よく効くお守り
……ダリルはもう、覚悟していた。
奇蹟でも起きない限り、エリカが助かる見込みはまったく無かった。
「ティナ、少し休みなさい。おれが看病を代わろう」
「でも……」
「いいから。お前まで倒れるぞ?」
ダリルが説得して、ティナはようやく頷いてくれた。
ハンナはベッド脇の椅子に座ったまま、うつらうつらと船を漕いでいた。だがその手はしっかりとエリカの手を握っていた。
ティナはハンナを起こさないようそっと抱き上げ、部屋を出て行った。
後にはダリルだけが残った。
「……くそ、おれではどうしようもできんのか」
彼は部屋に飾ってあった写真を振り返っていた。
その顔は悲痛なほど申し訳なさそうだった。
「――すまん、アルベルト。おれではエリカを守ってやれなかった」
友が己の命よりも大事に、そして心から愛していた娘だ。
それを守ってやることができなかった悔しさはあまりにも大きかった。
気がつくと口の中で血の味がしていた。どうやら歯を食いしばり過ぎたようだった。
ダリルは脱力したようにベッド脇の椅子に座った。
「……シャノンのやつ、あれはいったいどういう意味だったんだ?」
昨日の夜にいきなりいなくなり、さっき突然帰ってきた。
今までシャノンが親に迷惑をかけたことなど一度もなかった。
シャノンは何と言うのか……本当に気の利く聡明な子供だ。
これは決して親馬鹿で言っているのではない。
むしろ子供にしては気が利きすぎるくらいだ、とさえ思うことがある。
我が侭は言わず、ちゃんと言うことを聞いて、本当に良い子に育ったと思う。
そのシャノンが、思いつく限りでは初めて叱らねばならないようなことをしでかした。エリカが大変なこの時に、いきなり馬に乗ってどこかへ消えたのだ。
さすがに帰ってきたら叱ってやろうと思っていた。
だが、戻ってきたシャノンはダリルの前で片膝をついた。恐らくあれが貴族にとっての最高の礼儀だと知った上でそうしたのだろう。
シャノンの真っ直ぐな目を見た時、ダリルは叱る気など瞬く間に消え失せた。
それに、よく見ればシャノンはボロボロだった。
まるで戦場から帰ってきたかのような有様だったのだ。
……シャノンが何をしてきたのかは分からない。
けれど、あれだけ傷だらけになってまで成し遂げなければならないことが、何かあったのだろう。
きっと何か理由があったのだ。
そう思った。
そして、シャノンは言った。
「エリカは大丈夫です。絶対に――助かります」
シャノンはいま、部屋に籠もっている。
何をしているのか確かめようとしたが、なぜだか部屋のドアをノックすることができなかった。何だかよく分からないが……中から途方もない気迫のようなものを感じたような気がしたのだ。
……邪魔をするべきではないのかもしれない。
そう思って、声をかけるのをやめてしまった。
「……」
ダリルは何も言わず、苦しそうに喘いでいるエリカの手を握ってやった。
自分にできることと言えば、こうして手を握り、額の布を取り替えてやることだけだ。他にできることなんて思い浮かびもしない。
「……いくら剣術の腕が立ったところで、おれでは娘の一人も助けてやれんのだな」
自分にはなにもできない。
だが――シャノンは違う。何かを成そうとしている。
それがいったい何なのかは、さっぱり分からなかったが。
少し目を瞑った。
疲労が蓄積していたダリルは、睡魔のわずかな囁きに少しだけ負けてしまった。
μβψ
「――!」
ダリルは眼を開けて、すぐにハッとしたように顔を上げた。
迂闊にも寝てしまったのだ気づいて、すぐに自分をぶん殴りたくなった。
慌ててエリカの様子を窺うと――あんなに苦しそうだった顔が、とても穏やかな寝顔になっていた。
「……エ、エリカ……?」
ダリルは信じられない気持ちでエリカの頬に手を触れた。
すると、あんなに高かった体温がすっかり下がっていた。むしろ、ちょっとひんやりと感じられるくらいだった。
まさか死んだのかと一瞬慌ててしまったが、すぐに呼吸していることに気がついた。
熱が下がっていたのだ。
「そ、そんな……熱が下がっている。そんな馬鹿な……」
何が起こったのかダリルにはさっぱり分からなかった。
「……ん? これは……?」
エリカの胸元に、見慣れないペンダントのようなものがあることに気がついた。
少し大きめのペンダント・トップがついている。中々見事な意匠だ。
「それは〝お守り〟です」
すぐ横で声がした。
シャノンがいつのまにかそこに立っていたのだ。
ダリルは思わず聞き返していた。
「お守り……?」
「はい。世界でいちばん、よく効くお守りです」
にっ、とシャノンは笑みを見せた。
ダリルはすぐに言葉を返すことができなかった。
エリカの容態はどう見ても落ち着いていた。
今日の夜はもう越えられないかもしれないと言われていたのに、それが嘘のようにすやすやと眠っている。
……それが、この〝お守り〟のおかげだというのか?
にわかに信じられる話ではなかったが、目の前の真実はどうしようもなかった。
本当に〝奇蹟〟が起きたのだ。
「……シャノン、もしかしてお前はこれを手に入れるために?」
「はい。ちょっと苦労しましたけど」
「どこで手に入れたんだ、こんなものを?」
「すいません、それは秘密です」
「秘密?」
「はい。
そう言ってシャノンは笑い――いきなりその場にぶっ倒れてしまった。
「――へ? お、おいシャノン!?」
ダリルは慌ててシャノンを抱き起こした。
その顔は見るからに赤くなっていた。
もしやと思って額に手を当てると――明らかに熱が出ていた。
「お、おいシャノン!? 大丈夫か!?」
「きゅう~」
「ま、まずい、今度はシャノンか!? せ、先生! 今度はシャノンを診て――って、なんかお前臭いな!? いや、え!? ちょ、マジで臭いぞ!? なんだこの臭い!? クッッッサ!!! ヴォエ!!!!」
……その後、まるでエリカと入れ替わるようにシャノンが風邪でぶっ倒れ、数日ばかり寝込むことになったのだった。
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