30,最後の最後のもう一踏ん張り

「……は、はは」


 ほっとしたせいで力が全身から抜けてしまった。

 しばらく呆けていたが、ようやく生き残ったという実感が湧いてきた。


「よ、よかった。死ななかった。ああ、もうマジで本当に良かった……」


 思わず泣いてしまっていた。

 だが、余韻に浸っている暇はなかった。

 おれは涙を拭って、ドラゴンの屍体に向かって駆け出していた。


 ドラゴンの屍体は首が丸ごと消失しており、傷口からは血が流れ出してちょっとした川のようになっていた。

 ドラゴンの血は魔族と同じように青い。魔界の生物はみんな血が青いのだ。


「……この巨体からオパリオスを回収するのか。死んでるから魔力による防壁はもうないが……鱗を剥がすのが面倒だな」


 気が滅入りそうになった。

 おれは火竜フォティアの死骸に近づいて、おや、と思った。


「……いや、でもかなり広範囲で鱗が剥げてるな。これなら思ったより楽では……?」


 さっきの攻撃の余波なのか、ドラゴンの体表面の鱗はかなり剥がれていた。それだけ凄まじい威力だったようだ。

 本当にあり得ない威力だ。こんなのは〝主観兵器〟クラスの破壊力だ。通常の魔術兵器の破壊力じゃない。


 ……普通に考えれば、おれが即席で造った撃てるんですでこんなに威力は出ないはずだった。

 さっきのはいったい何だったんだろう? ブリュンヒルデの幻覚が見えたり、魔力が流れてくるような感覚がしたり……ワケが分からん。まるでオカルトだ。まったく魔術的ではない。


「まあ、考えるのは後でいいか……」

 

 とにかくオパリオスを回収するしかない。

 おれは懐から手のひらサイズのボールみたいなものを取りだした。

 これは煙幕弾ではなく手榴弾だ。魔力を流せば時限式で爆発する代物である。


 おれはドラゴンの胴体に手榴弾をいくつかセットし、そこから魔力を流すための導線を引っ張って少し離れた。本来は投げて使う物だが、こういう風に使えば工作爆薬のようにも使える。


 物陰に隠れてから魔力を流すと、手榴弾が爆発した。

 ドラゴンの胴体に大穴が空いて、血が勢いよく噴き出した。


「うへえ、すげえ臭いだ……」


 近づいた瞬間、思わず顔を顰めた。

 ……オパリオスはだいたい心臓の近くにある。だから場所はおおよその見当がつくが……ちょっと躊躇ってしまった。


 例えば肥だめに頭突っ込んで宝石を探せと言われたら、あなたならどうするだろう? 躊躇うだろうか? うん、躊躇うだろうね。おれ、いまそれを迫られてる状態ね?


「ええい、時間ねえんだ!! 躊躇ためらってる暇はねえ!!」


 おれは肥だめに頭から突っ込んでいった。



 μβψ



「はぁ……!! はぁ……!! 死んでもおれを苦しめるとはな……!! 敵ながらあっぱれだ……!!」


 全身ドラゴンの血まみれになっていた。

 もうねちょねちょだ。

 だが、その甲斐あって、いまおれの手にはオパリオスが握られていた。


「て、手に入れた……手に入れたぞ!!」


 思わず天に向かって掲げていた。

 この手のひらサイズの、虹色に輝く石みたいなものがオパリオスだ。魔族が言うところの魔法核である。


 オパリオスそのものの大きさは直径2センチプランクほどの球形だが、これでも破格に大きい。しょうもない魔獣のオパリオスはもっと小動物の糞みたいな小ささだ。


 魔界の生物はみんな、こいつがなんかよう分からん臓器の中に入っているわけだ。それはこの世界の生物には存在しない臓器で、臓器の大きさは生物によってまちまちだが、オパリオスそのものの大きさは魔力量によってだいたい同じ大きさだ。


 しばらくテンションがおかしくなって「うおおおお!!」と叫んでいたが、途中でハッと我に返った。


「そ、そうだ! 早くヒンデンブルク号のところに戻らないと!」


 慌てて駆け出した。

 大丈夫だ。ヒンデンブルク号は賢い。きっとおれの帰りを待ってくれているはずだ。そう、きっとおれが戻るのを待ちわびて――待ちわびて――くれてるかな?????


 一瞬、もし本当に逃げてたらどうしようと思った。

 い、いや、大丈夫だ!! 信じろ!! ヒンデンブルク号を信じろ!!

 とにかくいま戻るぞ、ヒンデンブルク号!!

 マジで頼むぞ!!


「……ん? 待てよ? そう言えばここどこだ……?」


 駆け出してすぐ、おれは立ち止まった。

 ……あれ?

 ええと……?

 適当に逃げ回ってきたのはいいけど……そういや元の位置が分からねえじゃん?


「……」


 さー、と顔が青くなった。

 おいおいおいおいおい。

 やばい、マジで現在位置が分からん。

 いや、そりゃあんだけ適当に逃げ回ってたら分からなくもなるだろ!?

 おれはアホなのか!? 戻るも何もそもそもどうやって戻るんだ!?


「ど、どうしよう……せっかくオパリオスを手に入れたのに、これじゃ全部無駄になっちまう……」


 思わず途方に暮れた時だった。


「ブルルルル」

「え?」


 背後で馬の鳴き声が聞こえた。

 振り返ると……そこにヒンデンブルク号の姿があった。

 信じられないくらい驚いた。


「お、お前……もしかして、おれを迎えに……?」

「ブルルル」


 ヒンデンブルク号は小さく首をふった。

 やれやれ……どうせこんなこったろうと思って迎えに来てやったぜ。

 と、言っているように見えた。


「うおー!! 愛してるぞヒンデンブルク号ー!!」

「ヒヒーン!?」


 駆け寄って抱きつこうとしたら、思い切り後ろ足で蹴られた。

 ……たぶんおれがめちゃくちゃ臭かったせいだろう、というのは蹴られた後で気がついたことだ。



 μβψ



 川で水浴びしてそれなりに血を落として、ようやくヒンデンブルク号はおれを背中に乗せてくれた。それでも何かちょっと嫌そうだったけど。


 その後、おれは急いで家に戻った。

 ヒンデンブルク号にはかなり頑張ってもらったが、それでも家に着いた時には夕方になっていた。


 家に着くと、すぐにダリルが家の中から出てきた。


「シャノン!? お前いったいどこに行っていたんだ!?」


 いつもは温厚なダリルだったが、この時ばかりはさすがに怒っていた。

 そりゃそうだろう、と自分でも思う。

 だが、今は弁明している暇も謝っている暇もなかった。


「父さま!!」


 おれはすぐにダリルの目の前で片膝をついた。

 相手の前で片膝をつくのは貴族社会における最大の礼儀だ。

 さすがにダリルも面食らったように足を止めた。


「な、なんだいきなり?」

「ワケは後で話します! 謝罪もします! ですが、今は時間がありません!」


 おれは顔を上げ、ダリルを真っ直ぐに見た。

 気圧されたのか、その顔から怒りは消え、変わりに困惑が浮かんでいた。


「お、お前……いや、それよりもどうしたんだ、その身体はいったい? 怪我だらけじゃないか。いったいどこで何をしていたんだ?」

「ぼくのことはいいんです、大した怪我はしてません。それよりエリカの容態はいまどうなっていますか!?」

「エリカは――」


 ダリルはなぜか少し目を逸らして、言いにくそうにした。

 おれはさっ、と血の気が引いた。

 も、もしかして……間に合わなかったのか?


「エリカは、もう助からんかもしれん。先生の見立てだと、今夜が山だそうだ……」

「……え? じゃ、じゃあ、まだ最悪の事態には……?」

「今はまだ、な。だが、意識はずっと戻っていない。もう薬でも熱が下がらない。あいつの体力では、もう時間の問題だそうだ」

「……」


 ダリルは悲痛な様子だったが、それはおれにとっては朗報だった。

 まだ死んでない。

 なら、まだ助けられるはずだ……!!

 おれは立ち上がった。


「父さま、ヒンデンブルク号のことをお願いします! 約束したので死ぬほどニンジンを食わせてやってください!」

「あ、おいシャノン!?」


 おれは駆け出し、家の中に入ろうとした。

 だが、その前に足を止めてダリルを振り返った。


「エリカは大丈夫です。絶対に――助かります」



 μβψ



 部屋に戻る前、おれは魔王の部屋を覗き込んだ。

 中ではティナが看病していて、ハンナがずっと魔王の手を握っていた。

 魔王の顔はとても苦しそうだった。

 あの小憎らしい笑みを浮かべている余裕すら、今のあいつにはないようだ。


 おれは中には声をかけず、そのまま部屋に入った。

 魔術道具を造るためにコツコツと集めていた色んな材料を片っ端から取りだし、工具を床に並べた。


 ……よし。

 必要な材料はある。

 魔術式も出来上がっている。後はこの通りに魔術回路を造り、それを組み込んで魔術道具を造るだけだ。


 ここからが大賢者の本領発揮だ。

 材料さえあれば、こんな魔術道具すぐに造れる。


 まずはこのでかいオパリオスが外部から見えないようなペンダント・トップを作る必要があった。首からこんなオパリオスをぶら下げてたら目立ってしょうがないからな。これだけでちょっとした財産だ。売ればさぞやいい金になることだろう。


「……あれ?」


 さぁ作業を開始しよう――と思ったところで、何だかやけに目が霞むことに気がついた。

 細かい作業は前世から得意だ。

 だが、今はなぜかどんなに目を凝らしても手元が霞んで見えた。


 くそ、どうやら今になって疲れが出てきたらしい。

 よく考えたら丸一日、まったく寝てないのだ。

 ここに来てとうとう身体に限界が来てしまったようだ。


「……う、やばい、なんか頭がグラグラしてきた」


 目を閉じたらそのまま眠ってしまいそうだった。

 もうとにかく身体が重かった。

 一度自覚してしまったら、それを振り払うことはできなくなった。身体がどんどん、底なし沼へと沈んでいくかのようだ。


 ……ダメだ。

 意識が、どんどん沈んで――


「うおらぁ!!」


 おもくそ自分をぶん殴った。

 

「いってえ!?」


 思いきり殴りすぎて転げ回った。

 アホなことをしている自覚はあったが、眠気は吹っ飛んだ。


「ここに来て寝てられるか!!」


 カッ、と眼を見開いた。

 これが最後だ。

 あともうちょっとだ。

 これが終わったら死ぬほど寝てやる。

 だから、あと少しだけ頑張れ、おれ……!!


 ついでにちょっとだけ魔王も頑張れ!!

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