23,発作

 魔王とハンナを家に連れて帰った後、おれはすぐに医者のところへ走った。

 近くの村にいる平民の医者だ。おれやハンナも風邪を引いた時なんかはよくお世話になっている気立てのいい年配の男の先生である。


「おや、坊ちゃん。そんなに急がれてどうかされましたか?」

「せ、先生! すぐにうちに来てください!」


 おれの切羽詰まった様子からただ事ではないと察してくれたのか、先生はすぐに家まで来てくれた。


「ど、どうでしょう? エリカの容態は……?」


 ティナが心配そうに訊ねると、先生は険しい顔になった。


「……これほどの高熱など初めてです。原因は分かりませんが、とにかく熱を下げないことには命に関わるでしょう。すぐに熱を下げる薬を飲ませます。すいませんがお水を持ってきていただけますか?」

「は、はい、分かりました!」


 ティナは慌てた様子で部屋を出て行った。


「……」


 おれはじっと、ベッドの上で熱に浮かされている魔王を見ていた。

 魔王の意識はない。

 だが、その表情は本当に苦しそうだった。

 おれは以前、魔王の言っていたことを思い出した。

 魔法を使えば命に関わる。

 こいつは自分でそう言っていたのだ。


 ……こいつ、それが分かっていてどうして魔法なんか使ったんだ?

 まさかとは思うが……おれ守るためか?

 いくら考えても、おれには魔王の考えていることがよく分からなかった。

 でも、何度考えてもそれしか結論が出なかった。


 ああ、そうだ。こいつが魔法を使って熊を追っ払っていなかったら、おれは間違いなく襲われていただろう。たぶん死んでたと思う。あんな巨体に襲いかかられたら、大人でもひとたまりもない。それどころか、ハンナにまで危険が及んでいたかもしれない。あいつはおれだけじゃない、ハンナのことも救ったのだ。


 前世での借りを返す。

 こいつはそう言っていた。

 ……なぜだ?

 おれは前世でこいつを殺したのだ。

 なのに、なぜこいつはおれを守るような真似をした? おれが憎いんじゃないのかったのか、こいつは?


 ――感謝する。


 前世の記憶を思い出した。

 おれが、魔王はそう言った。

 ……くそ、分からん。

 こいつの考えていることがおれには全然わからん……!!


「お兄ちゃん、エリカお姉ちゃん大丈夫かな……?」


 ハンナがぎゅっとおれにしがみついてきた。

 その顔は今にも泣き出しそうだった。

 おれは軽く、頭の上に手をのせた。


「大丈夫だよ、ハンナ。エリカはちょっと風邪を引いただけだ。少し前にも熱を出したことがあっただろ? 大丈夫、あの時みたいにすぐ治るよ」

「ほんと? ほんとにすぐ治る?」

「ああ、大丈夫だ」


 おれはハンナに言い聞かせるように言った。

 ……何だか自分自身にも言い聞かせているようだ、と自分でも思った。

 ハンナはベッドの脇に立って、エリカの手を握った。


「ハンナが、ハンナがピクニックに行こうなんて言ったから……ハンナのせいだよね、ごめん、ごめんねエリカお姉ちゃん――」


 ハンナはぼろぼろと泣き出してしまった。

 おれはその姿を、ただ後ろから見ていることしかできなかった。


 μβψ


 いつもの時間になると、ダリルがいつも通りの感じで帰ってきた。

 しかし、魔王が倒れたことを聞くと血相を変えた。

 この時点で、先生の飲ませてくれた薬が少し効いていたのか、魔王の熱は少しばかり下がっていた。

 しかし、依然として予断を許さない状況であることには違いなかった。


「くそ、どうにかできないのか」


 ダリルは珍しく悪態を吐いていた。

 それだけ焦燥感を感じているのだろう。

 ハンナは泣き疲れてしまったのか、今はソファで横になり、ティナの膝枕ですやすやと眠っている。目元はまだ赤いままだった。ティナはハンナのことをそっと撫でていた。


 ……別にハンナが悪いわけじゃない。

 そもそも、誰が悪いという話でもないのだ。

 強いて言えば運が悪かった。

 ただそれだけだ。


 そう、だからこれは誰が悪いという話ではない。

 だが、おれは自分自身に腹が立っていた。

 ……油断した。

 何が備えよ、常に――だ。

 おれが本当に前世の教訓を生かしていたら、あそこで何かしら武器を持っていくという選択肢を選ぶことができたはずだ。せめて煙幕弾の一つでも持っていればどうにか対処はできたはずだ。


 ……なぜ、おれは武器を持っていかなかった?

 油断したからだ。

 おれは選択を間違えたのだ。


 ……くそ、何がもう二度と間違えないだ。

 このまま魔王の熱が下がってくれたら……という楽観は一切無かった。

 逆に驚くほど冷静に、おれはこの後に起こるであろう結果に予測がついていた。


 このままなら、間違いなく魔王は死ぬ。


 部屋に戻った。

 木箱を引っ張り出し、中にあった騎銃カービンを引っ張り出した。

 


「――まだだ。まだ手はある」


 おれは〝準備〟を始めた。


 μβψ


 夜中になった。

 おれは音を立てないよう、静かに部屋を出た。

 こっそりと魔王の部屋を伺ったが、中にはダリルの姿があった。

 医者の先生には、今夜家に泊まってもらっている。

 だがずっと先生に看病を任せるわけにもいかない。なのでこうして、ダリルやティナも含めて、交代で付きっきりでエリカの看病をしていた。


「……すいません、父さま」


 ダリルの背中にこっそりと謝った。

 おれはこれから――〝シャノン〟になってから初めて悪いことをする。

 テーブルの上に予め用意した書き置きを残した。


『少し出かけます。すいませんがヒンデンブルク号をお借りします。二日以内には絶対に戻ってきます』


 家を出て、そのまま厩に向かった。

 人の気配を感じたのか、おれが近づいただけでヒンデンブルク号は目を覚ました。


「しー」


 おれが口に手を当てると、ヒンデンブルク号はじっとしたままおれを見ていた。

 ぐっすり寝ているところを起こされたというのに、機嫌を損ねているような様子はなかった。


「悪い、ちょっとだけおれの我が侭に付き合ってくれ」


 話しかけると、ヒンデンブルク号は軽く鼻を鳴らした。

 気のせいかもしれないが、何となくおれにはこんなふうに聞こえた。


 「事情はよく分からんが、まぁしょうがねえな」


 乗馬する時に使う台を引っ張り出してきて、手早く鞍などを装着した。

 ヒンデンブルク号は暴れることもなく、ずっと大人しかった。

 

 ……正直、乗馬は苦手だ。

 機械馬の操縦なら自信があるのだが、乗馬というのは生きている馬とのコミュニケーションが必要だ。前世ではうまく馬に乗れた記憶はほとんどない。


 よっ、とヒンデンブルク号の背中に乗った。

 ……た、たけえ。

 馬の上って思ったよりも目線が高いんだよな。


 っと、照明を点けないとな。

 おれはお手製の魔術ランタンに明かりを灯した。これはただのランタンのように火を燃やしているわけではなく、そこらへんで拾ったクズ魔石を光らせて照明にしているものだ。光の指向性を変えれば前方だけを明るくすることもできる。

 松明たいまつを用意するのは手間だが、こいつなら手間も用意もかからない。


 つっても、今日はアスガルドがよく出てるから照明がなくてもよさそうだな。

 おれは夜空を見上げた。

 惑星グランゾンには衛星が二つある。銀色に輝くアスガルドと、赤黒く輝くニヴルヘイムの二つだ。

 アスガルドが完全に満ちている夜はけっこう明るい。白銀の淡い光にぼんやりと夜の世界が浮かび上がるのだ。


「よ、よし、行くぞ」


 手綱を握った。

 おれが軽く足で蹴ると、ヒンデンブルク号は「ヒヒーン!!」と大きないななきを上げた。

 やべ!?

 おれは焦った。今のは絶対ダリルに聞こえたはずだ。


「お、おい!? 誰だ!? 馬泥棒か!?」


 案の定、ダリルが驚いたように窓から顔を出した。

 だが、ここまで来てもうやめることはできない。

 

「行くぞ、ヒンデンブルク号!!」


 おれは馬を駆り、銀色に照らされた夜の世界へと飛び込んでいった。

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