22,魔法

「わーい! ピクニックー!」

「ははは、ハンナ。あんまりはしゃいでるとこけるぞ」


 おれたちはハンナを連れて近くの原っぱにやってきた。

 原っぱを嬉しそうに駆け回るハンナは控えめに言って世界一可愛かった。

 ……やばいな。なんでハンナってあんなに可愛いんだ? え? ちょっと可愛すぎない? やばくない? いや、絶対やばいよな……?


「おにーちゃーん! エリカおねーちゃん! はやくー!」


 ハンナが大きく手を振った。

 ……おれと魔王の二人に。


「ハンナちゃん、すぐ行くわねー!」


 魔王が手を振り返して、おれのほうをちらっと一瞥した。

 ――フ。

 なぜか勝ち誇ったような顔をされた。

 なんか無条件でむかつくな、この顔。


「……おい、テメェ魔王。なんでノコノコとついてきたんだ? 誰もてめぇを呼んだ覚えはねえんだが?」

「ははは、ハンナがどうしても妾に来て欲しいと言うのでな。可愛い義妹ぎまいの頼みだ、聞いてやらぬわけにもいくまい?」

「義妹!? てめぇ、いまとんでもないこといいやがったな!? よりにもよってハンナを義妹だと!? ハンナはおれの妹だ!! てめぇになんぞくれてやらねえからな!! それでも欲しいってなら、このおれを殺してからいけ!!!!」

「お、おう。いや、そんなにマジで目の色変えられるとちょっと怖いんだが……」

「だいたい、何が義妹だ! おれはこのまま大人しくてめぇと結婚するつもりなんざねえからな!」

「ふん、往生際の悪いやつだ。許嫁の話は親の決めたことだぞ? お前は親の言いつけに背くのか?」

「そ、それは……」


 少し言葉に詰まってしまった。

 ……親の言いつけに背くことはおれの本意ではない。

 だが、相手は魔王なのだ。魔王と結婚するなんてとてもではないが耐えられない。

 こいつのことだ。

 表向きは器量の良い妻を演じながら、家の中ではおれを尻に敷いてこき使うに違いないのだ。


 イヤだ、そんな結婚生活イヤだ……!!

 おれは、可愛い奥さんと、イチャコラした結婚生活を送りたいのだ、心の底から切実に……!!!!!

 もちろん親の言いつけには背きたくない。親の意向は尊重したい。

 く、くそう!!

 おれはどうすればいいんだ!?!?


「ぐ、ぐぬぬぬぬ!!!」

「ははは、貴様のその悔しそうな顔を見ていると実に愉快だ」


 おれが歯噛みしていると、魔王の顔が愉悦に歪んだ。

 こ、こいつ……マジで性格悪いな!?


「どれ、妾はハンナと遊んでくるとするか……それではシャノン様、行って参りますね」


 魔王は嫌みたらしいエリカスマイルを残し、ハンナの元へ向かった。

 おれはそれを睨み付けるように見送った。

 く、くそう!!

 やっぱあんなやつの心配なんてするんじゃなかった!!


 おれはどかっとその場に座った。

 せっかくの楽しいピクニックが台無しだ。


「ったく……ん?」


 傍にバスケットが置かれていた。

 これは……あいつの作ったサンドイッチか。

 ハンナがピクニックに行こうと言い出して、それで魔王が昼食にとこれを作ったのだ。

 パカッ、と軽くバスケットの中を覗いてみた。

 中にはとても美味しそうなサンドイッチがたくさん詰め込まれていた。


「……」


 ……あいつ、料理は本当にめちゃくちゃうまいんだよな。

 それに実は裁縫もかなりできる。あの兎の人形もそうだが、あの後も魔王はいくつかハンナのために人形を作っていた。それがまぁまぁ、けっこう良い出来なのだ。


 おれは工作はできるが裁縫はまったくからっきしである。

 ハンナに色んな玩具を作ってやることはできるが、お人形を作ってやることはできない。一度だけ人形にも挑戦して見たが、出来上がったのは新種の魔獣だった。大賢者にも不可能は存在するのだと思ったものだ。


 ……料理も裁縫も出来る。そして見た目は美少女。そして(少なくとも表向きは)気立てがいい。

 まるでパーフェクトだ。

 こんな子と結婚したいランキング一位になってもおかしくはない。


 なのに……なのにどうして、中身は魔王なんだ……?

 やっぱり神は死んでいたようだ。オーマイゴッド。


「くそ、ちょっとつまみ食いしてやる」


 まだお昼には早かったが、むかついたのでサンドイッチをつまみ食いしてやることにした。


「お、おい!!」

「むぐ!?」


 サンドイッチをこっそり口に入れた瞬間、咎めるような声が聞こえてきた。

 おもくそサンドイッチが喉につまった。

 慌てて水筒の水を飲んだ。


 な、なんだ?

 魔王とハンナがこっちをすごい顔で見ていた。

 ……あ、やべ。

 サンドイッチをつまみ食いするところを見られたようだ。

 いや、でもちょっとつまみ食いしただけにしてはちょっと大袈裟じゃないか? そんなに悪いことじゃないだろ?


「後ろだ、後ろ!!」

「え? 後ろ?」


 魔王とハンナの視線はおれではなく、その後ろに向かっていた。

 後ろになんかあるのか?


「ぐるるるる……」

「……」


 なんということでしょう。

 そこには直立する巨大な熊の姿が。


「ぐるるるる……」

「……」


 ああ、おれは知ってる。なんせ大賢者だからな。

 こいつは熊という生き物だ。

 見た目からして黒熊くろくまだろう。見た目が黒いからだ。そのまんまである。ちなみに白熊しろくまという熊も寒いところにいる。ここ大賢者ポイント。


 黒熊は熊の中でも大きい部類だ。最大で3プランクくらいにはなる。おれの目の前にいるのは、まぁだいたい2プランクくらいだ。たぶん若いオスだろう。ちなみにおれの身長は125センチプランク。つまり1.25プランクだ。2プランクの熊など大人よりでかい。先日のテディは多分これくらいだったと思う。


 ……おいおい。

 おいおいおい。

 なんでこんなところに熊がいるんだ……?


 熊が人里にやってくることなんて滅多に無い。熊は警戒心が強いのだ。こっちからナワバリに入っていかない限り、こんな風にエンカウントすることはないのだが……いったいどういうことだ? 去年の夏は冷夏だったからそのせいで食べ物が少なくなって、もう山に食べる物がなくなってしまったのか。それともただ迷い込んでしまっただけなのか――って、いや、うん。あれこれ考察したところでもう目の前にいるからな。何の意味もねえわ。


「ぐるるるる……」

「……」


 捕食者が獲物を見る目だ。

 口から涎が垂れている。恐らくこいつの目には、おれはさぞ美味しそうなお肉に見えていることだろう。


 は!?

 そ、そうだ。

 いまおれの手元には美味しいサンドイッチがあるじゃないか。

 こ、こいつでどうにか気を引けないか……?


「……」


 おれはゆっくりバスケットを熊の前に置き、様子を窺いながらじりじりと後ろに下がった。

 熊は前足をついて、おれの置いたバスケットにゆっくりと近寄って臭いを嗅ぎ始めた。

 ……よし。

 サンドイッチのほうに興味が向かったようだ。

 このままゆっくりと後ろに下がって――


 パキッ。


 何か枝を踏んでしまった。

 大した音ではなかったが、熊はまるで銃声でも聞いたかのように過敏にこっちを振り向いた。


「グアアアアアア!!!!」


 咆えた。

 ものすごい勢いで襲いかかってきた。


 ――あ、やべ。

 これ……おれ死んだわ。


 そう思った時だった。


「伏せろ、大賢者!!」


 声がした。

 おれは咄嗟に伏せた。

 次の瞬間、少し離れたところで大きな爆発が起きた。


 μβψ


「……」


 しばくら呆けて動けなかった。

 何が起きたのかまったく分からなかった。

 少し離れたところにクレーターが出来ていた。まるで爆弾でも降ってきたかのような痕だ。


 すでに熊の姿はなかった。

 爆発に驚いて逃げたようだ。


「た、助かったのか……?」


 ようやく実感が湧いてきた。

 ……は、はは。

 あ、あぶねえ。マジでもう少しで食われるところだった。

 爆発に驚いて逃げてくれたからよかったが……って、今の爆発はいったい何だったんだ……?


「お姉ちゃん!? エリカお姉ちゃん!?」


 ハンナの叫ぶような声が聞こえた。

 おれはハッとなり、慌てて立ち上がった。


「ハンナ!?」


 すぐに二人のところへ駆け寄った。

 ハンナは無事だった。

 おれはほっとしたが、すぐにそんな気持ちは消えた。

 魔王が地面に倒れていたのだ。


「はぁ……ッ! はぁ……ッ! ぐ……ッ!」

「お姉ちゃん、だいじょうぶ!?」


 苦しそうに胸を押さえてうずくまっていた。

 ハンナが傍で呼びかけているが、まるで聞こえている様子がなかった。


 その様子はどう見ても尋常なものではなかった。恐ろしいほど汗をかいて、生きながら食われているかのような苦悶の表情をしていた。

 おれも慌てて傍に駆け寄った。


「お、おい!? 大丈夫か!?」

「――」


 返事は無かった。

 魔王の額には玉のような汗が浮かんでいた。

 顔面はすでに蒼白で、身体も小刻みに震えていた。


「お、お兄ちゃん、どうしよう!? お姉ちゃんが,お姉ちゃんが!?」

「落ち着け、ハンナ。エリカは大丈夫だ」


 言い聞かせるようにそう言ったが、おれも内心では焦っていた。

 ……まずい。

 これはどう見てもまずい。


 間違いない。

 さっきの爆発は〝魔法〟だ。

 こいつは魔法を使ったのだ。

 

「――おい、いったいそんなに慌てた顔をしてどうしたんだ?」


 その時、うっすらと魔王が目を開いた。

 慌てて話しかけた。


「お、おい!? 大丈夫か!?」

「は、はは……たかだかファイヤーボール一発でこのザマか……この身体になってから魔法を使うのは初めてだったが……思ったよりはうまくいったな」

「喋るな! と、とにかくすぐに家に運んでやる!」

「ふ、随分優しいな……もしかして妾のことを心配してるのか?」

「だから喋るなって言ってんだろ!」


 無理矢理小憎らしい笑みを浮かべる魔王に、何故だか猛烈に腹が立った。

 おれは有無を言わさず魔王の身体を抱えた。


 ……え?

 少し驚いてしまった。

 魔王の身体が驚くほど熱かったからだ。

 な、なんだこの体温……?

 おれは少し空恐ろしくなった。こんなの、とても人間の体温ではない。

 い、いや、落ち着け。

 ビビってる場合じゃない。

 とにかく家に帰らないと……!!

 

「魔王、すぐ家に戻るぞ!」

「――」

「ま、魔王? おい……?」


 魔王は再び、意識を失ってしまっていた。

 その顔には恐ろしいほどの汗が浮かんでいた。

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