5,大事な話

 日が暮れた。

 そろそろ夕食の時間だ。 


 部屋を出て一階に降りると、ハンナがすでにテーブルについて夕食待機の状態に入っていた。スプーンとフォークをそれぞれ両手に持って、行儀良くちょこんと座っている。

 ただ座っているだけでこんなに可愛いなんてハンナはすごいな。いやもうほんとに可愛い。絶対に世界で一番可愛い。


「シャノン、もうすぐご飯できるわよ」

「分かりました。あ、食器運ぶの手伝います」


 キッチンで夕食の準備をするティナを手伝った。

 できることからコツコツと親孝行だ。


 その時、家の外から馬の鳴き声がした。

 我が家には馬が一匹いる。名前はヒンデンブルク号だ。なかなか賢い馬で、乗馬が苦手なおれでもちゃんと乗せてくれる懐の深い馬だ。


 ……え? 貴族なのに一匹しか馬いねえのかよって?

 普通はもっといるだろうって?

 ははは。

 それが一匹しかいないんだなぁ、これが。

 なんせうちは貧乏だからな!!!!


 外で馬の鳴き声がすると、ハンナがすぐに反応した。


「あ、パパ帰ってきた!」

「みんな、いま帰ったぞ!!」


 ばばーん、とガタイのいい男がドアを蹴破る勢いで家に入ってきた。

 この何だか少しむさ苦しい男が今のおれの父親――ダリル・ケネットだ。


 ダリルは小役人で、いわゆる文官というやつなのだが、その割にガタイがいい。騎士だと言われても違和感はないし、実際に剣術もかなりの腕前だ。休みの日はダリルから剣術を教わっているのでよく分かる。ちなみに年齢は三〇歳のはずだが、実年齢よりは老けて見える顔だ。


「パパー!!」


 ハンナがまるでいしゆみから解き放たれた矢のような勢いでダリルに突っ込んでいった。

 

「おふう!!」


 みぞおちにハンナの頭突きが炸裂した。

 ダリルはかなりのダメージを食らったようだが、明らかにやせ我慢した顔でハンナを抱きとめた。


「……た、ただいまハンナ。お前はいつも元気いっぱいだな」

「パパお帰り!! 遊んで!!」

「あ、ああ、いくらでも遊んでやるぞ。ほら、高い高いだ!」

「わーい!!」

「からの肩車だ!!」

「わーーい!!!!」


 かなりのダメージを食らったはずだが、ダリルは何事もなかったようにハンナと遊び始めた。

 ……これが父親というものか。

 おれは素直にこのダリルという男を尊敬している。なんていうと子供のくせに他人行儀だと我ながら思うが、実際ダリルは本当にいい父親だと思う。


「父さま、お帰りなさい」

「おお、シャノン! 少し見ない間に大きくなったな!!」


 ダリルはハンナを床に降ろすと、今度はおれに抱きついてきた。

 相変わらずスキンシップの多い父親だ。


「い、痛いですよ父さま。というか朝会ってるでしょ。一日で伸びるわけないじゃないですか」

「いいや、そんなことないぞ! 絶対伸びてる! よし、お前も肩車してやろう!」

「ぼ、ぼくはいいですよ。もう子供じゃないんですから」

「がーん!!」


 おれが遠慮すると、ダリルはかなりショックを受けた顔になった。

 それからおもむろに遠くを見始めた。


「……そうか。お前も、もう子供じゃないんだな。父さん嬉しいよ。悲しくもあるが、それ以上に嬉しい……」


 つとダリルの頬を涙が流れた。

 おれはいま何を見せられているんだ……?

 当たり前だが、ダリルも前世のおれよりははるかに年下だ。


 ……ティナもダリルもだいたい三〇歳前後だもんな。

 いやー、若いなぁ……(しみじみ)


「お帰りなさい、あなた」


 しみじみしていると奥からティナが出てきた。

 ダリルはすぐに元に戻った。


「戻ったぞ、ティナ! お帰りのキスを頼む!!」

「嫌です」


 普通に笑顔で断られていた。


「それより、もうすぐ夕ご飯の支度ができるのでそれまでに着替えておいてくださいね」

「着替えたらキスしてくれるか!?」

「嫌です」


 これも笑顔で断られていた。

 夫婦ってよく分からんな。

 ティナは再びキッチンのほうへ戻っていった。


「シャノン」


 すると、急にダリルが真面目な様子でおれの名を呼んだ。

 いつものふざけた様子はなかった。

 〝大人〟の顔だ。

 ……どうやら真面目な話があるらしいな。

 おれは少し居住まいを正した。


「何でしょう、父さま」

「後で大事な話がある。食事が終わったら話そう。お前はもちろん、おれたち家族全員に関わりのあることだからな」

「分かりました」


 おれはとりあえずそう言っておいた。

 もちろん何の話かは気になったが、この場ではあえて聞かなかった。


 μβψ


「それで、父さま。お話というのは?」


 食後、おれの方から切り出した。

 食事風景はいつも通りだった。

 しかし、おれが切り出すとダリルは先ほどのように真面目な顔になった。


「ああ、そのことなんだがな……」


 ダリルはちら、とティナの方を少しだけ見やった。

 ティナは話の内容を知っているのか、一つだけ頷いた。

 ……ティナも知ってる話なのか。

 何だか改まった話をされるらしい、というのは両親の気配から十分に察せられた。何だかよく分からない、という顔をしているのはハンナだけだ。

 少しだけドキドキしながら言葉を待っていると、


「実はお前には許嫁がいるんだ」


 と、ダリルは言った。


「――は?」


 素でそんな声が出た。

 え?

 え????

 ごめん、ちょっと待って。

 いま何て言った……?

 許嫁……?

 おれはさすがに混乱してしまった。


「いや、ええと、ちょっと待ってください。どういうことです、それは?」

「そのままの意味だ。本当ならもう少し経ってから話すつもりだったんだが、色々と事情が変わってな」

「え、ええ……? いや、いきなり過ぎません?」

「で、明日からその子がうちで生活することになっている」

「だからいきなり過ぎません!?」

「すまん、色々ごたごたしてたから言うの忘れてたんだわ。わはは!!」


 ダリルは大口を開けて笑った。

 シリアスな感じはここで完全に消えた。


「いやここ絶対に笑うところじゃないでしょう!?」

「いやー、めんごめんご」


 誠意の欠片もなかった。

 おれはティナの方を振り返った。


「母さまはこのこと知ってたんですか!?」

「ええ、知ってたわよ」

「ものすごくしれっと頷かれた!? な、なんで今まで教えてくれなかったんですか!?」

「うーん、その方が驚くかなって?」

「なにちょっとお茶目な言い方してるんですか!? そんなもん驚くに決まってるでしょ!?」

「まぁ落ち着けシャノン」

「これが落ち着いていられますか!?」


 思わず立ち上がってしまった。

 さすがのおれもこれにはいつも通りではいられなかった。

 いきなり許嫁がいると言われて、はいそうですか、とは言えるわけがない。

 前世、おれは童貞で死んだ。←ここ大事


 だから今世では堅く誓ったのだ。

 絶対に可愛い女の子と付き合って、イチャコラしてやるのだ――と。

 これは野望と言ってもいい。

 新たな人生における、壮大な野望だ。

 全てを懸けてもいい。

 そう思えるほどの、歯茎から血で出るほど切実な野望なのだ。


 実はちょっと来年から始まる学校生活には密かな期待を抱いていた。

 貴族が集まる貴族学校なら、きっとたくさん可愛い女の子がいるはずだ。そこでなら、きっと出会いがあるかもしれないと。


 だというのに許嫁?

 そんな馬鹿な話があってたまるか!

 恋愛というのは自分の手で掴み取るものだ!

 おれは自分の手で掴み取るのだ! 愛という名の勝利を!!

 こればっかりはいくらおれが〝シャノン〟であっても、絶対に譲ることはできん!!!!! そう、絶対に何があってもだ!!!!!!


「ちなみに、この写真の子がお前の許嫁だ」


 すっ、とダリルが一枚の写真をおれの前に置いた。

 目ん玉飛び出るくらいの美少女だった。


「……父さま」


 おれは静かに座り直した。


「すいません、いきなりのことで取り乱してしまいました。ですがぼくも貴族の生まれです。こういう日がいずれ来るのでは、という覚悟はしていました」

「おお、シャノン。この話、受け入れてくれるか」

「当たり前じゃないですか。ぼくはこの家の長男です。父さんの意向に逆らうつもりは毛頭ありませんよ」


 ははは、とおれは笑った。

 今ならこの世の全てを許せるような気がした。


「ねえ、ママ。いいなづけってなーに?」


 ハンナがティナに訊ねていた。

 ティナは少し考えてから、こう答えた。


「将来、お兄ちゃんと結婚する人のことよ。ハンナのお姉ちゃんになる人のことね」

「え!? お兄ちゃん結婚するの!?」

「すぐにじゃないわよ? もっと大人になってからだけどね」

「いやー!! お兄ちゃんとはハンナが結婚するのー!!」


 ハンナがおれの腕に抱きついてきた。

 !?!?!?!?!?!?

 おれはとんでもない衝撃に見舞われたが、もちろんそれを顔に出すことはしなかった。


「ははは、ハンナは子供だな」


 おれが余裕ぶって頭を撫でると、ハンナはむくれた。


「子供じゃないもん!! お兄ちゃんと結婚するのはハンナだもん!!」

「ははは! シャノンめ、モテモテだな!」

「ええ、本当にね」

「やめてくださいよ、二人とも。ははは」


 はあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!

 ハンナが可愛すぎて死ぬうううううううううううう!!!!!


 というワケで、おれに許嫁がいることが判明した。

 ……この時のおれは知る由もなかった。

 これがおれの人生における、とてつもない岐路だったということを――

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