11 古傷
「もともと、この島には名前などなかった。御覧の通り岩だらけだから実のなる木も生えない。仕方ないから、魚を釣ったり漁師さん達からおすそ分けをもらったりして、細々と暮らしていたんだ」
鬼達は、ぽつりぽつりと話し始めた。
「でも、半年くらい前、貯めていた食べ物が全部波にさらわれてしまった。このままでは、家族もみんな飢えてしまう。困っていたところに、あの女が現れたんだ」
「あの女って、乙姫のこと?」
赤ずきんの言葉に、鬼がうなずく。
「女は、村に行って食べ物を奪ってくればいい、ついで金目のものも奪ってこいと俺達に言った。俺達は断った。かつては、野菜やら米やらを分けてくれた仲だ。そんな悪党じみたことはできないもんな」
「でも、それ以外に家族を養う道はないと、女は言った。確かに、女の言う通りさ。それで、俺達は女の言われるままに、村を襲いに行った。本当につらかったよ」
鬼達がうつむいた。すすり泣く声も聞こえている。
「家族には相談しなかったのか?」
浦島がたずねると、鬼は首を振った。
「きっと、気を遣って、私達のことは気にするなって言うに決まっていたさ。でも、それ以外に道はなかった。怖くて、何も言い出せなかったよ」
「子供にも言ってなかったんだね」
赤ずきんが、子供に目をやる。
子供は、泣き出しそうな顔をして、杭のように突っ立っていた。
「でも、結局、みんなぶち壊してしまった。あんな女の言うことなんて、意地でも聞かなければよかったんだ」
鬼達は、子供のように泣きじゃくった。
「鬼にも、つらいことがあったんだな」
浦島がつぶやいた。
しわだらけになった手と、うずくまった鬼を交互に見る。なんだか、自分ともあまり変わらない気がしていた。
狼が、低い声で唸った。
「ここで言えてよかったな、ってこの子達も言ってる」
赤ずきんが、狼の背をなでる。
「この子達も、私も、もうすぐで手遅れになるところだったから」
鬼達は、いっそう声を大きくして泣いた。
「私は、生まれて間もないとき、海に捨てられた」
乙姫は悲しそうな微笑を浮かべていた。
「気がついたときには、もうこの姿だったの。浦島を見て分かる通り、竜宮城の時間の流れは、地上と比べて遅い。先代の竜宮城の管理者は、私にあの煙を浴びさせて、この姿になるまで成長させたのね。大人になった私を置いて、先代の管理者はここを出て行ったの」
「え、じゃあ、今、あなた……」
「何歳なんですか、ってきこうとしたのかしら? 失礼な人だこと」
乙姫が軽く笑い声を上げる。
「あいにくだけど、分からないのよ。赤ん坊とも言えるし、老婆とも言える。でも、竜宮城でかなり長い時間を過ごしたのは確かよ。その間、周りにいるのは魚ばかり。寂しかったわ。私の心を満たしてくれたのは、美しい石やら装飾品だけ」
「だから、鬼を使って人の村を襲わせたのか?」
「鬼だって、もっとマシな暮らしをしてると思ってたのよ。なのに、あの島なんて岩ばかりだし。鬼もかなり貧しそうだったから、一緒に食べ物も奪えたら一石二鳥じゃない」
「ふざけるな!」
桃太郎が声を荒上げた。
「じゃあ、浦島は? 何のために浦島にあんなことを!?」
「襲う村に“主人公”がいると不都合だと思ったからよ。亀に話が通じる奴連れてこいって言ったのに、まさか自分から亀に話しかける奴がいるとは思わなかったわ。本当はずっと竜宮城にいてもらおうと思っていたのに、家族がいるから帰るって聞かないんだもの。言うことを聞かないあいつが悪いのよ。お人好しな上薄情だなんて、救いようがないじゃない」
「そんな理由で、浦島を……!」
こんな奴のせいで、浦島は老人の体にされてしまったのだ。腹の底から、めらめらと怒りが湧いてくる。
「じゃあ、あなたは助けてくれるの? 心が満たされない悲しみを分かってくれる?」
「……そんなもの、分かりたくも、ない!」
乙姫を倒すことが、桃から生まれた自分の使命だ。
桃太郎は、亀の甲羅の上に立ち上がるや否や、乙姫に飛びかかった。亀が慌てて桃太郎を追うが、激しい水流に飲まれて吹き飛んでいった。
桃太郎は、負けじと乙姫の衣にしがみついていた。
「な、何するの!?」
乙姫がばたばたもがく。体が動かせないので、水流をうまく操れない。
「まさか、あんた、このまま一緒に沈む気!?」
全くその通りだ。
本当は余裕綽々に笑ってやりたいところだが、苦しくてそれどころじゃない。亀がいないから息もできないし、目にも鼻にも海水が入ってくる。頭もぼんやりしてきた。
それでも、桃太郎は乙姫を掴んで離さなかった。
「やめなさい、やめて!」
視界が暗くなっていく中、乙姫の悲鳴だけが妙に耳に残っていた。
「桃太郎」
女の人の声が聞こえて、桃太郎は目を開いた。
「あなたは……!」
長い黒髪に、豪奢な着物。まさしく、この前にも夢に出てきた人だ。
「桃太郎」
女性の声は、厳しい響きを含んでいた。
「あなたは、自分の使命を忘れてしまったのですか?」
そんなわけないじゃないか、こうして乙姫を倒したんだぞ。
桃太郎が口を開く。が、前と同じように声が出てこない。
女性は、ため息をついた。
「桃の実は魔除けの実、滅ぼすことはできません。あなた、魔を滅すれば事足りるとお思いなのですか?」
桃太郎は目を泳がせた。答えが出てこない。
「憎いものを滅ぼしても、問題は解決しないのです。そこからまた憎しみが生まれ、その連鎖は終わらないのです。あのように孤独な娘を滅ぼしたところで、それもまた同じなのですよ」
桃太郎の頭に、狼たちの姿が浮かんだ。浦島と赤ずきんの顔も次々と浮かんでくる。
「かつて、桃から生まれた子供達の多くも、同じ過ちを繰り返してきました。あなたは、どうするのですか?」
「俺は」
桃太郎は、太い声で言った。
「俺は、もうこれ以上、誰かが悲しむのは嫌だ」
あ、喋れる、と思ったのは、言葉を言った後だった。
女性がにっこりほほえむ。
「仲間に恵まれて、あなたは幸せですね」
視界が柔らかい光に包まれていく。誰かに抱き止められたような感覚のあと、桃太郎はゆっくり目を閉じた。
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