10 黒幕
「とんだ客人がやってきたと思えば、“主人公”が三人もお揃いだなんて。賑やかなものね」
乙姫はぐるりと辺りを見回した。
倒れて動けない鬼達。桃太郎達三人は集まって、乙姫をにらみつけている。
乙姫は、彼らの視線を軽くかわし、鬼の方に目をやった。
「ガキが二人に、老人が一人。これだけなのに、何をてこずっているの?」
乙姫の声は、あくまでもおだやかだった。でも、どこか冷たい響きも持っている。
鬼は、額を地面にくっつけた。
「す、すみません、姫様。でも、こいつら、すごく強いんです」
「黙らっしゃい、あなた達が弱いだけよ。腕っぷしばっかり強くて、頭も弱いくせに。まともに喧嘩もできないわけ?」
乙姫の容赦ない言葉に、鬼がぶるぶる震えている。
乙姫は、ふいとそっぽを向いて、今度は桃太郎達に向かって微笑みかけてきた。
「あら、久しぶりね、浦島太郎様。お友達にも、会えて幸栄だわ」
「やはり、鬼達とグルだったのか」
浦島が、乙姫に向かって怒鳴った。
乙姫は、けらけらと愉快そうに笑った。
「今さら何を言っても、負け犬の遠吠えに過ぎなくてよ、浦島様。その呪いを解く方法はないの。老体を押して、ここまで来るとは思わなかったわ」
「馬鹿にするんじゃない」
浦島が低い声で言った。
浦島が、珍しく怒りを露わにしている。桃太郎は、ごくりとつばを飲み込んだ。
「嫌だわ、そんなに怒っては」
乙姫が、わざとらしく困った顔をした。
「ふざけるのも大概にしろ。こんなこと許されると思っているのか?」
桃太郎が息巻くと、乙姫は軽く肩をすくめた。
「偉そうなことは言わないでちょうだい。私は、私の望みを叶えたいだけなのだから」
そう言うと、乙姫はさっと腕を上げた。水色の着物の袖が、さらりとなびく。
その瞬間、さっきまで意気消沈していた鬼達が、立ち上がったのだ。心なしか、前よりも少し大きくなっている。
「うぉおおお!」
鬼達が一斉に雄たけびを上げた。地が揺れるかと思うほどの迫力だ。
「せいぜいあなた達は、こいつらを始末しなさい。私は、集めた宝を隠しに行くから」
乙姫が海の方へ歩いていく。
「待て!」
三人が立ち上がると、鬼達が行く手を阻んだ。
「くそっ、このままだと乙姫が逃げるぞ!」
「でも、どうやってこの鬼を……」
浦島が呆然として目の前を見る。
「ここは、私と浦島に任せて」
赤ずきんが言った。
「でも……」
「大丈夫。私は、狼退治の赤ずきんなんだから」
「わしらを信じるんじゃ」
赤ずきんの目は、澄んだ水色をしている。
「何とかして、私が隙を作る。あなたは乙姫を追って」
「分かった」
桃太郎はしっかりとうなずいた。
「さぁ、仕事よ」
赤ずきんは、頭巾を目深に被り直した。まるで、野山を駆ける猟師のようだ。浦島も袖をまくる。
「狼達も行くよ!」
狼達と赤ずきんと浦島が、鬼に向かって走り出す。
赤ずきんのしなやかな四肢が、宙を舞っていた。荒々しくも繊細で正確な動きは、戦いというよりも舞を舞っているように見える。浦島は懐に忍ばせていた小石を使って戦っていた。狼達も、赤ずきん達を守りながら積極的に攻撃を繰り出していく。
「ぼんやりするな! 急げ!」
浦島の怒号が飛んでくる。桃太郎は、脱兎のごとく駆け出した。
鬼の間をかいくぐって、桃太郎は浜に向かって必死に走った。息が切れるのも忘れるほどであった。
乙姫は、もう腰くらいまで水に浸かっている。これ以上先に行かれたら、厄介だ。
「乙姫ー!」
桃太郎は力の限り叫んだ。
乙姫が足を止めて振り返る。
その一瞬を狙って、桃太郎は乙姫に飛びかかった。二人はもみあって、海の中に倒れこんだ。
ぼじゃん、と水音がして、視界が真っ白になった。全身が柔らかい泡で包まれるのを感じる。その泡が消え去ると、今度は、青い世界が広がった。
桃太郎は目をつぶった。目に塩が染みて、ひりひり痛い。
息もできない。死んでしまいそうだ。
「浦島が来ると思ったのに、あなたが来たのね」
乙姫のねっとりした声が聞こえてきた。
「いくら“主人公”でも、水の中で息はできないでしょうよ。このままおぼれ死んで、悲劇の“主人公”にでもなればいいわ」
乙姫の高笑いが耳につく。言い返したいけど、声が出せない。
もう限界だ、と思ったそのとき、お腹のしたにひんやりしたものを感じた。それと同時に、ふと息が楽になる。
桃太郎はそっと目を開いた。目もしみてこない。
桃太郎は、亀の背中に腹ばいになっていた。ここまで連れてきてくれた、あの亀だ。
「亀さん!」
桃太郎が歓声を上げた。
乙姫の目がすっと細くなる。
「裏切ったわね」
亀は、まっすぐ乙姫を見ていた。何か言っているのかもしれないが、桃太郎にはわからない。
「生意気な!」
乙姫が弾丸のように突っ込んでくる。
ぶつかる! と思って腕を構えたそのとき、すっと体が下に動いた。亀が、真下に向かって泳いだのだ。
今度は、亀が乙姫に向かって突進していく。桃太郎は拳を振り上げた。
乙姫は、避けることなくその拳を受け止めた。
「なんで、こんなことをするんだ! どうして浦島を……浦島をあんな姿に!」
桃太郎が拳に力を込める。押し込もうとするが、乙姫の手のひらはびくともしない。やはり、水の中での戦いは不利だ。
「あんたには関係ないでしょ!」
乙姫が拳を押し返した。
「はっ!」
乙姫が腕を振る。刹那、強い水流が桃太郎を襲った。
「うわっ!」
桃太郎は背後に吹っ飛ばされた。なんとか亀の甲羅を足にはさんでいたので、息はできている。
「あんたになんて、理解できないわよ」
乙姫が苦々しげに言った。
「桃から生まれたって言われて、“主人公”だってチヤホヤされて育ったあんたに、あたしの苦しみは分からない!」
「分かるもんか!」
桃太郎が言い返した。
「あんたの苦しみなんて分かるわけないだろ! そんなの関係無いよ!」
桃太郎が拳を振り上げる。亀が、それに合わせて乙姫に突っ込んでいった。
「お前のせいで、村の人も浦島太郎も、辛い思いをしてるんだ。どんな理由があったって、そんなの許されることじゃないだろうが」
滅茶苦茶に拳を突き出す桃太郎。乙姫は、身をよじらせて拳を避けているが、ペースの速さに戸惑っているようにも見える。
「大体、俺のこと知らないくせに知った口きくんじゃねえよ。仲間のおかげで、やっとここまで来たんだ!」
「こっちだってそうよ!」
乙姫が拳を受け止める。刹那、乙姫は桃太郎の腕をひねり上げ、後方に投げ飛ばした。
「ぐはぁ!」
後ろに吹っ飛んでいく桃太郎。呻き声が泡になって、桃太郎の視界を遮った。亀が受け止めてくれなかったら、海の藻屑になっていたところだろう。
亀はじっと乙姫を見ていた。何かを訴えかけるような目だ。
乙姫は、罰が悪そうに目をそらした。
「やめてよ」
乙姫がうつむく。
「ずっと、一人ぼっちだった。気を遣われるの、嫌いなの」
乙姫がぽつり、と呟いた。
「危ない!」
浦島が振り返ると、鬼がこん棒を振り上げていた。間一髪で横に転がり、何とかことなきを得る。浦島が立っていたところには、すり鉢状のくぼみができていた。
浦島は、背中を赤ずきんに預けながら、よろよろと立ち上がった。
「だめだ、さっきより、強い……」
浦島のつぶやきに、赤ずきんがうなずく。
戦い方は、やはり勢い一辺倒であるが、身のこなしがさっきよりも俊敏だ。こん棒の振り方にも、きれが増している。
赤ずきんの荒い息が聞こえていた。
赤ずきんなんて、まだ年端のいかない女の子だ。自分も、気持ちに老人の体がついていかない。狼も、体格差で苦戦をしている。
「桃太郎がいない!」
赤ずきんが、悲鳴じみた声を上げた。
はっとして浜を見ると、桃太郎も乙姫も見えない。
「水に入られたか……」
水の中の戦いは、乙姫に有利になるに決まっている。桃太郎も心配だ。
これは、かなりまずい。浦島の背中に冷たい汗が流れてきた。
鬼達が、浦島達を取り囲んで、じりじり距離を詰めてくる。目は虚ろで、酒を楽しんでいた彼らとは見違えるようだ。
「目を覚ませ!」
浦島が叫んだが、鬼達の耳には届かない。
もうだめか、と思ったそのときだ。
「父ちゃん!」
甲高い声が聞こえたかと思うと、小さい鬼の子が走ってきた。まだ大人の腰位の大きさだ。
「父ちゃん、どうしたの? しっかりして!」
鬼の子が、目の前の鬼の腰にむしゃぶりついている。それから、こっちをにらんできた。
「お前ら、父ちゃんに何をしたんだ! 父ちゃんをいじめるやつは、おれ、許さないぞ!」
精一杯眉を吊り上げる鬼の子だったが、顔には幼さが残っている。
抱き着かれた方の鬼は、しばらく呆然としていた。手から、こん棒がころんと落ちた。
「お前……」
鬼はしゃがみこむと、子供をぎゅっと抱きしめた。
「俺、一体、何をしていたんだ……」
涙声を上げる鬼。周りの鬼達も、顔を見合わせ、武器を置き始めた。
「違うんだ。俺が悪いんだよ。ごめんな、俺がしっかりしていなかったら、こんなことになってしまったんだ」
「違う、俺だ。お前のところには嫁さんがいたのに」
「そういうお前には、おふくろさんがいたじゃないか。責任をしょい込むのはやめろよ」
周りの鬼達が口々に言う。急に勢いがなくなって、体も縮んだようだった。
浦島達は、あっけにとられてその様子を見ていた。
子供を抱いていた鬼は、一度子供を引き離して、その場に額をついた。
「この通りじゃ、本当に申し訳なかった」
「あの、これは、一体?」
浦島がおそるおそるたずねた。
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