9 開戦
浦島が目を覚ますと、辺りはすっかり明るくなっていた。
「うっ」
体が動かない。岩に縛り付けられているのだ。
辺りではすっかり支度を終えた鬼達が、酒を飲んでいた。勝利を祈願する酒だろうか。
「こら、放せ! 放せ!」
浦島はわめいたが、誰もこちらを見ない。
「あいつ、殺さなくてよかったのかな?」
「仕方ないよ。姫様の命令だもん」
鬼達がひそひそと話している。
「まあ、いいだろ。そんなことより、もっと飲めって。景気づけだよ」
「そうだな。今回もまたたくさん分捕ってこれねえと、そろそろ死ぬ奴が出るぞ」
死ぬ奴? 姫様?
たくさんの疑問が頭に浮かんでくるが、今の浦島には何もできない。
「ちょっと、お前達! 村を襲うのはやめろ!」
浦島が、さらに声を張り上げる。
鬼達はめんどくさそうに目をやった。
「うるせえなあ、せっかく酒飲んでるんだから邪魔するなよ」
「もう黙らせちゃおうぜ」
一匹の鬼が立ち上がって、棍棒を手に取った。こっちに向かってずんずん歩いてくる。
鬼は、人と戦うのは苦手そうだったが、避けられないとなると、話は別だ。力は強いだろうから、殴られれば一貫の終わりである。
浦島の背中が冷や汗で湿ってきた。
浦島が死を覚悟して目を閉じた瞬間、
「待て!」
聞きなれた青年の声がして、浦島は目を開けた。
向こうから、すごい勢いで進んでくる一艘の船。桃太郎と赤ずきん、そして狼達が乗っている。
「桃太郎!」
浦島の声は、老人とは思えないほどに明るくよく響いた。
桃太郎達の旅は、ほとんど短距離走のようなものだった。桃太郎も赤ずきんも、山の斜面を平地のように駆けていくのだ。疲れて足が止まりそうになると、今度は狼の背中に乗った。そうして、その日のうちには、山を下りきっていたのである。
村に着いたときはくたくたで、鬼を討伐に行けるような状態ではなかった。心だけは焦っていたのだが、体が追いつかなかったのだ。このまま行く方が危ないと、赤ずきんは冷静に指摘した。
村の人々はみんな優しくて、浦島の名前を出すとみんな食べ物を用意し、浦島が住んでいた空き家を使うことを勧めてくれた。空き家だったはずだが、近所の人が手入れを続けていたらしい。家はきれいに整えられていた。狼達は、近くの林まで行って、ウサギなどを獲って腹の足しにした。
お腹が減ったので、きび団子を食べようかとも思ったが、赤ずきんに止められた。
「きっと何かの役に立つ。今はまだとっておいた方がいい」
気が付くと、夜が明ける直前だった。桃太郎と赤ずきんは、狼達を引き連れ、浜へ向かった。
空は菫色に染まり、強い追い風が吹いてくる。目前にくっきりと見える島の影。村人によれば、あれは鬼ヶ島という島なのだという。桃太郎と赤ずきんは、村人が用意してくれた大きめな船に乗り込んだ。
ちょうど出発しようかというとき、水面が揺れて、亀が現れた。
「おっ、亀だ。縁起がいいなあ」
「縁起?」
「知らない? 亀は長生きなんだぜ」
桃太郎が軽口をたたいている間も、亀は船のそばを離れようとしない。
「この亀、もしかして、浦島が昔助けたっていう亀なんじゃないのか?」
赤ずきんが言った。
桃太郎は、船から身を乗り出して、亀を見た。黒い小さな瞳が、じっとこちらを見ている。
「なんて言っているか、分かるか?」
「ううん。水の生き物の言葉は分からないもの」
亀は少し首を傾げた。が、すぐにちゃぷんと水に戻った。緑色の甲羅が、水の下に透けて見えている。その場に留まったまま、泳ぎだそうとしない。
「もしかして、この亀、浦島のいるところを知っているのかも」
桃太郎はつぶやくと、いきなり帆を上げた。
「ちょっと!」
赤ずきんの断りも聞かないで、桃太郎はどんどん櫂で水を掻く。
そのあとも、亀は船につかず離れず、ずっと隣で泳いでいた。細かい方向転換に合わせて船を操っていくと、不思議と流されずにまっすぐに進んでいった。
すっかり空が明るくなった頃には、島のすぐそばにやってきていた。
「すごい……」
赤ずきんが感嘆の声を漏らす。狼は、やっと陸に上がれることを悟って、急に元気を取り戻した。実際、船の中で一番元気がなさそうだったのは狼達であった。
浜のすぐ奥には岩だらけの広場があって、そこで鬼達が騒いでいる。隅の方の大きな岩には、浦島が縄で縛り付けられていた。
「思ったよりも、やばいぞ……」
桃太郎が苦々しげに呟いた。
と、いきなり一匹の鬼が立ち上がって、棍棒を振り上げた。
桃太郎は、考えるより先に叫んでいた。
「待て!」
桃太郎は船から飛び降りると、広場に駆け込んだ。
十数匹はいようかという鬼が、一斉に桃太郎達を見る。
「てめぇら、何者だ?」
鬼がしゃがれた声でたずねた。
「俺は桃太郎、魔除けの実から生まれた男だ!」
「私は、狼退治の赤ずきん。今日の仕事は鬼退治よ」
二人は、青空を突き抜けそうなほど高らかに言った。
二人の周りでは、狼達が牙を剥いている。
鬼達は互いの顔を見合わせ、立ち上がった。
「俺達の邪魔をする奴らは、誰だろうと許さねぇ」
鬼達が低いうなり声を上げる。目はぎらぎらと危ない光を放っていた。
「かかってこい! 俺が相手だ!」
桃太郎の声に呼応して、鬼達が桃太郎に向かってくる。
「どりゃあ!」
鬼が振り下ろした金棒を、桃太郎は身を翻して避けた。脇をかいくぐって、回し蹴りを食らわせる。鬼が悲鳴を上げて倒れこんだ。
その隙に、赤ずきんは浦島に駆け寄った。
「大丈夫?」
赤ずきんは、短刀を取り出して縄を切っていく。縄はあっという間にほどけた。
「これって、こうやって使うのが正しいよね」
赤ずきんは、浦島に微笑みかけた。
「赤ずきん、桃太郎……」
浦島の目に涙が浮かぶ。
一人で敵の本拠地に乗り込んでいく心細さを思うと、赤ずきんは胸が締め付けられた。きっと、不安な夜を過ごしただろう。
赤ずきんは笑ってうなずいたが、すぐに真面目な顔に戻った。
「まだ安心はできない。桃太郎と狼達が戦ってくれているが、なんせ数が多い」
赤ずきんが桃太郎を見やる。何匹もの鬼を相手に、桃太郎が奮戦していた。森で習った突きや蹴りを繰り出して、鬼を翻弄している。狼達も、桃太郎を援護しながら大立ち回りを演じていた。
「まだ戦える?」
「ああ。どうにかなりそうじゃ」
浦島は赤ずきんの肩を借りて立ち上がった。
「鬼は、あんまり強くないんだ」
「なんだって!?」
赤ずきんが、喜びとも驚きとも取れない声を上げた。
それでも、浦島の声には楽観的な響きがない。
「敵は、鬼だけじゃないんじゃ」
浦島が厳しい声で言う。
「桃太郎! 海だ! 海に気をつけろ!」
「海!?」
桃太郎が驚いた顔をして、こっちを見てくる。
そのとき、突然桃太郎の体が宙に浮きあがった。足をばたばたさせてても、地面に届かない。
「な、なんじゃこりゃ!?」
驚く間もなく、桃太郎は浦島が縛り付けらていた岩まで吹っ飛ばされた。
「「桃太郎!」」
赤ずきんと浦島は、桃太郎の体を受け止める。間一髪、桃太郎の体が岩に激突するのを免れた。
「全く、この程度のガキに手こずるとは、情けないねえ」
艶めかしい声がして、三人は海の方を見た。
水をそのまま織って布にしたような淡い色の着物に身を包んだその女性が立っている。黒い髪が腰まで伸びており、肌は透けるように白い。珊瑚のように赤い唇は不敵な笑みを浮かべていた。
鬼達が顔をひきつらせる。
「お、乙姫様……」
鬼達のつぶやきに、一同が凍り付く。
乙姫は相変わらず、その笑みを崩さなかった。
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