6 過去

 「……ろう、桃太郎!」


 目覚めてから最初に目に入ったのは、今にも泣きそうな赤ずきんの顔だった。


 「赤ずきん?」


 桃太郎が寝ぼけて言う。

 赤ずきんは、桃太郎の肩をひっぱたいた。


 「起きて、大変!」


 悲鳴じみた声を上げる赤ずきん。桃太郎の目が一気に覚めた。


 「どうしたんだ?」


 桃太郎が体を起こすと、赤ずきんは一枚の紙を見せてきた。


 「これ、起きたら置いてあった」


 桃太郎が紙に目を落とす。「桃太郎と赤ずきんへ」という文面が、目に飛び込んできた。


 「浦島!?」


 桃太郎は手紙にかじりついた。


 『桃太郎 赤ずきんへ

 二人がこの手紙を読んでいる頃、きっとわしは鬼ヶ島にいる思う。勝手なことをして、本当に申し訳ない。どうか、もうろくじじいの聞き苦しい言い訳を聞いてほしい。他でもない、わしが”主人公“として体験した物語についてのことだ。


 ずっと昔、まだ二人と同じくらい若かった頃、漁師をしていたわしは、浜で子供たちが亀をいじめているのを見つけた。”主人公“だったわしには亀の悲鳴が聞こえていたが、子供たちは気づかなかったらしい。わしは、子供たちは子供たちを注意して、亀を助けてやった。


 亀はたいそう喜んで、「お礼がしたいから、竜宮城に招待したい」と言い出した。最初は丁重に断った。竜宮城とは何か分からなかったし、弱った亀に無理をさせるのは気が引けたから。それでも、亀は「頂いた恩を無碍むげにするわけにはいかない。きっと、乙姫様も喜んでもてなしてくれる」と、熱心にわしを誘ってくれた。そこまで言われたら断る方が失礼だと考え直したわしは、そのお誘いを受けることにした。今思えば、竜宮城や乙姫様への好奇心が抑えられなかっただけかもしれん。若気の至りというやつだろう。


 亀に乗って海の中を進んでいくと、そこには立派なお城があった。そこでは、乙姫という女性がいて、旨い料理やら魚達の舞やらで、わしをもてなしてくれた。全部が、この世のものとは思えないほどの美しさだった。帰りたくなくなるほどに。気づけば、すっかり長居をしてしまっていた。夜が来なかったのでよく分からないが、おそらく三日くらいは宴が続いただろう。


 わしは乙姫に、「そろそろ帰りたい」と申し入れた。乙姫は、すごく残念そうな様子だった。わしだって名残り惜しかったが、家族のことも心配だった。


 乙姫は、わしに漆塗りの箱を手渡した。


 「浦島さん、本当は、ずっと二人でいたい。でも、あなたが海の中にずっといることができないのも分かっています。もし海の中に戻りたくて、寂しくなったら、この箱を開けてください」


 わしは、この箱の中には何が入っているのか訊ねた。でも、乙姫は首を横に振った。


 「贈り物ですもの、あなたがご自分の目で確かめた方がいいですわ。お願いですから」


 これはおかしいぞ、と心の中では思っていた。でも、綺麗な娘が目を潤ませて言ってくるものだから、すぐに否定するのも申し訳なかった。酒もたらふく飲んでいたし、正常な判断ができなかったんだ。結局、箱を持ったまま、亀に送ってもらって、わしは浜に帰った。


 浜に帰ると、村の様子がおかしかった。確かに故郷であることには変わりないのだが、知っている人が誰一人いなかった。住んでいた家は空き家になっていて、誰も住んでいなかった。近所の人に「ここに浦島という人は住んでいなかったか」とたずねると、「浦島さんなら、ずいぶん前に亡くなりましたよ。息子さんがいなくなって、心が弱ってしまったみたいで」と答えた。その人も、わしの両親のことは知らなかったらしく、悲しむ様子もなく教えてくださった。


 そこでわしはやっと気づいたんだ。竜宮城での数日間は、地上の世界での何十年間にも相当するということにな。


 わしは、浜に戻って一人で泣いた。わしが遊んでいる間に、友達も家族もみんな死んでしまった。酒に酔って、女にのろけていたから、こんな目に遭ったんだ。耐えきれなくて、涙がどんどんこぼれた。


 そのとき、わしは乙姫に持たされた箱のことを思い出した。箱を見た途端、竜宮城の景色が、ありありと目に浮かんできた。出来ることなら、一刻でも早くあそこに帰りたい。こんなところにいるなら、いっそ死ぬまで遊んで暮らしていればよかったのに。わしは、箱を開けた。


 箱の中からもくもくと白い煙が出てきて、それが見えなくなると、急に体が重たくなった気がした。視界がぼんやりとかすむし、さざ波が遠くに聞こえた。手を見ると、皺だらけだった。わしは、見ての通りの老人にされてしまっていたんじゃ。


 家族を放って遊んでいたのだから、これくらいの報いは仕方ない。わしは、かつて家族と住んでいた空き家に住み着いて、また漁師として働き始めた。村のみんなは優しくて、新参者のわしにも良くしてくれたのが幸いだった。


 しばらく村で過ごしていると、今度は村に鬼がやってくるようになった。鬼達はみんなが獲った魚や、貴重な米を根こそぎ奪っていった。「この村に”主人公“はいない、逆らう奴はいない」と鬼達は言っていた。乙姫と鬼はグルで、”主人公“だったわしを排除しようとしていたんだ。


 わしは、自分がどうにかしなければと思い、鬼退治を決心した。でも、乙姫にやられて老人にされたこの体では、鬼に敵わない。そんなときに、桃太郎、君の噂を聞いたんじゃ。魔除けの実、桃から生まれた少年がいるとな。


 突然押し掛けたわしのことを、君は当然のことのように受け入れてくれた。赤ずきんも、わしらの無理なお願いを聞いてくれた。二人には、感謝してもしきれん。本当に、どうもありがとう。


 でも、世の中はそう甘くない。優しいだけじゃ、解決できない問題だってある。善意で亀を助けたわしが老人に変えられてしまったようにな。自分を犠牲にしてまで、誰かを助けることなんてない。


 だから、わしは一人で鬼を倒しに行くことにした。関係ない二人を巻き込むのは良くないからの。


 今まで、本当にありがとう。手紙での別れになってしまった無礼を許してほしい。家族を大切にして、幸せに暮らしてくれ。二人の幸せを願っておる。


 浦島太郎』


 桃太郎は、ぐしゃっと手紙を握りしめた。


 「何だよ、これ。こんなの納得できるわけないだろ!」


 自分を犠牲にしているとは思っていなかったのに。浦島のためなら頑張ろうって心に決めていたのに。


 「勝手に出ていくなんて、あんまりだろ……」


 桃太郎は手紙を地面に叩きつけると、歩き出した。


 「どこ行くの?」


 赤ずきんが、とっさに桃太郎の腕をつかむ。


 「浦島のところに決まってるだろ。急いで追いかけて、鬼を倒しに行く」

 「何を言っているんだ。行ったって、倒されるだけだぞ!」

 「浦島だってそうだろ。赤ずきんは、浦島がどうなってもいいって思ってるのか?」

 「違うよ!」


 赤ずきんが、泣きそうな声で叫んだ。


 「桃太郎に何かあったら、どうするんだよ」


 桃太郎は、決まりが悪くなって目をそらした。

 無茶なことくらい分かっているのだ。それでも、行かなくちゃいけないのだ。


 「じゃあな」


 桃太郎が赤ずきんを振り切って、歩き出そうとした、そのときだった。


 「桃太郎ー!」


 聞き覚えのある声がして、桃太郎ははっと振り返った。見ると、山の上から、全速力で誰かが走ってくる。


 「ば、ばあちゃん!?」

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