5 葛藤

 その日の夜、桃太郎は浦島に狼との一部始終を説明した。浦島は、最初から真剣な顔で話を聞き続け、最後には目を潤ませていた。


 「赤ずきん、そんな、辛いことを……」


 涙声の浦島に、赤ずきんが苦笑する。


 「別に浦島が泣くことじゃないよ。私の問題だから」


 赤ずきんはそう言って、木の椀に注いだお茶を飲み干した。


 「本当に、それでいいの?」


 桃太郎がたずねる。

 狼を倒すために、彼女は六年も修行を続けてきたのだ。それが全部無駄になってしまったかもしれない。桃太郎は不安だった。


 「いいよ、私は。おばあちゃんにも、ちゃんと説明する。分かってもらえるかは分からないけどね。むしろ、桃太郎には礼を言いたい。あのとき止められてなかったら、狼を殺していたかもしれないから」


 赤ずきんがちょっと微笑む。桃太郎もつられて笑顔になった。


 「やっぱり、笑った方が美人に見えるのう」


 浦島が呟く。

 余計なことを言うな! と、桃太郎は内心思ったが、手遅れだった。赤ずきんは、いつもと変わらない無表情に戻っていた。


 「そんなことより、これで鬼退治の修行に専念できるようになったな」

 「ああ、その鬼退治のことなんじゃが」


 浦島が口を挟んだ。


 「もう時間がないんじゃ。そろそろ、修行を切り上げて出発した方がいいと思う」

 「ダメ!」


 赤ずきんが食い気味になって言う。


 「今行っても、無駄死にするだけだよ」

 「でも、その間に村のみんなが死んでしまったらどうなるんじゃ!?」

 「それにしたって一緒だよ。村の人達だけ死ぬか、村の人と私達が死ぬか、どちらかになる」

 「村のみんなを見放せっていうのか?」

 「違う。自分を大事にしろってこと」


 赤ずきんの言葉が強くなる。浦島も負けじと言い返した。


 「赤ずきん、あなたが思っているより、事態は深刻なんじゃ。急がないと、本当に死人が出る。わしは本気じゃよ」

 「私だって本気だよ。狼と対峙したこと、あるでしょ? 私も、鬼と戦ったことはない。でも、おそらく鬼は狼のよりも強い。今、あなたが鬼と戦ったら、勝てる? 誰かを助けられる?」


 浦島は、言い返せなくて黙り込んだ。

 桃太郎は、亀のように体を縮めていた。事態がどれだけ差し迫っているのか、全く理解できていなかったのだ。


 「桃太郎は、どう思う?」


 急に赤ずきんに話を振られて、桃太郎はびくっと体を震わせた。浦島も、桃太郎をじっと見ている。


 「俺は……今、鬼と戦っても、勝てる気はしない。でも、浦島の、早く行きたい気持ちもよく分かる。旅を続けながら修行するって、どう?」


 浦島と赤ずきんは、顔を見合わせた。どちらも、腑に落ちない顔をしている。


 「ごめん、余計なこと言ったかも」

 「いや、いいんじゃよ」


 浦島が少し微笑んだ。


 「答えを急いたわしが悪かったの。ちょっと頭を冷やしてくる」


 浦島は立ち上がると、炎から離れた。


 「桃太郎……私、冷たかったかな」


 赤ずきんがぽつりと言った。


 「いや、冷たくはないよ。赤ずきんは、浦島のためを思って言ったんだろうし」


 桃太郎が調子を合わせて言う。

 赤ずきんは腕の中に顔を埋めた。


 「別に、浦島のためを思ってるわけじゃないよ。浦島が怪我したら、私が嫌なだけ。浦島も、おばあちゃんみたいになったら、どうしよう……」


 赤ずきんの声がくぐもっている。


 「優しいな、赤ずきんは」


 赤ずきんが目だけ上げた。少しまつ毛が濡れている気がするが、何も言わないことにしておく。


 「桃太郎もね」

 「いや、俺はお人好しなだけだよ」


 今なら分かる。特別な力があるわけでもないのに、いきなり押しかけてきた浦島の頼みを受けて、鬼退治に出かけるなんて、まともな判断では無いのだ。なのに、浦島が困っているのを放っておけなくて、家を飛び出してしまった。自分の阿呆さに、つくづく呆れてしまう。

 でも、それほど後悔はしていないのが、自分でも不思議だった。


 赤ずきんは顔を上げて微笑んだ。今まで見た中で、一番優しい顔だ。


 「あんたのそういうところ、好きだよ」


 桃太郎の顔が真っ赤になる。桃太郎は、それを誤魔化すように横になった。


 「もう寝る!」




 桃太郎は夢を見ていた。

 彼の目の前に、一人の女性が立っている。

 陶磁のような白い肌に、絹のような黒い髪。切長の目は魅惑的で、吸い込まれそうなほどだ。あちこちに刺繍が施された豪奢な着物が、よく似合っている。


 「この世の“主人公”の一人、桃太郎よ」


 女性は、深い声で言った。

 桃太郎の背筋が、反射的に伸びる。直感的に、この人には敵わないと悟ったからだ。


 「桃の実は、魔除けの実。桃から生まれ、桃の名を持つお前は、世界から災いを退ける使命を負っているのです。そのことを忘れないように」


 この人は何を言っているのだろう。魔除けとか、災いとか、よく分からない。大体、自分は桃からうまれたわけではないはずなのだが。反論したいことはたくさんあったが、口が動かない。夢とは往々にして、理不尽なことが起こるものだ。


 女性は、きりりと引き締めた口元を、おもむろに緩めた。


 「期待していますよ、桃太郎……私の息子」


 言ったとたん、女性の美しい顔がどんどんしわしわになっていった。そして、最後には、あのおばあさんの顔になったのだ。


 「ばあちゃん!?」


 桃太郎が叫んだ。


 あ、声が出せる、と思った次の瞬間、体がふいに沈んでいった。


 目の前が青くゆらめいた。体がふわふわする。水にもぐっているようだ。


 しばらくすると、目の前にお城が見えてきた。豪華な門は朱色に塗られていて、巨大なサンゴのようだ。重たそうな岩の扉の向こうから、愉快な音楽と女の人の歌声がかすかに聞こえている。

 海の中のお城だ、桃太郎は思った。浦島がかつて話していた、あのお城だ。


 急に、岩の扉が勢いよく開いた。扉の向こうは、塗りこめたような闇だ。と、思うと、門に向かって水が流れ始めた。桃太郎の体が門の向こうへ吸い込まれていく。


 体の芯が、恐怖でしびれてくる。耳に飛び込んでくるのは、ごうごうという水の音、相変わらず聞こえてくる音楽、女性の歌声。


 「浦島!」


 桃太郎は声の限り叫んだ。闇が目の前まで迫ってくる。


 「浦島! 浦島ぁぁ!」


 まもなく、桃太郎の視界は真っ暗になった。

 

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