4 因縁

 前方に浦島の青い着物、もっと先に赤ずきんの赤いマントが揺れているのが見える。桃太郎は必死にそれを追っていた。


 修行が始まって二週間が経ち、やっと手応えが出てきた。完全にこなせているわけではないが、最初から優秀だった浦島太郎にも追いつけるようになっている。

 土の上はぼこぼこしているので、走るには体幹の筋肉が必要だ。最初は難しかったけど、今はかなり上手く走れるようになってきた。緑の中で走るのは気持ちがいい。


 「ようし、追いついてやる!」


 桃太郎は足をいっそう早めた。

 すると、うなじがぴりっと痺れるような感覚がした。味わったことのある感覚だ。

 まもなく、目の端に黒い塊が見えてきた。狼だ。

 左右に一匹ずつと、真後ろに二匹。この前と同じ奴らしい。


 前方にいる浦島や赤ずきんに知らせるか? いや、それはやめた方がいい。気づかせるには叫ばないといけないし、それで狼を刺激するかもしれない。二人を危険な目に遭わせられない。


 桃太郎は足を踏ん張ってその場に立ち止まった。足元の草が散った。

 狼も立ち止まって、桃太郎を取り囲む。


 「何をしに来た? 縄張りのこと、そんなに根に持っているのか?」


 桃太郎は、低い声で言った。

 狼も唸り声をあげる。


 「お前に用はえ。俺達は、赤いのに話があって来たんだ」


 赤いの……赤ずきんのことだろうか?

 桃太郎は、正面の狼を精一杯睨みつけた。


 「赤ずきんには、指一本触れさせないぞ」

 「話の分からねぇ奴だなぁ。そいつに会わせてくれればいいだけなのに」

 「そうはいかない。まずは俺と勝負だ!」


 狼達は顔を見合わせた。


 「めんどくせぇ奴だ。そんなに戦いたいなら、付き合ってやる!」


 言うや否や、正面の狼が飛びかかってきた。

 危ない! と思った次の瞬間、桃太郎は咄嗟に身をよじらせた。狼はまっすぐ飛んでいって、向こう側に着地した。

 明らかに狼達が戸惑っている。桃太郎自身も、自分の動きに驚いていた。知らない間に、こんなに強くなっていたとは。


 桃太郎は、地面に落ちていた枝を拾い上げた。狼の武器は爪と牙だ。距離を詰められるとまずい。

 桃太郎は、もう一度飛びかかってきた狼を枝で受け止め、枝ごと狼を投げ飛ばした。


 「隙あり!」


 狼の叫び声で振り返ると、狼はすぐ目の前だった。狼は桃太郎に掴みかかると、そのまま地面に押し倒した。


 「この程度か。やはり、赤いのには及ばんな」


 狼の白い牙がぎらりと光る。

 もうだめだ。やっぱり狼にはかなわないんだ。ましてや、鬼になんて……

 桃太郎が目をつぶるのと、狼が情けない声を上げて吹き飛んでいくのが、ほぼ同時だった。目を開けると、すぐそばに頭巾をかぶった赤ずきんが立っている。


 「一人に対して寄ってたかって戦うなんて、感心しないね」


 赤ずきんがドスの効いた声で言う。


 「桃太郎! 大丈夫か?」


 浦島も駆け寄ってきて、桃太郎を抱き起した。

 狼達に向かって仁王立ちする赤ずきん。狼達は、顔を見合わせて、何かこそこそ話し合っている。


 「けだものどもめ……思い知らせてやる!」


 赤ずきんはスカートから、鞘に入った短刀を取り出した。

 浦島が目を見張る。


 「赤ずきん、いつの間にそんなものを!?」

 「少し前から練習していたんだ。やはり、仕留めるには武器が必要だと思って」


 赤ずきんは、鞘を抜き放った。白い刃がきらっと光る。


 「行くよ!」


 赤ずきんの短刀が閃く。次の瞬間、正面の狼の頬から血が一筋流れていた。


 「これやばいよ。やっぱり逃げた方がいいよ!」

 「いいや、なおさらだ。今日でおしまいにしないと、犠牲が出るぞ」

 「どうすりゃいいんだよ!」


 狼達がざわついている。

 その間も、赤ずきんと狼は戦っていた。ただでさえ強い赤ずきんが武器を持ったら、まさに鬼に金棒だ。赤ずきんの短刀さばきに押され、狼は避けることしかできない。


 「やめろ、赤ずきん!」


 狼が、裏返った声で吠えた。


 「おい、やめろよ、赤ずきん! 俺たちの言葉、分かっているんだろ!」


 赤ずきんは、攻撃の手を一切緩めない。

 桃太郎は息を呑んだ。狼の声が、あまりにも悲痛に聞こえたからだ。赤ずきんもやけを起こしているように見える。

 狼が足を滑らせ、体勢を崩す。その隙をついて、赤ずきんは短刀は狼の鼻先目掛けて突き出した。


 「赤ずきん! もうやめろ!」


 桃太郎が叫んだ。

 赤ずきんは、鼻先からあと数センチのところで、刃を止めた。


 「なんで止めるの」


 赤ずきんが唸る声で言う。


 「おばあちゃんのために、私は狼を倒す。桃太郎だって、応援してくれたじゃない」

 「それは、そうだけど……」


 目を泳がせる桃太郎。赤ずきんは短く息を吐いた。


 「赤ずきん、ごめんなさい!」


 狼は地面に伏せると、鼻先を地面に押し付けた。


 「ごめんなさい!」

 「本当に悪かった!」


 次々と狼達が同じ格好になる。三人は呆気に取られてその様子を見ていた。


 「俺達、ずっと赤ずきんに謝りたかったんだ。そのために近づいても、毎回ぶっ飛ばされるから、なかなか言い出せなくて」


 赤ずきんは短刀を構えた格好のまま動かない。


 「それ、一体どういうこと?」


 桃太郎はおそるおそるたずねた。

 狼は軽くうなずいて、話し始めた。


 「赤ずきん……おばあさんのこと、本当に申し訳ないって思ってるんだ。言い訳するつもりはないから、少し聞いていてほしい。俺達、元々人間は襲わないって誓いを立てていたんだ。人間達は森を管理しているし、武器も持っている。敵に回さないで、敬意を持って接しようって決めていたんだよ」

 「でも、あいつは、勝手にその誓いを破った」


 違う狼が憎々しげに言った。


 「あいつは、興味本位で赤ずきんとおばあさんに近づいた。そして、二人を深く傷つけた。俺達だって、あんまりの酷さに驚いたさ。食うためでもなく、縄張りのためでもなく、ただの興味で人間を襲うなんて、許されるべきことじゃない」


 「だから、俺達はあいつを群れから追放した。あいつにはカミさんもいなかったから、子孫も残ってない。これで一安心、と思っていたら、今度は君が襲ってきたんだ」


 「俺達、おちおち森も歩けなくなったよ! 子供もいて、食べさせないといけないっていうのに」


 「責められても仕方ないし、許してくれとも言わない。ただ、俺達を襲うのはもうやめてほしいんだ……」


 狼達が口々に言った。赤ずきんは、まだ何も言わない。


 「あー、えっと、赤ずきん。あいつらが何を言ってたかって言うと……」

 「分かってる。分からないふりしてただけ」


 赤ずきんがぽつりと言う。


 「私も、心のどこかで、こんなの意味無いって分かってた。でも、おばあちゃんのためだって、狼がいなくなればこんな風に悩むことも無いって、思い込もうとしてた」

 「だから、狼を仕留めきれなかったんじゃな」


 浦島が呟くと、赤ずきんは短刀を下ろした。


 「私、あいつと一緒じゃん。大した意味も無いのに、他の生き物傷つけるなんて」


 赤ずきんは、おもむろに頭巾を取った。青い瞳が、涙で濡れている。


 「ごめん。もう自分からは襲わない。約束する。本当にごめんなさい」


 赤ずきんは深々と頭を下げた。


 「謝らなくてもいいよ」

 「悪いのは俺達だしな」

 「分かってほしかっただけだから」


 狼は軽く言葉を交わすと、颯爽と去っていった。三人は、しばらく狼が去っていくのを見守っていた。


 「で、桃太郎」

 「浦島、どうしたの?」


 浦島が口を開く。


 「あいつら、なんて言ってたんじゃ?」

 

 

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