3 修行

 「も、もう無理だ……」


 立ち止まるや否や、桃太郎はその場に倒れ込んだ。クラクラするし、服は汗で湿ってべたついている。


 「大丈夫か、桃太郎!?」


 浦島太郎がかがみこんで、桃太郎の背をさすった。


 どれくらいの時間、動き続けていただろう。朝早くから始めたのに、もう日が傾いている。服は、汗で湿っている上にあちこち擦ってぼろぼろだ。


 「もう、だめ……」


 桃太郎は四つん這いになると、近くの小川まで這って行った。


 修行を初めて一週間が経つが、全然強くなった気がしない。

 桃太郎だって、幼い頃には野山を駆け回って遊んでいたものだ。でも、それとこれとはわけが違う。腕立て伏せやスクワットをした後、森の中をものすごい速さで駆け回り、そのあとまた腕立て失せ、そして突きや蹴りの練習……一日中動いて、足が棒のようだ。


 赤ずきんは小川のそばを、森の中の拠点にしていた。この川は桃太郎が住んでいた村にも、浦島太郎が住んでいた漁村にも流れているものらしい。


 桃太郎は手ですくって小川の水を飲んだ。よく冷えた水が喉を通っていくのが、気持ちいい。


 「ぷはあ、生き返った……」


 桃太郎うっとりとした様子でつぶやいた。浦島も、腰にぶら下げていたひょうたんに小川の水をとって、ごくごく飲んでいる。


 「このくらいでつぶれているようじゃ、だめだよ」


 赤ずきんは、涼しい顔をしている。

 まあ、それは普通だろう。気になるのはそこじゃない。


 「なんで浦島がそんなに元気そうなんだよ!?」


 確かに疲れてはいそうなのだが、桃太郎ほどへばっているようには見えないのだ。恐ろしい体力である。

 浦島は愉快そうにけらけら笑った。


 「見た目で判断しちゃあならんぞ。わしは桃太郎と同じ、心はの若者なんじゃよ」

 「……へ?」

 「冗談じゃ。間に受けるでないよ」


 旅や一週間の修行を経て、桃太郎は浦島ともかなり仲良くなっていた。浦島とは親子以上の歳の差がありそうだが、同い年の友達のように接している。


 「全く、すごいもんだな。赤ずきんは、いつからこんな事続けてるんだ?」

 「九歳のときからだよ」

 「「九歳!?」」


 桃太郎と浦島は声を揃えた。

 赤ずきんは軽く頷くと、桃太郎の隣に腰を下ろした。


 「九歳のとき、私と祖母は狼に襲われた。幸い、私も祖母も命は助かった。でも、祖母は今も私以外の人と、口を利かなくなった。祖母がまた安心して森を歩けるように、狼退治を始めたの」

 「……ごめん、辛いこと話させちゃって」


 桃太郎の言葉に、赤ずきんが首を振る。


 「いや、気にしないで。隠してるわけでも無いし」


 きりりと結んだ唇に、切長の青い瞳。刃の切先のようだ、と桃太郎は思った。


 「赤ずきんは、優しいのう。おばあさんのためなんて」


 浦島が柔らかい声で言う。


 「私は優しくないし、強くもないよ。五年も修行しているのに、狼を仕留められない。追い払うことしかできない」


 赤ずきんが震え声で言った。そのまま、腕の中に顔を埋める。

 頼りなげな細い肩。小さく震えている。


 「赤ずきん」


 桃太郎は、もじもじしながら赤ずきんの肩に手を置いた。

 赤ずきんが少し顔を上げる。


 「いつか、赤ずきんもおばあさんも元気に過ごせる日が来ると思うよ。だって、赤ずきんは今、こんなに頑張ってるんだから」


 赤ずきんがちょっと微笑む。強張った赤ずきんの顔が、一瞬綻んだ。やっぱり、笑うと可愛い。


 「桃太郎、あんた、ヘタレだけど、いい奴だね」

 「なっ、なんだよ、ヘタレって」


 桃太郎は顔を赤らめた。暗くて助かった。バレたら、どんな風に言われるか分からない。

 赤ずきんはまたすぐに真面目な顔に戻って、立ち上がった。


 「二人は疲れているだろうから、ここで待ってて。私が薪を集めてくる」


 颯爽と去っていく赤ずきん。真っ赤なマントがなびくのを、桃太郎はぼんやりと見つめていた。


 「すごい人だよなあ。俺、九歳のとき何してたっけ。浦島は?」


 桃太郎が振り返ると、浦島は四つん這いになって川面を見ていた。


 「ん? 何かいるの?」


 桃太郎も川面を覗きこむ。でも、魚の背びれが時折光る以外、何も見えない。


 「もうすぐ、また鬼が来るようじゃ」


 浦島は重苦しい声で言った。


 「海の中が騒がしい。鬼に奪われる分、いつもより多く漁に出ているらしい。魚たちも怯えているようじゃ」

 「でも、これ、川じゃないか」

 「川と海はつながっておる。川の様子を聞けば、海の様子もおおよそ見当がつく。詳しいことは分らんがの」

 「はあ」


 桃太郎は浦島の横顔を盗み見た。真面目な横顔は、さっきの赤ずきんとよく似ている。


 「わし、魚と話せるんじゃよ」

 「えっ!?」


 桃太郎は目を丸くした。浦島太郎はきょとんして桃太郎を見る。


 「そんなに驚くことはないじゃろうよ。おぬしは、狼と話していたではないか」

 「うそ、浦島は聞こえてなかったの?」

 「四つ足の獣のいうことは分からんよ」

 「そうだったんだ……」


 なんとなく話が通っていたから、浦島にも聞こえているのかと思っていた。というか、物語補正的にみんな喋れるものだと思っていたのだ。


 「この世界には、”主人公”と呼ばれる人達がいるそうじゃ」

 「”主人公”?」

 「”主人公”は、特殊な能力を持っていたり、不思議な冒険を経験したりすることになるそうじゃよ」

 「特殊な能力って……動物と話したりする能力ってこと?」

 「ああ。桃太郎もきっと、”主人公”なんじゃろうな」


 浦島太郎は、優しい声で言った。

 そうだよなー、俺って桃から生まれてるんだもんなー、と思ったところで、桃太郎はハッとした。そうだ、桃太郎は桃から生まれていたのだ。


 桃太郎は必死になって頭を働かせた。とにかく、自分が桃から生まれていないとバレるのはまずい。何とか、話題を自分から逸らさないと。


 「浦島も”主人公”ってことだよね。どんな冒険をしたの?」

 「わしは、海の中に行ったんじゃよ。海の中には、綺麗なお城があっての」

 「海の中のお城!? それから?」


 浦島太郎は一瞬ほほえんだが、また真面目な顔に戻ってしまった。


 「まあ、そのあとは、色々じゃよ」

 「色々?」


 微笑んでいるだけの浦島。

 ”主人公”になれたからといって、幸せになるわけではないらしい。

 急に不安になってきた。”主人公”の自分は、鬼退治を成功させることはできるのだろうか?


 「ねえ、浦島」

 「なんじゃ?」

 「鬼退治が終わったら、俺も連れて行ってよ、海の中のお城」


 浦島太郎はにっこり笑った。


 「そうじゃの。一緒に行こうか」

 「やった! 約束だよ!」


 二人の太郎は笑いあった。

 桃太郎は、心の中で決心した。絶対鬼退治をやり遂げて、浦島が体験した物語を自分も見てみよう、と。

 

 

 

 

 

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