2 師匠

 桃太郎と浦島は、森の中を歩いていた。桃太郎の故郷は山奥の村、隣村まで行くにも一苦労である。


 「……で、おれたちはどこに行かなきゃいけないんだ?」


 桃太郎が、はずんだ息を整えて言った。

 浦島は見た目にそぐわない身のこなしで、どんどん歩いていく。


 「鬼が潜んでいるのは、鬼ヶ島という島だそうじゃ」

 「島……っていうことは、海を越えていかなくちゃいけないの?」

 「そういうことじゃな」


 遠すぎる! と言いかけて、桃太郎は口をつぐんだ。

 生まれてこの方、桃太郎は山を降りたことがない。海なんて話に聞くだけで見たことはないし、魚もほとんど食べたことがない。


 急に不安になってきた。勢いで家を飛び出してきてしまったが、本当に大丈夫なのだろうか?


 「浦島さん」

 「なんじゃ?」

 「俺、あんなこと言ったけど、やっぱり心配だよ」


 浦島はにっこりと笑いかけた。


 「わしも、不安でたまらない。でも、桃太郎くん、君がこうしてついて来てくれるだけで、すごく心強いんじゃよ。勇気を出してくれてありがとう」

 「浦島さん……!」


 桃太郎の目頭がかっと熱くなる。これはもう、絶対に鬼退治を成功させなければ。


 と、そのとき、桃太郎は、うなじがぴりっと痺れるのを感じた。嫌な予感がする。


 「浦島さん、走れる?」

 「少しなら……」

 「行くよ!」


 桃太郎は浦島の手を取って走り出した。

 まもなく、左右から黒い塊が並走してくるのが目に入った。狼だ。


 「ひいっ」


 浦島の短い悲鳴が聞こえてきた。

 幼い頃から、この辺りの山を駆け回って遊んでいたが、狼に出くわしたことは数回しかない。あの頃はぎりぎり逃げられたが、人を連れて逃げるのではわけが違う。

 こんなところで死んでたまるか。桃太郎はいっそう強く浦島の手を握った。


 狼達がじわじわと間合いを詰めてくる。狼の息づかいが聞こえてくる。いよいよまずい。


 すると、目前に大きな木が見えてきた。幹が太く、こぶがたくさんある。


 「浦島さん、あの木に登って!」

 「分かった!」


 浦島は桃太郎の手を振り払うと、一目散に駆け出し、必死になって木を登り始めた。


 浦島は何度もずり落ちそうになりながら、慣れない様子で登っていく。とはいえ、狼から逃れるのにそこまで高く登る必要は無い。何とか間に合うだろう。


 「桃太郎くん! 早く!」


 木にしがみついている浦島が声を張り上げる。


 もうすぐでたどり着く、というところで狼が目の前に躍り出た。左右を見渡すと、右に一匹、左に一匹、後ろに一匹、合計四匹だ。


 「囲まれた……」


 冷たい汗が、桃太郎の背中を流れていく。


 「ここは俺達の縄張りだ。去れ!」


 正面の狼が吠えた。


 「ちょっと通り過ぎただけだろ! そんなに怒るなよ!」


 桃太郎が負けじと言い返す。


 「何を言っても聞かんぞ!」


 浦島が震える声で叫ぶが、そんなことを言われても困るというものだ。説き伏せること以外にこの状況を打破できるやり方があるなら教えてほしい。もっとも、説得できる相手とも思えないが。


 「もう腹が立った。お前なんて噛み殺してやる!」


 正面の狼が鞠のように跳ね上がる。


 「桃太郎ー!」


 浦島の悲鳴に似た叫び声。

 やられる! 桃太郎は反射的に腕で顔を覆った。


 と、その瞬間、何かが勢いよく桃太郎の視界を横切った。人間だ。すらっとした長い脚が狼を蹴り飛ばす。真っ赤なマントが、緑の森の中で鮮やかに映える。


 真っ赤なマントを着たその人は、狼を手慣れた様子で倒していった。一匹目に回し蹴りを食らわせると、もう一匹目の鼻ずらに鋭いフックを叩き込む。続け様に放たれた飛び蹴りが、三匹目の顎に見事に命中。


 「なんだ、この人……」


 桃太郎はその場で座り込んだ。膝に力が入らない。

 四匹目はというと、後ろ足にしっぽをはさんで、ぶるぶる震えていた。赤いマントを着た人が、ゆっくりと狼に歩み寄る。ただ歩いているだけなのに、すごい殺気だ。


 「お、お、覚えてろよー!」


 四匹目が情けない声で吠えると、仲間を連れ立って森の奥に走り去っていった。


 「……はあ、全く」


 狼達の後ろ姿を見送りながら、赤いマントを着た人がつぶやく。女の子の声のようだが、かなり低い。背丈からみるに、あまり桃太郎と歳は変わらないようだ。

 その人はゆっくり振り返った。フードを被っているので顔は見えないが、ほっそりした顎と金髪が見えている。


 「ん」


 黙って手を差し伸べるその人。桃太郎はぽかんとしたまま動かない。


 「怪我は?」

 「あ、ああ、いや、大丈夫」

 「だったら早く立ちなよ」


 少女は桃太郎の傍を通り過ぎ、木の方に近づいていった。浦島が木から下りるのを手伝っているらしい。


 「ありがとうございます。おかげで助かりました」


 地面に降り立った浦島が深々と頭を下げた。


 「あの、お名前だけでも、教えていただけませんか」


 その人は、ぱっとフードをとった。

 真っ白な肌に、きりりとした青い目。肩まで金髪はぼさぼさだ。森の中を駆け回っていて、髪の手入れをしている暇さえ無いのだろう。


 「狼退治の赤ずきん」


 赤ずきん、と名乗る少女は少しほほえんだ。案外、笑うとかわいい。

 でも、赤ずきんはすぐにほほえむのを止めた。


 「この辺りはよく狼が出る。すぐ出た方がいいよ」


 颯爽と去っていこうとする赤ずきん。真っ赤なマントがはらりとひるがえる。


 「待ってください!」


 桃太郎はとっさに叫んだ。


 「ん?」


 赤ずきんは足を止めた。


 「あの、急で申し訳ないんですけど……俺に戦い方を教えてほしいんです!」

 「も、桃太郎!?」


 浦島太郎が素っ頓狂な声を上げる。桃太郎はその脇で、草の上に這いつくばって頭を下げた。


 「俺、強くなりたいんです! 俺達は、これから鬼退治に行かなくちゃいけないんです。でも、俺、さっき見てもらった通り、すごく弱くて……だから、強くなりたいんです! 赤ずきんさん、いや、師匠! お願いします、俺に戦い方を教えてください!」

 「桃太郎……!」


 浦島太郎が息をのむ。


 「わしからも頼む。お願いじゃ! どうか我らに武術を教えてくだされ」


 浦島太郎も頭を下げる。

 赤ずきんが顔をしかめた。


 「悪いけど、わたしは、そういうのは……」

 「勝手だってことくらい、俺も分かってます。でも、お願いです! 浦島のためなんです!」

 「この人のことか?」


 赤ずきんがちらりと浦島を見る。

 桃太郎は首がもげそうなくらい大きくうなずいた。


 「この浦島さんの故郷が、鬼にめちゃくちゃにされたんです。それを、俺は助けたいんです」


 すがるような目をした、桃太郎と浦島。赤ずきんは二人を交互に見た。


 「……分かったよ。そこまで言うなら、ちょっとくらい面倒を見てやってもいい」

 「本当ですか!」


 桃太郎がぱっと目を輝かせる。

 赤ずきんは背を向けると、また頭巾をかぶった。


 「そうと決まれば、早速始めるよ。二人とも、私についてきて!」


 脱兎のごとく駆け出す赤ずきん。二人はそれを必死になって追いかけた。

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