むかしむかし、あるところに

チバ トウガ

1 出発

 あまり知られてはいないが、「むかしむかし、あるところに」で始まる物語は全て、同じ世界で起こっている。この世界の住人はみな、数奇な運命をたどることになるが、それをまだ、彼らは知らない。



 むかしむかし、あるところに、桃太郎と呼ばれる若者がいた。なぜこのような奇妙な名前がついたかといえば、彼は山神様の桃から生まれたといわれているからである。



 桃太郎はその日も、軽い足取りで家まで帰ってきた。両手には、村人からもらった桃をどっさり抱えている。


 「ばあちゃん、ただいまー」


 桃をわきに置いて、桃太郎は腰を下ろした。ころろん、と一つ、桃が土間へ転げ出た。


 「わあ、たくさん」


 玄関まで出てきたおばあさんが、目を丸くする。


 「桃太郎さんなんだからこれもらってーって、みんなくれるんだよ。こんなたくさん食べきれないって」


 ま、好きだからいいんだけどね、と言って桃太郎は桃を拾い上げて軽く服でこすり、大口を開けてかぶりついた。

 じわっと甘い汁が溢れ出る。桃太郎は、果汁でびしゃびしゃに濡れた手を着ていた着物の裾でぬぐった。


 「いい歳になるっていうのに、行儀もなっちゃいないなんて……」


 おばあさんが深いため息を吐く。


 桃太郎は、もう十八だ。野山を駆け回って遊んでいたからか体格はよく、上背もある。すっかり大人の男といった様子だが、まだまだ心は子供のままである。


 「あのねえ、隣の家の佐吉君はもう自分の畑をもらって働いているし、弥助君は職人を目指して村を出た。あんたはこの先どうするの?」

 「んー、おれ?」


 桃太郎がまた一口かじった。


 「だって、村人のみんながお供え物をしてくれるから食うものには困らないし。別におれだって、何もしてないわけじゃないじゃん。佐吉んところの畑もたまに手伝うし、こないだも道で動けなくなってたおじいさんを……」

 「そういう問題じゃないだろうよ。気まぐれなお節介じゃ、生活していけないだろう。お前だって、自立しないと」


 おばあさんが眉を吊り上げた。


 「んなこと言ったって」


 桃太郎が二つ目の桃に手を伸ばす。その手をおばあさんがぴしゃっとはたいた。


 「いってぇ、何すんだよ!」


 桃太郎は弾かれたように立ち上がった。


 「いいか? 俺は桃から生まれた……」


 「桃太郎さんのお宅はこちらですかな?」


 振り返ると、玄関に知らないおじいさんが立っていた。腰の周りに藁の束を巻いて、小さな壺をぶら下げている。農民というよりは、漁師のような出立だ。


 「あの、どなた様でしょうか? お見かけしたところ、この辺りの方じゃないようですか……」


 おばあさんに言われて、おじいさんはがばっと頭に巻いた手ぬぐいをほどいた。ごわごわした灰色の髪が、一つに束ねてある。


 「わしは浦島太郎というものじゃ。桃から生まれたという桃太郎くんに会いたくて、山の麓の漁師村から参りました」

 「お、おれに?」

 「そうとも。お前さんに、鬼退治を手伝ってほしい」

 「鬼退治だって⁉︎」


 桃太郎が目を剥く。


 「あの、少々お待ちを。ここで立ち話もなんですから、上がってお茶でも召し上がっていってください。桃もありますから」

 「ああ、かたじけないです」


 おばあさんは桃太郎を立たせると、そのまま台所まで引っ張って行き、障子を勢いよく閉めた。


 「なんだよ、ばあちゃん!」

 「しっ」


 おばあさんが人差し指を唇に当てる。その顔は、今まで見たことがないほど険しい。桃太郎は大人しく口をつぐんだ。


 「あんた、鬼退治は断りなさい」

 「せっかくここまで来てもらってるのに……」

 「じゃあ、あんたには鬼が倒せるのかい? そんなに力が強いか? それとも、妖術でも使えるのか?」

 「それは……」


 おばあさんの言う通りだ。桃から生まれたと聞かされてはいるが、人より少し運動神経がいいというだけで、これと思い当たるような特別な力は持っていないのである。「桃から生まれたんだし大丈夫だろう」みたいに高をくくったまま、ここまできてしまっていた。


 おばあさんが深いため息を吐いた。


 「桃太郎……あんた、桃から生まれてないんだよ」

 「えーーーっ⁉︎」


 あんぐり開いた桃太郎の口を、おばあさんが無理矢理にふさぐ。舌を噛みそうになって、桃太郎はむせこんだ。


 「え、ばあちゃん、わけが分からないよ……」


 おばあさんは口の端をぎゅっと引き締めた。


 「騙すつもりはなかったんだよ。本当に、すまないことをしたね」


 一つ一つ、言葉を探すように話すおばあさん。


 「十八年前、わしがまだお姉さんだったときのこと」

 「十八年前もおばあさんだったでしょ」

 「わたしは、産婆として働いていたんだ」

 「やっぱりおばあさんじゃん」

 「うるさいな、黙って聞きなさい」


 おばあさんが呆れたように眉をひそめる。が、すぐにまたしおらしい顔に戻った。


 「産婆として、隣の村まで行ったことがあった。そこで会った母親が、貧しいから育てられないと、生まれた子供を預けてきたんだ。それが、あんただよ」

 「でも、なんで桃から生まれたなんて」

 「あの芝刈りばっかりやってるじいさんが、あんたを引き取ることを許してくれるとは思わなかったんだよ。だから、この子は山神様の桃から生まれたって、嘘を吐いたんだ」


 桃太郎は黙ってしまった。

 嘘を信じ込まされていたことに、腹が立たないわけではない。でも、そうでもしないと自分は赤ん坊の頃に死んでしまっていたかもしれないのだ。秘密を十八年も抱えていたおばあさんの苦しみも、相当なものだったろう。


 「ばあちゃん、おれ……」


 桃太郎が口を開いたそのとき、居間の方からすすり泣く声が聞こえた。桃太郎は、身を翻して、障子を開けた。


 「浦島さん?」


 浦島は体を背中を丸め、声を押し殺して泣いていた。漁師だからか体格の良い浦島だが、その姿は小さい子供のように見える。


 「や、すまないのう。情けない姿を見せてしまって」


 浦島が、広い手のひらで無茶苦茶に顔をぬぐった。


 「桃太郎さんに頼めば何とかなるだろうとここまで来たが、そんなこと、他人様に押し付けようとしていたのが間違っていたんじゃ。お前さんだって、鬼退治に行きたくないに決まっておる。お前さんのおばあ様も、孫が鬼退治に行くのを許してくれはしないだろう」


 桃太郎は俯いていた。なんとなく、気が晴れない。

 浦島は長い息を吐いた。


 「お茶だけいただいて、帰るとしようかの。急にやってきてすまなかった」


 浦島が弱々しい顔で笑う。


 それを見て、桃太郎の中で何かが弾けた。


 「おれ、行くよ、鬼退治」

 「桃太郎!?」


 おばあさんの鋭い声が飛んできた。

 浦島も目を見開いている。


 「いいのかね? そんな、わしのために……」

 「いいんだよ。おじいさんのこと、見捨てられるわけないじゃん」


 桃太郎が浦島の肩を撫でた。


 「あんた、本当に大丈夫なの?」


 おばあさんが顔をしかめる。

 桃太郎はにっこり笑った。


 「大丈夫だよ。何とかなるって。運動神経もいい方だしさ」


 正直なところ、それ以上に何か自信をもたらしてくれるものはない。でも、おじいさんを放っておけなかった。


 「そうと決まればゆっくりはしておれん。すぐに出発じゃ」

 「わかった!」


 桃太郎は自分の部屋に戻って、簡単な身じたくを整えた。大きめな袋に着替えと防寒具を詰め込む。鬼退治に何が必要なのかは分からなかったので、とりあえず長旅ができる用意はしておいた。


 「桃太郎……」


 部屋を出ると、おばあさんが不安そうな顔をして立っていた。


 「本当に、行くのかい?」


 おばあさんの、渋い声。桃太郎の顔が強張る。


 「手、出しなさい」

 「手?」

 「ほら、早く」


 桃太郎が手を出すと、おばあさんはその上にきび団子を一つ乗せた。

 黄色い砂糖がたくさんかかっている団子。しっとりと柔らかい感触が伝わってくる。


 「しっかりおやり」


 桃太郎は、おばあさんを見、手のひらの上の団子を見、またおばあさんを見た。

 おばあさんは、静かにほほえんでいるだけだ。悲しんでいるようにも、怒っているようにも見える。


 「いってきます!」


 桃太郎は声を張り上げて、くるりと身を翻した。


 きび団子を口に放り込むと、優しい甘さが口の中に広がってきた。ふいに泣きそうになって、桃太郎は唇を噛んだ。

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