第2回目(自己評価が低すぎるのもナルシスト説)
友達が言っていた。
「俺は運動も勉強も出来るし顔も良い」
これ聞いて、ナルシストか。って一瞬思ったけど全て事実なんですよね。客観的視点である自分(紛らわしいですが、ここで言う『自分』は筆者の一人称です)から見ても。
それと引き換えに自分は
「運動も勉強も出来ないし顔も学校一不細工」
とずっと心の中で思っていました。さて本当にそうか。運動ができるできない、勉強ができるできないは校内、クラス内順位で数字としてしっかりと出ている事実なんです。
(視野を広げればいくらでも下は存在するだろうが、そこは別問題という事で今回は校内である事を前提とします。視野を広げる話は「承認欲求編」がもしあれば、そこで深く話すことにします)
しかし、「校内一不細工だ」という称号は本当に自分が獲られるのか?もちろん全員の顔をまじまじと見た事は無いし、何を持って不細工とするなんて各個人の話すぎて、何も全体の総意見として出すものじゃ無いと思う。
ここで明らかとなる、校内一不細工という称号は自分の根拠のない卑下から生まれた物だという事実。自分が1番下であるという思考停止の結論を無理やりつけて、現実逃避してるんじゃないかって。
*それって結局自分が可愛いから甘やかしてしまうからじゃないかって。*
そう最近思い始めました。
それを裏付けるんじゃないかって行動も1つあるんです。
それは、音ゲーが上手い俺カッケぇ行動です。音ゲーというのは音楽ゲームの略で、例を挙げるなら某太鼓を叩くゲームとかですね。そうです、ゲームセンターの入り口によくあるやつです。
まあ自分はそこそこ音ゲーをやっていて、ゲーセン行って三脚立てて自分のプレイ動画を撮るわけですよ。もちろん撮影許可は得ていますよ。
動画をたくさん撮って、家に帰って1つ1つ確認するわけですよ。すると
「自分めっちゃ上手いなぁカッコいいな」
とかニヤけてくるわけです。少なからずナルシスト的面もあるとわかりますよね。ここで。
と言うことはある点ではナルシストで、ある点では違うのか?
そういうことじゃ無いと思うんです。
自分は自分が大好きだから、自分の評価が下がる面を直視したく無いんです。現実を見てしまったら、メンタルが保たないから。自分は1番下であると決めつけることで、現実を直視しなくていい。直視しない事で、一抹の希望を氷山の1番下に宿したまま生きれる。
人間って、これはこういうものだ。って頭で理解していても、全くもってそれを理解出来てないと思うんです。
何か大きなきっかけがあって初めて、これまで自分は理解していたつもりだったんだなって気付くんです。(すみません、主語大きくしすぎたかも知れません自分だけかも知れません。)
謙遜という文化はそれを代表する例になると自分は思っています。
あくまで、本心でなくても謙遜する。自分を遜る。ここで自分は謙遜のつもりでもその習慣が脳にくっ付いてくるんじゃないかって
ここで、分からなくなって来たのでまとめると、
自己防衛のための自己否定+謙遜の習慣が思考回路に組み込まれた自己否定プロセス
が合体する事で過度に低い自己否定感を生み出しているって言うのが結論です。
ああ、始まりの文から相当本題がズレてしまいました。
すみません。ここまで本当に下書きも、文章の構成も何も考えず頭に浮かんだ事を繋げているだけなので、相当意味のわからない文になっていると思います。
変なところですが疲れたのでここで終わります。ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。
追記
前回の駄文にいいねしてくれた方、本当に嬉しかったです。ありがとうございました。
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