人生を斜交いに生きた男 実話 3

朝焼け夕焼け

第3話

大方は移動販売車が回って来たりで、豆腐やアサリ、シジミなんかはラッパを吹いて自転車で売り歩いていたり。近所にはスーパー、コンビニも全く無い時代。

 此処の施設は800坪も有り、本館は洋式で3階建てで、他に2階建ての母屋が有り、平屋の離れが2箇所と地下室も2つあり。

 庭の片隅には大きな2階建ての耐火式お蔵もあったのだ。母屋の中には中庭があり、紅葉と石灯籠に苔が配置されて粋な作りになっていた。大門から砂利道が約3mルの幅で、長さが70mも、普通車なら4台は停められる広さ。歩くとジャリジャリと音がするので防犯の役目も兼ねていた様だ。

 それに四季折々には花木が咲き誇っていた。桜、紅葉、楓、ツツジ、銀杏、牡丹、薔薇、コスモス等々。それに群がってくるカブト虫、クワガタムシ、カナブン、カミキリムシ蝉、トンボ、蝶々にグリーン色の玉虫にわくわくしたものだ。当時は農薬も少なかったので自然にはかなり恵まれ、春には向かいの屋敷との連携プレーなのか、道路を挟んで桜のトンネルが約100mもありそれは見事なもので、あちこちから撮影が来ていた。5月にはツツジが満開になり、今でいうインスタ映えする隠れた名所だった。秋には紅葉、楓が紅く色付き、金木犀の香りが風に乗って流れて来たりで、、、

 男子10人、女子10人計20人が一応の定員になっていた。下は小学1年生から中学3年生までが決まりになっていたが、私の場合はシスターの一存で乳幼児でも入所出来たのだ。私の様な全くの家系の手掛かりが一切無い天涯孤独な子供は滅多にいない様だ。大方の子供は片親とか、親戚がいたり、病気療養中や刑務所にいたりで、兄弟もいる子が多いので、、、途中で此処を出て行く子供もいるのだ。然しシスターは余程私の事を不憫に思い例外的に、それに創設期だったのも影響したのかも⁈その後乳幼児は一切受け入れなかったのだ。

 それと余程優秀な男子の場合で素行が良い場合は高校まで進学出来たが、殆どの子供は中学で卒園に、然し私の3歳上の先輩は高校を卒業して兵庫県警に頑張って出世していく程にだんだんと冷たくなっていったのが腑に落ちなかった。偉くなる程保守的になるのか。

 高校生にもなると男女問のトラブルが発生したり、保母さんの手に負えない事案が発生するのを恐れて殆どは中学卒業で世に送り出すのだ。 

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