第5話 辻さん 1
いつものように会社を開けて、ボチボチと業務を捌きながら、俺は一日を過ごしていた。そんな中、いつものようにニコニコしながら辻さんが支払いにきた。俺はこの婆さんが結構好きである。いつもニコニコしてるから。辻さんは70を越えた婆さんである。仕事は近所の中華料理屋で皿洗いなどの雑用をしてる。収入はこの仕事と年金である。その辻さんは昔から日払いに手を付けてるらしい。もちろん俺がこの仕事に入るかなり前からである。一度、こちらの手違いで辻さんを怒らしたことがある。その時言われた言葉が、
あんたがまだオシメをしてる頃から、ワタシはお金を借りている!
偉いとは思わんけど、それなりに歴史を感じさせる言葉であった。辻さんのダンナさんも保証人になっており、この借り入れに関してはダンナさんも承知の上である。辻さんの仕事が遅くなって、何回かダンナさんが支払いにきたこともあったが、ダンナさんもニコニコしながら支払いにくる。支払いをポッカリ忘れてて、住まいの市営住宅へ集金に行ったこともあるが、問題なく集金出来た。そんな時は二人してごめんよと言いながら支払ってくれるので、夫婦仲はすこぶるよさそうだと感じた。ある時、その市営住宅がとり壊され、新しく建て直すという話が出た。まぁ築ン十年の超ボロっちぃトコだったので、大きい地震起きたらペッチャンコになるのは、火を見るよりも明らか。まぁ今回は新築市営住宅の住人になった辻さんのお話である。
この新しくできた市営住宅、鉄筋コンクリートの4階建てであり、頑丈そのものであるが、住民に少々問題がある。まぁ簡単に言えば、特殊事情がおありで、ヨゴレ達が住む市営住宅なのである。辻さんの他にも、ここには客が何人もいる。
ある客は家族全員を保証人にしてる。本人、嫁、父親、母親、息子、娘。本人は201号、嫁は302号、父親は101号、母親102号、息子401号、娘301号、とまぁこんな具合で部屋を借りている。入社した当時からおかしいとは思ってたが、こんな借り方できるんやと少々感心したのを覚えてる。なんか裏技でもあるのだろう。しかもこの家族全員が生活保護を受けている。どうしてだろ?と不思議がったが、まぁ簡単にいえば偽装離婚である。本人は嫁と離婚し、父親と母親も離婚。息子は体を壊しているという。娘は子供が小さいので働きにいくことは無理という寸法である。しかし、仕事も足が付かない程度にやってる。いわゆる抜けである。で、各家庭にクーラーも完備。まぁ鉄筋だから夏は暑くなるから仕方ないにしても、これで家賃が激安なんだよね。ン千円、もしくはタダってレベル。前日に支払い来なくって、家に集金しにいっても誰もいなかった時がある。仕方ないから、朝出勤前に集金いったんだけど、車で出掛ける直前だったからなぁ。車とはいっても軽四なんだが、これに5人、または6人乗せていくらしい。どこいくんだ?と聞いたら、パチンコにいくとのこと。家族そろってパチンカスかよ。前日に支払いに来なかった理由を聞くと、前日は息子と嫁の確変が止まらなかったらしく、夢中になってたので支払いのことを忘れてたと。今日の分も払っとくから許してよと言ってきたのだが、まぁこんな奴らなんで明日からはちゃんと来てやってことに留めた。市職員の怠慢なのか、怖くて何も出来ないのかは知らんが、そういう家族がいたのよね。
仕事したりしなかったりって客はザラにいて、支払い来ないから、しょっちゅうその家に行って怒鳴り散らしたこともある。その家は辻さん宅の一つ下の階なんだが、辻さんが支払いにきたら、昨日もやりあってたねぇと冷やかされる。まぁあまり騒ぐとなぜか日本語でもない言葉が、そこら中から浴びせられる。何を言ってるかはわからんけど、日本語でないことだけはわかる。なんで新築の市営住宅に、日本人でないヤツが住んでるのかは定かではない。まぁある意味国際都市なんだろう。ちなみに近所に住んでる方はあまりこの敷地に近づかない。この敷地内にゴミ捨て場があるのだが、粗大ごみを捨ててると、夜中に誰か来て本棚やソファーなど、まだ使える家具をゴッソリ運び去って行ったとか、服をゴミ袋にいれて捨てといたが、夜になると謎の中国人親子が来て、捨ててある服を子供に当ててサイズを合わせて、気に入ったら持って帰るなんてことがザラにある地域。俺からしたらヨゴレの巣窟である。
まぁそんなこんなで過ごしながら数か月経ち、いつもニコニコ支払いに来る辻さんの生活にも暗雲が立ち込めてくるのである。ある日辻さんが支払いに来たんだが、Aのも預かってきたからと払っていった。もちろんこの行為自体は、目くじら立てるほどのことではないんだが、保証人でもなんでもない、接点も全くないってヤツの分を預かってきたってのが問題なのである。次の日はAとAのツレ、Bの分も預かったと言って支払っていった。これはあまり良くない傾向である。店長に辻さんが別なやつのを預かって支払いに来たと告げると、店長は少し考えて、おもむろに電話をかけ始めた。この店長の電話ってのは、協力関係にある他所の業者に問い合わせてるんだけど、やはりそこでも同じようなことをしてるみたいだった。明日にでも店長が辻さんに話してみると言ってたが、俺は俺で何か嫌な予感がした。往々にして嫌な予感というものは、なぜかよく当たるものである。翌日支払いにきた辻さんを椅子に座らして、店長が話してみた。それを俺は後ろで聞き耳立てて聞いたんだけど、あまり良くない話っぽいな。おもむろに店長が保証書を出し、辻さんに署名させた。辻さんは困った時はお互い様やからねと嫌がる素振りもなく、ニコニコして帰っていったが店長は浮かない顔をしていた。店長の浮かない顔の理由はすぐに理解できた。
一応、なぜ店長が浮かない顔をしていたかというのを説明しておこう。そもそも辻さんは自分名義でダンナさんを保証人にしてお金を借りてるのである。それでお金をまわしていたのだが、これが他の人のを預かってくると言ってはいるが、要は立て替えてるのである。あとで返してもらえるからと思ってるんだろうけど、それも行き詰ってくるとそうもいかなくなる。そういう人間は行き詰る前に、どこか貸してくれるとこを探し出す。当然行き詰まる手前のヤツに金など貸すトコもなく、保証人を連れてこいと言われる。AとBはいつも連れ立っていて、借りてる所では全て相保証しているのだけど、Aが借りれないと当然支払うお金も無くなる。そうなるとBに立て替えといてと言う。相保証であるBはAが払わないと、当然自分が払わなければならなくなる。立て替えれるウチはなんとかなるが、自分自身も同じように借金を抱えてるので、何日もはムリである。そうなると当然Bも、払えなくなる前に貸してくれるとこを探し出す。そこでも保証人連れてきてと言われる。っとなるとAもBも言いやすい人・・・つまり辻さんを保証人に立てることを考え出す。、店長が問い合わせをした時点で、すでに3件の相保証をしていた。乗り遅れたらアカンので括ったわけなんだが、これで先が見えたような気がしてならなかった。お人好しなのはわかるが、少しは考えてもらいたいものである。そこからは他店でも同じようなことをするようになり、辻さん自身が借りてるのは100万程度だが、保証してる分が200万くらいある。これはマズいと思いつつも、どうにも出来ない現状に俺は少々苛立っていた。
AとBも俗にいう多重債務者である。水は高いトコから低いトコに流れていくが、多重債務者は利息の低いトコから高いトコに流れる。当然のように自前の分ですら完済させることが出来る人間ではない。お金を回してるだけ、つまり自転車操業なのである。どこか1件でも書き換えを止めると、すぐに行き詰る人達である。完済するまで持つかどうかの勝負になるんだけど、たぶん持たないだろうなぁと店長は話してた。俺もそう思うもんなぁ。不思議なものでウチがガンガン回してると、他所もガンガン回してるし、ウチが止めると他所も止めたりする。考えることはみんな一緒だね。とりあえず残高を減していくように算段してはみるものの、書き換え止めるしか手段がない。翌日もニコニコ払いに来てる辻さんはこのことをどう考えているんだろう。疑うことを知らないのか、痛い目を見たことがないのか。昔の俺みたいな考えを持ってるのかわからないが。お金の為に人は人を平気で裏切るってことを辻さんが気付くまで、そこまでの時間はかからなかった。懸念をしてたことが現実に起こるのである。いずれはそういう時がくるんだろうなとは思っていたのだが、俺と店長の予想に反して早かった。
辻さんとAとBを相保証にしてからわずか3週間後。その日の辻さんは支払いに来た時、今日はAとBのを預かってないという。普段の雰囲気とちょっと違うなと感じたんだが、おそらく昨日の分を貰ってないのだろう。顔色もなんとなく悪く感じるが、辻さんはつとめて明るくニコニコしていた。 俺は店長と話をして、17時になるのをしばし待った。17時を越えると一応一括返済の大義名分が出来るからだ。書類をバックに詰めて、どこから攻めるかを店長と話してる時に電話の乾いた音がなり、FAXがカタカタと音を立てて一枚の紙を吐き出した。みると弁護士からAとBの代理人を受任した通知であり、破産させるとのこと。やりおったか、こいつら。こうなるとまず辻さんを抑えるしかない。
仕事場を訪ねてみたが帰ったとのことで、自宅に向かうと辻さんがいた。まだどこの業者も来てないことに俺はホッとした。ダンナには内緒にしてるとのことだったので、家の外に連れ出して話を聞く。今日AとBには朝喫茶店で会ったけど、お金貸してくれる人がもう少ししたら来てくれるから大丈夫と言ってたらしい。あぁ普通に騙されてんな。おそらくその足で弁護士事務所に行ったんだろうな。辻さんは連帯保証人ということを頭では理解していたものの、まさか自分がこんなことになるとは思っていなくて、少々狼狽していた。こちらとしても辻さんの分とAとBの分を一括で返済してもらわなければならない。AとBの分に関しては本人たちが破産するのだから、その連帯保証人である辻さんに弁済の義務が生じてくる。ではなぜ辻さんの分も?と考える人もいるだろうが、辻さんの分の連帯保証人にAとBは名前を連ねてる。その二人が破産するのであれば契約内容が変わってくるので、代わりの連帯保証人を入れてもらうか、一回全部返してもらうかになる。話をしてるウチにダンナさんも心配になって出てきた。話をしながら下をのぞき込むと、軽四が2台敷地に走り込んできた。そこから降りたのは当然のように同業者。一番乗りでよかった。
もう隠し通すことも出来なくなったので、ダンナさんも交えて話をしたが、どう考えても市営住宅にン千円で住んでて、仕事も雑用でそこまで給料も貰ってない。あとの収入は年金で、日払いを100万借りてる老夫婦に300万も払えるわけない。そんな時店長から電話があった。とりあえず現況を説明したが、身柄を一番乗りで抑えたこと以外、何もいい材料がない。さてどうしたもんかと店長と思案してみたが、とりあえず会社に二人を連れてこいと言われた。辻さんとダンナに話をして、店長が話をしたいから会社に行こうと促し、準備をして車に乗せた。他所の同業者の視線が痛いこと痛いこと。会社に着き、店長と話をさせてみたものの、身内は娘が県外に嫁いでるだけで頼れる身内もいない。ウチだけならひとまとめにして分割でもいいんだが、他店があるとなるとそうも言ってられないのである。ちなみに内訳はウチの分だけだが、額面辻さん20万、AとBは各10万である。残高は全部で30万ってとこ。普通に考えりゃ無理だろな。重苦しい空気が会社内に流れる中、時間に遅れてちらほら払いに来た客が横目に見ていく。これで大丈夫という方法が店長も俺も全く思いつかない。2時間ほど話し合ったが、仕方がないので妥協案で行くことに決まった。まず辻さんにひとまとめにし、支払いをそのままの金額にして様子をみる。ただし、年金の支給日には一旦15万円以上を入金してもらうようにした。そうしたら生活が成り立たんと言うが、もちろんこちらも出来る限りの協力はする。だから一旦残高を減らすようにこちらが頼んだ。こちらが悪いわけではないが、辻さんを何とか生き残らす為である。ここに来て辻さんも自分の立場を理解してくれたみたいだ。これが連帯保証人の怖いとこである。こちらが妥協案を示したことで、他の業者もこちらと同じような感じにしてくるとは思うけど。どこかの業者がイキって走られると面倒なんだよな。(追い詰めすぎると逃げます)
とりあえず話がまとまり、書類上の手続きをして解放することになったんだけど、話を俺が代わってしてる間に店長はどこかに電話してた。おそらく次の渡す先の算段かな。まぁ持ちつ持たれつの業者さんもいるから、いつものようにそこへ渡すんだろうけど。手順としては、渡す業者さんの従業員をウチの会社の下で待機させて、俺が車で送っていくということで一緒に降りて、そこでその従業員とバッタリ会い(?)、話をして自宅へ送っていくことを条件に渡す・・・ってことになった。なんという茶番であり、小芝居だろう。下降りてバッタリ会った従業員さんと笑いをこらえながら渡す話をして終了。とりあえず明日の分を持ってきてねと伝えて、辻さん夫婦は連れて行かれた。俺が下に降りてる間、店長は電話をかけまくって情報を集めてたが、ウチと同じ方法を他の業者も取ってくれるならギリギリ持ちこたえるだろうと予測を立てた。もっとも仕事も頑張ってもらわんといかんのだが・・・
翌日辻さんが支払いに来た時いろいろ話を聞いたが、だいたいウチと同じ感じに落ち着いたみたいだね。もっとも年金を先にこちらへ払うように言ってるんで、他の業者さんは分割オンリーにしたみたいだけど。中にはこういった時に年金を横取りしようとする業者さんもいる。それをやると仁義もへったくれもない業者というレッテルを貼られるのだが。もちろん、そうさせぬために、年金の支給日には朝駆けしてガラを抑えるつもりである。
なんやかやで日が過ぎていき、ついに年金の支給日を迎えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます