第25話 二人称ミステリー『白い部屋』

某掲示板で「一人称でも三人称でもない二人称小説とはいかなるものか?」という議論があり、「じゃあオイラがやってやんよ」と書いてみた習作であります。


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 あなたは今、白い部屋の中にいます。

 壁も床も天井も真っ白。窓も、それどころかドアさえありません。

 灯りらしきものも見当たりませんが、壁自体がほのかな光を放っているような感じで、眩しいほどではありませんが充分な明るさは確保されています。


 なぜ、こんなところにいるのだろう。あなたは自分自身に問いかけます。

 でも答えはありません。


 部屋の大きさは、やや広めのワンルームマンションくらいの印象。でも、正確なところはわかりません。

 なぜなら全面が真っ白なうえ、四隅や床天井の接合部が丸く埋められていて継ぎ目が見えないため、距離感がうまく掴めないのです。

 目を醒ました時には、ここが部屋の中であることすら気付かず、何もない空間に放り出されたのかと思ったほどした。

 でも目が慣れてくると、そこに壁や天井があることが分かりました。

 床も触れられることで安心しました。手触りは、ざらついていますが石のような硬さはなく、普通の壁紙のような感触が安堵感をもたらします。

 なにより、ここが単なる箱ではなく人がいてしかるべき場所であることを示す物を、部屋の隅に見つけました。


 それは、一本の黒いボトルとワイングラス。

 なぜそんなものがあるのか、理由はわかりません。ですがこの真っ白で何もない空間の中では、そのくすんだ色合いとなじみ深い形状が、平穏な日常へと繋ぎ止めてくれる命綱のように感じられました。


 しばらくの間、無心でそのボトルを見つめていましたが、やがて心が落ち着くと、あなたは状況を整理しようと思い立ちました。


 まず、自分の恰好。

 普段通りの服装で、違和感はありません。ポケットを探りましたが、中のものは全部取られてしまったようです。財布もスマホもありません。

 取られた? その瞬間に気付きます。あなたは自分の意志でここに来たのではなく、誰かに連れ去られてきたのだ。と、少なくとも自分ではそう認識していることに。

 では誰が、何のために。

 あなたは、ここに来る前のことを思い出そうとします。

 頭に浮かぶのは、見慣れた街並み。人混みの中を足早に歩いています。あれは夕刻? それとも昼? どこに向かっているのかも定かではない。昨日のことような気もするし、もっと昔のようにも思える。いやそうではなく、毎日毎日、何度も何度も同じ道を通っていたことを思い出しました。

 でも、あれはいったい何処なのでしょう。


 あなたは途方に暮れ、あらためて部屋の中を見回します。

 立ち上がって壁際まで数歩、手をつくとやはり床と同じ感触です。おそらく天井もそうなのでしょう。

 壁に沿って部屋を一周してみます。端から端まで十歩ほど、縦横の差はありません。天井は高く手は届きませんが、なんとなく部屋の幅と同じ高さのような気がします。立方体なのでしょうか。

 床にしっかり立っていることから、上下の別は確実にあります。ここが地球上であることに、あなたは心から安堵を憶えました。


 気を取り直し、部屋をもう一周してみます。今度は、壁を軽く叩きながら。

 壁紙の向こうは、コンクリートのような硬さを感じました。

 隠し扉のようなものがあれば、異なる反応があるはず。わずかな違和感も見逃さぬよう、慎重に隅から隅まで、上下も手が届く限りの範囲を、何周も何周もグルグルと回りながら壁を叩き続けました。

 やがて、手が痺れ精も魂も尽き果てたあなたは、床に座り込みます。

 どこを叩いても、何の変化もなかったのです。それどころか壁紙の継ぎ目すら見つからない。いったいどうやって、この部屋に入ったというのでしょう。


 あなたは、絶望に染まった眼を、傍らに向けます。

 そこには、一本の黒いボトルとワイングラス。

 部屋を周回するたびに何度もその前を通り過ぎましたが、あなたはただの一度も手を伸ばそうとはしませんでした。違和感というなら、この部屋の中でそれ以上の異物はなかったはずなのにです。

 そう、違和感どころかあまりにも異質すぎて、触れるのが怖かったのです。

 もしかしたら、この中身は毒かもしれない。でももう他に手掛かりはなく、喉の渇きも耐え難いものになっていました。


 あなたは手を伸ばしボトルを取ると、しげしげと観察します。

 思いのほか、ずっしりと重い。ラベルに書いてある文字はアルファベットのようにも見えますが、読めません。コルク栓はしっかりと締められていて、瓶の縁よりもわずかに沈んでいます。

 そこであなたは、はたと気付きました。コルク抜きがない。

 ボトルの他には、グラスがあるのみ。クリスタルでしょうか、色褪せたボトルとは対照的に宝石のようなきらめきを放っています。

 でもここに芳醇なワインを注ぐためには、コルク抜きが必要なのです。


 あなたは焦ります。

 どこかに落ちてないか。あるいは、何か代わりになる物でもあれば。

 でも、そんなものがないことは初めから分かっています。絶望がさらなる渇きと飢えを誘います。

 ふと、傍らに立つワイングラスが眼に止まりました。これを割れば、刃物の代わりになるだろうか。コルクを綺麗に抜くことはできなくても、削り取って穴を開けられれば。

 あなたはグラスを取り上げると、壁に投げつけました。カシャンと、予想外に軽い音を立ててグラスは砕け散りました。

 それを見たあなたは慌てて立ち上がり、駆け寄ります。刃物どころではありません、粉々になってしまったのです。

 思い切り投げたつもりはなかったのに、それとも冷静さを欠いて力が入ってしまったのでしょうか。少しでも大きな破片をと拾い上げてみますが、指先に力を入れただけで簡単に砕けてしまいます。

 こんなに脆いものだったとは、思いも寄りませんでした。


 こうなったら。

 あなたはコルクの表面に爪を立てました。時間がかかってもこうやって削るしかない。

 ボトルの先端で壁を叩いて割ることも考えましたが、ワイングラスの末路を思うとその勇気も出ません。ここは慎重にいくべきなのです。

 幸いなことに、コルクは柔らかく人の爪でも削れないことはありません。でもさすがに生身では無理があり、すぐにボロボロになって血もにじんできました。

 ても諦めません。十本の指を全部使ってでもと覚悟を決め、夢中で掘り続けました。

 ボトルの口は狭く、掘り進むにつれ指が入らなくなって来ました。小指ならなんとか通りますが、力がうまく入りません。

 そのうえコルクが緩んできたせいか、掘り出そうとしても奥へ逃げてしまうのです。これでは栓を抜くことが出来ません。


 と、その時あなたは考えました。

 抜くのが無理なら、このままボトルの中に落としてしまえばいい。そう気付いたあなたは、小指を思い切り押し込みます。

 コルクはグイっと沈んで行きます。が、それが限界でした。指が入るギリギリまで押し込んでも、そこに留まったまま指先に感触を伝えます。

 逆さにしても、思い切り振っても、中身が出てくる気配はなく、コルク栓はボトルの奥で踏みとどまっているようでした。

 絶望に涙が溢れそうになります。でもあなたは不屈の心で自分に言い聞かせます。冷静になれ、と。


 あなたはボトルを立てると、コンコンと軽く床に当てました。

 小指を差し入れ確かめると、心なしか指先の感触が軽くなった気がします。

 さらに数回叩いてもう一度確かめると、明らかにコルクが沈んだのがわかります。でもボトルを逆さにしても、まだ中身が出てくる気配はありません。

 あなたは慎重に、深呼吸を繰り返しながら、ボトルを床に当て続けます。コンコン、コンコン、と。

 やがて、チャポンという微かな音が耳に届きました。ボトルを振ると、チャボチャボと今までにはない澄んだ音が響きます。


 とうとうやりました。

 あなたは夢中で先端に唇を押し付け、ボトルを逆さに立てました。

 芳醇な液体が、口の中になだれ込んで来ます。

 口いっぱいに含んだそれを、でもあなたは思い切り噴き出しました。


 白い床の上にまき散らされたのは、それと同じ色の白い液体でした。

 予想だにしなかったその正体に、あなたは絶望の声を上げたのです。


「俺、牛乳飲めないんだよ……」


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心が揺らぐ短編集 たかもりゆうき @999896

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