第24話 ニュースキャスター多々良鱈美の挑戦

 プロはプロとしての自覚があるからこそプロなのである。



―――――――――――――――――――――*



『駅前のタラちゃーん』

「はい、こちら糠野駅前です! 台風の影響で今朝から降り続いていた雨は午後になって更に雨脚を強め、各地で多くの被害をもたらしています! ここ、糠野駅も帰宅時間を迎え、人々は足早に駅へと向かっています!」


 降りしきる豪雨と強風の中、地方TV局の若手キャスター多々良鱈美は、中継カメラに向かって声を張り上げた。

 レインコートはリハーサル中に強風ではだけ、中に着ている白のワンピースもずぶ濡れで下着が透けてしまっている。だが着替えている暇はないとのプロデューサーの指示で、そのまま本番を迎えていた。


(ていうか、台風中継に白ワンピを用意している時点で確信犯だよね。あのエロダルマめ)


 とはいえ、しがない地方局が視聴率を稼ぐためには、多少際どいことにも手を染めなければならないことくらい、重々承知している。

 だから衣装を渡された時にも文句は口にせず、手に取ってプロデューサーをジロリと睨み付けるだけに留めた。若手とはいえ、鱈美はプロなのだ。


『風の様子はどうですかー?』


 スタジオから、ベテランキャスター蓑紋四郎の暢気な声が飛ぶ。


「はいっ! ご覧の通り、気を抜くと飛ばされてしまいそうになるくらいの強い風が、きゃあっ!」


 悲鳴と共に、画面から鱈美の姿が消えた。


『タラちゃん!』


 さすがのベテランキャスターも立ち上がる。

 だがこの時、スタジオにいたスタッフの全員が「ナイスタラミ!」と心の内で叫んでいた。


「はい、大丈夫です!」


 その声から数秒遅れて、鱈美が再び画面に現れる。スタッフ全員がホッと胸をなで下ろしながら、「間合いが絶妙すぎる!」と声なき賞賛を送った。

 レインコートはどこかへ飛んで行ってしまい、ワンピースも襟元が乱れて開ききっている。その隙間からピンクのブラが直に見えていた。


「強い雨と風で、歩くことすら困難な状況となっています! 傘は全く役に立たたブワアーッ!!」


 突然、滝のような豪雨が鱈美を襲う。彼女の姿は一瞬にして画面から掻き消え、再び現れた時、鱈美は陸に揚がった深海魚のように、目を剥いてゼェゼェと息を吐いていた。

 ワンピースはすっかりはだけブラも肩からズリ落ちて、息をする度にピンクの乳首が見え隠れする。スタッフの脳裏に『放送事故』と『視聴率』の二つの単語が交互に去来した。


『タラちゃん、本当に大丈夫?』


 心配そうな声を掛けながら、ベテランキャスター蓑の胸には、別の思いが湧き上がっていた。


(面白い……)


 この言葉を最後に口にしたのは、いったい何時のことだったろう。彼はモニターに映る鱈美のひたむきな姿に、若かりし日の自分の姿を垣間見ていた。


「失礼いたしました。引き続き駅前から中継をグハッ!」 ドンガラガッシャーン!


 鱈美が、飛んできた自転車に攫われた。

 カメラが慌てて後を追う。揺れる画面とカメラマンの叫び声が、緊迫した状況をリアルに伝える。


「タラちゃーん!」


 追いついたカメラマンがカメラを置き、鱈美を抱き起した。


「しっかりしろ! 怪我はないか!」


 彼の必死の叫び声が、スタジオにこだまする。モニターには、路上に置かれたカメラが捉えた鱈美の股間が、画面一杯に映し出されていた。


『大丈夫? もう閉めよう』


 イヤホンからプロデューサーの声が響く。だが鱈美は、猛然と抗議した。


「心配いりません。お願いします、最後までやらせて下さい」


 その言葉に涙しないスタッフはいなかった。

 鱈美の言葉は、マイクを通じて視聴者にも伝えられていた。局の電話とメールは続投を求める視聴者の声で、パンク状態になった。

 1分かぎりのはずだった鱈美の持ち時間は、番組終了まで延長され、更にこの様子はキー局を通じて全国に届けられた。


 看板が飛んできた。濁流に飲まれた。突風に巻き上げられ5mの高さから地面に叩き付けられた。

 それでも鱈美はマイクを手離すことなく、血みどろになりながらも最後まで中継を続けた。


 この日、番組の視聴率は98%という、テレビ史上二度と破られることのない大記録を樹立した。

 それどころか、この模様は世界中に配信され、全人類を涙と感動の渦に巻き込んだ。

 この中継を足掛かりに地方局から一気に世界へと踊り出た彼女は、後にハットトリックと賞される米ロ中三首脳連続単独インタビューや、報道人初の月面着陸など、数々の偉業を成し遂げた。

 だが、いずれは世界を担う放送界のドンと目されながら、年下カメラマンとの熱愛に身を投じ出産を機にあっさりと業界から身を引いて、平凡な一主婦として幸せな人生を送ったのは、また別の話。



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