第23話 笑わない姫のお話


某掲示板にて

『彼女が嗤う時』というお題が出されたので書いてみました。


―――――――――――――――――――――*


-おばあちゃん、おばあちゃん。おはなしして!

-おやおや、サアヤはお話が好きだねえ。何のお話しようかねえ

-なんでもいい! おばあちゃんのおはなしは、なんでも好き!

-そうだねえ、じゃあ今日は、笑わないお姫さまのお話をしようか

-笑わないお姫さま?

-そうそう。ほれ、村のはずれに古いお城の跡があるだろう? あそこには、お姫さまが住んでいたんだよ

-へえー

-それは昔々のこと、この村に王国があった頃のおはなし……




 そのお姫様は、笑顔がとってもすてきな女の子でした。

 笑うと周囲がいっぺんに明るくなってまるでお日様のようだと、ひまわり姫と呼ばれ、国中から愛されていました。


 ひまわり姫に妹が生まれたのは、姫さまが5歳になった頃。

 姫さまはとても喜びました。毎日毎日、妹姫の寝所に通いつめ、一日中その寝顔を眺めていました。

 ですが、妹姫はひまわり姫と違って生まれつき体が弱く、小さな声で泣いてばかりいました。

 それだけではありません、お医者様は、この小さな体では長くは生きられないだろうと言うのです。


 ひまわり姫は悲しみ、毎日神様にお祈りしました。

「どうか、妹を元気にしてあげて下さい。あの子に笑顔を与えて下さい。この願いがかなうなら、わたしはどうなってもかまいません」

 するとある日のこと、姫がおいつものように祈りをささげていると、目の前に真っ白い大きな光が現れました。

「その願いをかなえてあげよう」

 光の中から響く声に、姫は喜びました。

「神様! ああ神様! ありがとうございます!」

 ところがです、次に続いた言葉に姫は驚きました。

「おいおい、勘違いしないでくれよ。僕は神なんかじゃないよ」

「えっ」

「あんな役立たずと一緒にしないでくれ。僕は、悪魔さ」

「悪魔! まさか、あの子の命をうばいに来たの!」

「あっはは、まさかまさか、まさかだよ。言ったじゃないか、僕は君の願いをかなえに来たんだよ」

「わたしの……願いを……?」

「そうさ。さあもう一度言ってごらん、君の願いは何だい?」

「妹姫を、元気にしてほしいの。あの子に笑顔をあげたい」

「そのためには?」

「わたしはどうなってもいい!」

「よろしい! 君の願いはこの僕が確かに承った!

 君の妹は、明日から元気一杯! 毎日ほがらかに暮らすことだろう!

 その代わり、君は」


 姫はギュッと眼をつぶりました。

 大切な妹のためなら自分はどうなってもかまわない、それは本心からの言葉でした。たとえ、命を奪われることになろうとも。

「笑うのをやめること」

「え?」

「君はひまわり姫と呼ばれるほど笑顔がすてきなんだってね。だから、君の一番大切なその笑顔を差し出してもうことにしよう」

「笑うことが出来なくなってしまうのですか?」

「いいや、笑うことはできるよ。ただし、もしも君が誰かに笑顔を向けたら、相手はその瞬間に死んでしまうんだ」

「なんですって」

「君はいつでも笑うことができる。君が笑っても君は何ともない、妹も元気なままだ。ただ君が笑いを投げかけた者、君の笑顔を見た者だけが死んでしまうのさ。

 もちろん、妹に笑いかけたりしたら妹は死んでしまうよ。

 そういう呪いを君にかけてあげよう」

「どうして、そんなことを」

「僕は、人間の心が大好きなんだ。君の真剣な願いが、君のこれからの頑張りが、そして苦しみが僕に喜びを与える。

 さあ、君の願いは果たされた。今度は君が僕を楽しませてくれる番だ。

 あ、そうそう。わかっていると思うけど、このことは誰にも言ってはいけないよ。それから勝手に死ぬのも駄目だから、鏡に向かって笑うなんて絶対しないでね」


 悪魔は、約束を守りました。

 妹姫はすっかり元気になり、すくすくと育ちました。

 その可憐な笑顔は人々を魅了し、まるで野に咲く花のようだと、白百合姫と呼ばれるようになりました。

 でもその一方で、ひまわり姫は表情を失くしてしまい、蝋人形のような冷たい顔を人々に向け続けて毎日をすごしたのです。

 人と会話が出来ないわけではありません。

 急に笑わなくなってしまった姫さまに、親である王さまと王妃さまはたいそう心を痛められ、姫さまを少しでも楽しませようと舞踏会や観劇に誘います。

 姫さまは「大変素晴らしい舞踏会でした」「感動いたしました」と言葉で喜びを伝えますが、その眼は冷めきったままでした。

 どうしてひまわり姫が笑わなくなってしまったのか。初めの頃は誰もが心配しましたが、白百合姫の可憐さに眼を奪われているうちにしだいに興味を失くし、ついには彼女を笑わない姫と呼んで、相手にする人もいなくなりました。


 でも笑わない姫は平気でした。彼女も白百合姫の笑顔が大好きだったからです。

「姉姫さまは、どうして笑わないの?」と、愛する妹からそう尋ねられても。

「どうせ妹の美しさを妬んでいるだけだろう」と心無い人たちに蔑まれても。

 笑わない姫は、冷めた目で遠くを見つめるだけでした。

 泣くことはできたはずです。

 でもそんな気持ちにはなりませんでした。妹の幸せを守り続けることに誇りを持っていたからです。

 むしろ、自分が苦しむのを楽しみにしていると言っていた悪魔に、ざまあみろと言ってやりたい気分でした。

「今もどこかでご覧になっているのでしょうね? おかげさまで私も妹もとても幸せに暮らしています。

 私の前に姿をあらわして下さったら、精一杯の笑顔を差し上げますわ」

 でも悪魔は、あの日以来一度も姫さまの前に現れることはありませんでした。


 白百合姫は、十五になりました。

 その美しさは国内のみならず近隣の国々でも評判になり、毎日大勢の王族や大貴族が、その花のような笑顔を一目見ようと王国を訪れました。

 豪華な贈り物が次々と送り届けられてきます。

 求婚の申し出も、一つや二つではありませんでした。

 王さまは喜びつつも、姫を手放すお気持ちにはなれず、また多くの国々の中から一つを選べば他の国の恨みを買うことになる懸念もあって、どの申し出にもはっきりとした返事を送ることはありませんでした。

 白百合姫自身もまだ結婚する気はなく、王さまのふるまいを嬉しく思っていましたが、それでも王家の一員である立場を考えれば、いずれは心を決めなければならないと思い悩みました。

「姉姫さま、私はどうすれば良いのでしょう」

 笑わない姫は、妹の小さな体を抱きしめながら話しかけました。

「あなたの思うようにすれば良いのですよ。

 あなたがまだ結婚などしたくないというのなら、しなくていい。もし将来すべてをささげても良いと思える人が現れたら、その人のもとへ嫁げばいい。

 あなたがどのように心を決めようと、私はそれを心より応援します。

 私はいつでもあなたの味方ですよ」

 声だけなら、どんな優しい言葉も投げてあげられる。笑った顔さえ見せなければ、全身で慈しみを表すことは出来るのでした。

 白百合姫にもそれは十分に伝わります。姉の冷たい顔の奥には、女神のごとき優しい心が宿っている。

 声のみでも、声のみだからこそ、真実を感じることが出来る。

「姉姫さま、大好き」

「私も、あなたのことが大好きですよ」

 姉と妹はいつまでも互いを抱きしめ合いました。


 ですが、運命は残酷です。

 姉妹が幸せな日々を過ごす中、王さまのあいまいな態度に業を煮やした隣国の王が、使者を送り込んできました。

「啓賢なる我が国王より通告する。

 汝が姫を、我が王国に遣わすべし。我が国はこれを客人として手厚く迎え、両国友好の橋渡しとせんとす。

 もし我が善なる申し出に異議をとなえることあらば、汝を和平を望まぬ悪鬼とみなし国もろとも打ち滅ぼすべし」

 王さまは頭を抱えました。

 隣国からも、もちろん白百合姫を望む申し出はありましたが、これにも王ははっきりした返事を避けていました。

 隣国は大国で、こちらの国と較べれば大人と子供のようなもの。ある意味玉の輿ではあります。ですが、かの国の王は傲慢で尊大、民に対しても無慈悲な暴君で、近隣の評判はすこぶる悪いものでした。

 王さまはそんな所へ愛する姫を嫁がせるつもりなど、はなからなかったのです。

 それが、最悪の事態を招いてしまいました。

 隣国の王は、姫を妃としてではなく客人として招くというのです。ですがこれは単なる言葉のあや、人質として差し出せという意味なのでした。

 白百合姫も恐怖に怯えました。妃としてならともかく、人質となったらどんな扱いを受けるかわかりません。

 しかも、断ったら和平の敵とみなし国を攻め滅ぼすと。理のかけらもない言いがかり、あからさまな脅迫です。


 妹の危機に、笑わない姫は声を上げました。

「わたくしが参ります」

 王さまは驚きました。

「いけない。お前も大切な私の娘だ。可愛い姫を人質に差し出すことなど出来ない」

「父上、いえ国王陛下、これは国を統べる王族としての務めです。私も大切な国の民を、可愛い妹を守りたいのです。

 あちらが求めるのは妃ではなく和平の証、ならば第二王女の白百合姫よりもわたくしの方が価値は高いはず。先方も断る理由はないでしょう」

「姉姫さま、いけません! ならば私が」

「お黙りなさい! これは第一王女たるわたくしの責務なのです! あなたはこの国に留まり、民のために身を尽くすことのみを考えなさい!」

 姫さまの力強い言葉に、王さまも白百合姫もうなだれるしかありませんでした。


 隣国に出向いた姫を前に、隣国の王は怒り狂いました。

 せっかく世間で評判の美しい姫を手に入れられると思っていたのに、やって来たのは蝋人形のような冷めた目をした笑わない姫だったからです。

 ですが、文句を言うこともできません。姫さまが語った通り、これは国同士の外交であって、相手が第一王女を差し出すという国として最高の対応をしてきた以上、こちらも相応の態度を示さないわけにはいかなかったのです。

 少なくとも、表面上は。


 姫さまは、城の奥の小部屋に幽閉され、一人さびしく日々を過ごしました。

 ですが、それでも姫さまは幸せでした。

 部屋に設えられた小さな窓からは、遠く祖国の山々がのぞき見えていたのです。あの山のどこかに、懐かしい我が家がある。愛しい家族が平和に暮らしている。

 そのことを思うだけで、姫さまの胸の内は暖かなもので満たされるのでした。


 ですが、姫さまも王さまも、この国の王の傲慢さを甘く見ていました。

 姫さまが国を立ってしばらくすると、王国にふたたび使者が訪れました。

「啓賢なる我が国王より通告す。

 汝が一の姫は我が国にて手厚くもてなされ、平穏福和のうちに安寧の日々を過ごされておられる。ただし愛する妹姫に会えぬことを嘆き悲しみ、ただの一度も笑うことなく涙の日々に暮れておられる。

 こたび、我が国王は限りない慈悲をしめされ、汝が二の姫を我が王国に招く旨を決定した。

 我が国はこれを客人として手厚く迎え、一の姫とともに両国友好の橋渡しとせんとす。

 もし我が善なる申し出に異議をとなえることあらば……」

 これは、最後通牒とでも言うべき宣告でした。

 王さまには、二人の姫君しか子がおりません。第一王女である笑わない姫を差し出してしまった以上、残る白百合姫が婿を取る以外に王国の存続はあり得ない状況だったのです。

 その第二王女まで差し出せというのは、この国に亡びよと言っているのと同じことです。

 相手の言う事を聞けば国は亡びる、聞かなければ攻め滅ぼされる。ならば、たとえ勝つことはかなわなくとも、誇りにかけて戦い抜くしか道はありません。


 王さまが宣戦を布告すると同時に、隣国の軍隊が国境を越えて攻め入ってきました。

 言うまでもなく、隣国の王ははじめからそのつもりで戦争の準備をしていたのです。王国の騎士達も必死に応戦しましたが、力の差は明らかで、戦いは一方的なものとなりました。

 笑わない姫さまは、牢番の兵士から戦争が始まったことを告げられました。

 小部屋の窓からは、遠く望む山々のあちこちから黒い煙が立ち昇るのが見えます。夜になると、暗い夜空が炎に照らされ血の色に染まりました。

 姫さまは泣き狂い、扉に向かって外に出してと叫びましたが、声を返す者はありません。牢番も戦のためにどこかへ行ってしまったようです。

「お願い! 誰か! 誰かわたしをここから出して! 父上! 母上! 小百合姫!」

 すると、彼女の背中から声が聞こえました。

「やあやあ、お久しぶり。どうやらお困りのようだね」

 振り向くと、そこには眩いばかりに輝く白い光がありました。

「悪魔……」

「いやあ、大変なことになってしまったね。うん、これは大変だ、とにかく大変だ」

「これは、あなたが仕組んだことなの? 妹を幸せにしてくれるって言ったのに、約束を破ったの?」

「まさかまさか、まさかだよ。僕が約束したのは君の妹を元気にすることだけ。約束は守ったし、それ以外は何一つ手を出してはいないよ。

 つまり、この戦争が始まってしまったのも僕のあずかり知らぬことなのさ」

「それは本当?」

「ほんとうほんとう、ほんとうのことさ。それどころかねえ、正直言ってこれは僕が望んだものとはちょっと違うんだよねえ。なにしろほら、君が閉じ込められてしまったら、せっかく笑えなくなってもらったのに台無しじゃない。面白くもなんともない。

 で、お姫さま? いつまでこんな所にいるつもりなんだい?」

「つもりなんてない! 今すぐにここを出たい! お城に、妹のところに帰りたいの!」

「それが、君の望みなのかい?」

 その言葉に、姫さまは息を飲みました。つまり、悪魔がここに来た理由は。

「ええ、それがわたしの望みよ。代わりに私は、私のすべてを差し上げる」

「よろしい! でも全てなんていらないよ、それでは僕を楽しませることも出来なくなってしまうからね。

 そうだな。君は笑わなくても美しい、では今度は君の美しさをいただこう」


 悪魔の力を借りて、姫さまはお城に戻ることができました。

 でもそこで見たのは、焼け落ちた王宮と、無数の死体。その中に、見覚えのあるドレスを見つけると、姫さまは夢中で駆け寄りました。

「白百合! 白百合! 目をさまして! 返事をして! お願い!」

 白いドレスは血に染まり、泥と煤にまみれてぼろ切れのようでした。

 もの言わぬ妹の体を抱きしめながら、姫さまはいつまでも泣き叫び続けました。


 王国は、隣国の軍隊に蹂躙されました。

 でも、戦争はそれで終わりではありませんでした。城が墜ちた後も、王国の民は必死に抵抗を続けていたのです。

 いつまで続くとも知れぬ戦の中、奇妙なうわさが立ちました。

 とある戦場に見知らぬ騎士が現れ、隣国の軍隊をたった一人で討ち滅ぼしたというのです。

 その騎士はボロボロの真っ黒なマントを背に、黒い馬を駆り戦場を飛ぶような速さで駆け抜けました。広い戦場に響きわたるほどの、哄笑を響かせながら。

 騎士に向かって行った隣国の兵隊は、その嗤い声が響くと同時に、剣を交えることすらなくバタバタと倒れていきました。

 それから、奇妙な騎士は各地の戦場に姿を現し、哄笑と共に敵軍を討ち倒していきました。

 顔を見た者はいません。騎士は決して味方の方を向かず、常に背中しか見せようとしなかったからです。

 でもその細身の体と甲高い嗤い声から、女性のようだとうわさされました。あるいは、飛ぶように戦場を駆け抜ける黒い姿から、鴉のようだとも。

 隣国の軍隊は黒い騎士に怯え、国に逃げ帰りました。戻った兵士はそのまま反乱の軍となり、暴君を討ち倒してしまいました。

 こうして隣国の王室も亡び、ようやく平和が戻ったのです。

 その後、王国があったこの地からは人々も去って行き、いつしか小さな、でも平和な村として今もこうして続いているのです。



-はい、おしまい。どうだい、面白かったかい?

-うん、とってもおもしろかった。それでそれで、お姫さまはその後どうなっちゃったの?

-ああ、お姫さまはね。実は今でも敵を求めてさまよい続けているんだよ

 ほおら、耳をすましてごらん? 今夜も森の奥からカカカアー、カアーって、嗤い鴉の声が聞こえるだろう? あれがお姫様の声さ

 声はすれども姿は見えぬ、その嗤う顔を見た者は死んでしまうんだよ。だから、夕暮れ時になってあの嗤い声が聞こえてきたら、みんな急いで家に帰るだろう?

-ふうん。でも、なんだか変だなあ

-おやおや、何が変なんだい?

-だって、みんなはあの鴉の声を笑ってるって言うけど。サアヤには、泣いてるみたいに聞こえるよ



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