第19話 キヨちゃん
たまには朝ドラみたいなのもいいかなって。
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漫才師の両親を持つ清子にとって、道頓堀近くの小さな寄席の楽屋は、物心ついた頃から慣れ親しんだ我が家同然の場所だった。
父と母は、その寄席で『ラブコール』というコンビ名で夫婦漫才をやっていた。
小柄で、おかっぱ頭にゲジゲジ眉の父と、大柄でチリチリパーマに真っ赤なドレスの母。芸風は過激なドツキ漫才だが、登場と退場の時には必ず手を繋ぐという朗らかさで、それなりに人気を得ていた。
昭和の終わり。ネットもスマホもない、ブラウン管テレビ全盛の時代だ。
世間は好景気に沸き、その浮かれた空気はテレビ業界にも及び空前のお笑いブームを巻き起こしていた。
だがそれでも、画面に映ることが出来るのは、ごく限られた一流芸人のみ。そうでない下っ端たちは、場末の寄席や劇場の片隅で肩を寄せ合い、いつか大舞台に立つ日を夢見ながらネタの練習に勤しみ、あるいはお笑い論を交わして日々を暮らす。
清子は、そんな売れない芸人達のマスコットのような存在となっていた。
「どや清ちゃん、今日のワイのネタおもろかったやろ」
「うん、最高やったわ! 大ちゃんは将来きっと大物になるで! その調子で気張りや!」
「あんがとなー、清ちゃんに励まされるとホンマ元気出るわー」
どの芸人も、舞台から下がると真っ先に清子の元へやって来て、感想を求める。
そして清子は誰に対しても「最高や! きっと大物になるで!」と答える。
お決まりの挨拶のようだが、場末の芸人達にとっては、その笑顔こそが最高のご祝儀なのだった。
だが「ほな清ちゃん、今日の一番は誰やった?」と聞かれると。
「うーん、せやなあ」と腕を組んで唸った後、「やっぱラブコールやなあ」と頷くのも、お約束のやりとりだった。
そんな清子が病を発したのは、10歳の誕生日を迎えて間もない、秋のことだ。
血液癌の一種。骨髄移植を受ければ助かる可能性はあるが、それも確実とは言えない。運よく手術が成功したとしても、長期の療養と莫大な費用が必要となる難病だった。
「お父ちゃん、もう漫才やめるわ。ちゃんと働いて清子の治療費を稼ぐんや」
涙ながらに語る父に、ベッドの上の清子は声を上げた。
「いやや! ラブコールの漫才を見れんくなるなら、生きとってもしゃあない! お父ちゃんお母ちゃん、絶対に漫才やめんといて!」
「せやかて清子、寄席は遠いしお金も稼がなあかんし。ウチもパートに出な」
母も真っ赤に染まった目元にハンカチを当てながら、そう告げる。
見舞いに駆け付けた馴染みの芸人達も、こぼれる涙を隠そうともせず、清子をなだめようとした。
「ワシらかて、清ちゃんのおらん寄席なんか楽しないわ。せやけどしゃあないやん」
「清ちゃん、はよ元気になって。そしたらまた一緒にやろうや。それまで、ほんのちょっとの辛抱やさかい」
「せやせや」
だが清子は、点滴のチューブにつながれた右手で父の手を掴み、さらに声を張り上げた。
「ほならテレビや! テレビなら病院でも見れるし、お金も仰山稼げる。
お父ちゃんお母ちゃん、後生や! ラブコールがテレビに出とるのをウチに見せたって!」
その言葉に、皆が顔を見合わせる。
「テレビてお前」
「そないな簡単に出れるわけ……」
だがそれを聞いた寄席の仲間達は、口々に言い立てた。
「清ちゃん、それや」
「うん、それしかあらへん」
「兄さん、姉さん、根性の見せどころやで」
「金のことは心配しいなや。ワイらみんなで手伝うたるさかい」
「おまんら……」
「アホかいなホンマ。あんたら、ウチらより貧乏やんか」
「ええがな、愛する清ちゃんのためや。ラブコールがテレビで売れたら、きっちり3.14倍にして返してもらうさかい」
「円周率か! 細かいわ!」
その日から、ラブコールの漫才は変わった。
いや、ネタ自体は何も変わってはいなかったが、声の張りも、表情も、身振り手振りも以前とは別人のようなキレを見せ、観客を圧倒した。
「なんや、近頃のラブコールちょっと変わったんちゃうか?」
「せやなあ、なんやえらい力入っとるちゅうか、鬼気迫るもんがあるな」
事情を知らぬ常連客も、二人の熱演に眼を見張る。そのせいか、客席からの笑いは減ってしまったかのように見えたが、演目が終わった後の拍手喝采は以前に倍するものとなった。
テレビ局のオーディションにも、足繁く通った。
何度落ちてもあきらめず、やがてプロデューサーにも名前を憶えられ、芸人仲間にも顔見知りが増えていく。ついにはその努力が認められ、番組への出演を果すこととなった。
その晴れ舞台を、清子は病院の談話室で医師や他の患者達と一緒に見た。
清子が二人の漫才を楽屋からではなく、ただの観客として楽しんだのは、それが初めてのことだった。
大阪で人気を博し勢いに乗ったラブコールは、ついに東京進出を果たす。
だがそれと共に、二人が病院を訪れる回数も極端に減ることとなってしまった。
「清子、堪忍なあ。お父ちゃんら、また明日から東京や」
「心配いらん、ウチは平気や。テレビでいつでも会えるもん」
にこやかに笑う清子に、父は泣きそうな声を上げる。
「清子は平気でも、ワシは清子の顔見られへんやん。寂しゅうてたまらんわ」
「せやで。お父ちゃんたら毎日寂しい寂しいゆうて、しまいにお母ちゃんに清子のお面かぶれ言い出しよったで」
「さよかー、そら困ったなー。ほなら、ウチもこっちでテレビ出たろか」
「それや! さっすが清子やなあ、グッドアイデアや」
「ええ加減にしなはれ」
大阪に戻れるのは月のうちの半分にも満たない。しかもその間もスケジュールはキツキツで、病院に向かう時間を絞り出すのは容易ではなかった。
でもたとえわずかな時間でも、娘に会うのを諦めたりはしない。
清子の激励があったからこそ、今の自分達がある。あの子がラブコールを育ててくれた。
もはや二人にとって漫才とは、ラブコールとは、コンビではなく親子三人のトリオで演じるものなのだった。
そんなある日のこと。
「ジャジャーン! ほれ清子、これ見てみい。ファンからのプレゼントや」
久しぶりに病室を訪れた父と母が手提げ袋から取り出したのは、二体の小さなぬいぐるみ人形だった。
片方の人形はおかっぱ頭とゲジゲジ眉、もう一方はチリチリパーマに真っ赤なドレス。それを見た清子の目が輝いた。
「お父ちゃんとお母ちゃんや!」
「どや、これならいつでも一緒におられるで」
「いやあ、ホンマよう出来とるなあ。お父ちゃんの方なんか本物よりええ男やわ」
「ほうか? ちょっとトム・クルーズっぽさが足らんちゃうか?」
「ええ加減にしなはれ」
清子は笑いながら、二人の人形を両腕で抱き締めた。
それから数年が経ち、大人気芸人となり全国を忙しく飛び回る両親の活躍の一方で、清子の病状は一進一退を繰り返していた。
幸いにして骨髄移植の手術は成功し、緊切の危機は去ったものの、抗がん剤の副作用と合併症に苦しみながら辛い闘病生活を続ける少女は、それでも笑顔を忘れることはなかった。
枕元には、父と母のぬいぐるみが寄り添うようにして微笑んでいる。清子はそのふたつの人形に、本物の両親に向かうように毎日語りかけた。
そしてお笑い一家の戦いは、ついに最終決戦を迎える。
MM1グランプリ。夫婦漫才日本一を決める初の大会の決勝進出が決まった時、清子は病院のベッドの上で15歳の誕生日を迎えていた。
その大事な決戦の日、清子は突然の高熱を発した。
「清子ちゃん、番組はちゃんと録画しといたるからな。熱が下がったら一緒に見ような」
解熱剤を投与しながらそう語りかける医師に、清子は懇願した。
「先生、後生や。ほんのちょっとでええ、テレビ見さして」
医師は看護師と顔を見合わせ、それから溜息をついた。
「しゃあないなあ」
番組が始まると病室には医師や看護師だけでなく、長い入院生活の中ですっかり顔馴染みとなった患者たちも集まり、テレビに見入った。
『まいどですーっ! いつもラブラブ、ラブコールでおますーっ!』
大勢の仲間達に囲まれ、熱で朦朧とする意識の中で見た両親の姿は、今までにないほどに輝き、演技も最高の出来だった。
全ての演目が終了し、舞台には激戦を勝ち抜いた三組のお笑い夫婦が並ぶ。
会場が静まり返る中、司会が白い封筒の中から一枚の紙切れを取り出した。
『それでは、発表いたします! MM1グランプリ! 栄えある第一回大会の、優勝は!』
(お願い、どうか二人を優勝させて!)
清子は父と母の人形をかき抱き、神に祈る。
『横須賀タワーズのお二人です!』
清子は、泣いた。
病に犯され、どんなに苦しい時でも決して笑顔を絶やすことのなかった少女が、両腕に抱いた人形を初めて濡らしたのは、悔し涙だった。
~ ・ ~*~ ・ ~*~ ・ ~*~ ・ ~
「清子、そろそろやで」
「うん」
清子は、ケンジの声に静かに目を開く。そしてテーブルの上に置かれたボロボロの人形に向かって、語りかけた。
「お父ちゃんお母ちゃん、行ってくるで」
「師匠、行ってきます」
夫であり相方でもあるケンジも、立ち上がりながら人形に頭を下げる。
本物の父と母は、ここにはいない。でも介護施設のテレビで、二人一緒に番組を見ているはずだ。
舞台に向かい、袖の暗がりで出番を待っていると、いつものようにケンジが手をつないできた。
清子はその手をギュッと握り返しながら、大きく息を吸った。
『それでは! MM1グランプリ第20回大会、決勝戦のラストを飾るのは! キヨコ&ケンジのお二人です!』
二人は目を合わせて頷き、手を繋いだまま、ライトに照らされた舞台へと駆け出して行った。
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