第17話 スマイル0円


 恋に悩むのは、女子だけの特権ではないのです。


―――――――――――――――――――――*



 バイパス沿いのハンバーガーショップは、夜9時を過ぎると客足が一気にとだえ、閑散とした雰囲気になる。

 広い店内を見渡しても、僕以外には2・3人の姿しかなく、薄暗い照明も相まって何やらもの悲しささえ憶えるほどだ。

 もちろん週末であれば、そんなこともないのだろう。だが平日の夜は、いつ来てもこんな感じだ。他人事ながら経営は大丈夫なのかと心配になってしまう。

 でも、そんな地方都市の悲哀を見せ付けてくれるようなうらぶれた空間も、高校生の僕にとっては重宝な自習室となる。

 塾が休みの日には、夕食がてら度々利用させてもらっていた。


 2年生の僕は、受験にはまだ間があるけど、それなりの進学校に通っているので勉強は怠けるわけにはいかない。受験もさることながら、授業についていくだけでも大変なんだ。

 それに両親は仕事で毎日帰りが遅いし、僕は僕で週4日は塾通いなので、平日の夜は基本的に外食だ。

 今夜も一人で、ポテトを咥えながら問題集を解いている。

 勉強は嫌いじゃないけれど、こんな味気ない青春なんてアリなのかよという気も、まあしないわけではない。

 特に、模試の結果が思わしくなかったこんな夜なんかには……。


「ふう」


 一区切りついたところで、コーヒーカップに手を伸ばす。と、いつの間にか空っぽになっていた。

 どうしようか、もう一杯飲もうかな。

 うん。

 ノートを閉じ、席を立ってレジへと向かう。

 カウンターには若い女性の店員さんが一人だけ。ちょっと小柄な、可愛らしい感じの人だ。

 見た目は同い年くらい、というか身長176㎝の僕からすると年下にさえ見えるけど。でもこんな時間に高校性がバイトするとは思えないので、きっと大学生とかだろう。

 年上かあ、でも可愛いなあ。


「ご注文ですか?」

「あ、はい。ホットコーヒーを一つ。あと……」


 その時の僕は、きっとどうかしていたに違いない。

 勉強で疲れていたとか、模試の結果が悪かったとか、そんなことは言い訳にもならない。とにかく、どうかしていたんだ。


「スマイル下さい」


 彼女が、キョトンとした目で僕を見つめる。その瞬間に僕は頭の中が真っ白になり、石のように固まってしまった。

 や、やらかしたーっ!


 そして彼女は告げる。


「店内でお召し上がりですか? それともお持ち帰りですか?」

「え?」


 お持ち帰りって、え……?

 あっ! じゃなくてコーヒーのことか!


「えと……、あの……店内で」

「150円になります」


 彼女は表情も変えずにレジを打ち、コーヒーサーバーに向かった。

 あーっ、もう駄目だ! ただでさえこんなヒョロッとして根暗そうな男なのに、絶対にキモい奴だと思われた!


「お待たせしました」


 恥ずかしくて顔も見られない。

 俯いたままカップを受け取り、一刻も早くこの場を去ろうと後ろを向いた僕の背中に、声が飛んできた。


「お客様」


 えっ?

 鈴の音のように響くその声に思わず足を止め、おずおずと振り返ると、そこにはニッコリと笑う彼女がいた。


「勉強、頑張ってね」

「は……、はい」


 反則級のスマイルだった。



  ~・*・~・*・~・*・~



 それからの僕がどうなったかと言うと。

 いや、言うまでもない。この店に日参……、したかったんだけどな。

 塾が休みの水曜日だけ通いつめることになった。


 午後8時。僕は暗い住宅街の中を自転車を走らせ、店に向かう。

 彼女は既にレジに立っているが、僕はごく普通にセットを注文し、トレーを受け取ると店の奥の方の、でもカウンターが見える席につく。

 彼女もこの時は、ごく普通の対応をしてくれる。

 この時間はまだ客も多く、僕はいつも通りにテリヤキバーガーをパクつきながら、問題集をひもとく。

 そして午後9時過ぎ。客足が途絶え店内が静かになった頃を見計らって、再びカウンターへと席を立つ。


 彼女は僕に気付くと、途端に無表情になる。

 最近、その働く姿をチラ見するようになってから気付いたのだが、彼女はとても表情豊かだ。

 接客中も、単に言葉を交わすだけでなく、相手の目を真っ直ぐ見て小さくうなずいたり小首をかしげたり。それに常に微笑みを絶やさない。

 そんな彼女が、この時だけは真顔になるのだ。それも背筋をピンと伸ばし、気を付けの姿勢まで取って。

 その姿は実にわざとらしい。でもって可愛い。本当に表情豊かだ。

 無表情なのに表情豊かって、一体どういうことだよ。


「コーヒーとスマイル下さい」


 直立不動の彼女に向かって、僕も真顔で注文する。


「店内でお召し上がりですか? お持ち帰りですか?」

「店内で」


 この間、彼女はずっと無表情だ。そしてコーヒーを差し出す時になって初めて、満面のスマイルで「頑張ってね」と声を掛けてくれるのだ。

 週一回の、至福のひととき。薄暗い青春に一筋の光が差したような気がした。


 実際のところ、彼女がなぜこんな下らないお遊びに付き合ってくれるのかは、僕にもよく分からない。

 まあ単純に考えて、ただの暇潰しに決まっているんだけどな。

 なにしろ誰も来ないカウンターにずっと立ち続けるなんて、苦痛以外の何物でもないし。こんな冴えない男だって、話しかけてくれるならいないよりはマシというものだ。

 でも、本当は仕事だから仕方なくやっているだけだったら、どうしよう。めんどくさい奴に絡まれてしまったとか、下手に逆らったら何をされるかわからないからだとか、心の内ではそう思っているとしたら。

 いやいや、それならシフトを変えてもらうなりしてとっくに逃げているだろう。

 それにどう見ても、ノリノリで楽しそうだし。


 本当なら、僕がもっと気の利いた話でもできればいいんだろうな。

 なにしろ、まだ名前すら聞いていないんだ。

 でも、もしそんなことをして本気でドン引きされたりしたら。真顔のままで「ごめんなさい、それはちょっと」なんて言われたら、もう立ち直れる気がしない。

 だから、これでいいんだ。

 僕はこのままで満足。こんな時間がずっと続けばいいと、本気でそう思っていた。


 なのに、運命は残酷だ。

 平穏な日々は、それから2ヶ月ほどで終焉を迎えた。



  ~・*・~・*・~・*・~



 その週は、塾の都合で休講日が一日ズレた。

 至福の時間が延期になってしまったのは残念だけど、それはやむを得ない。僕だって一日くらいは我慢できるさ。

 でもその翌日、木曜日に店に行くと彼女の姿はなかった。残念ながら今日は彼女の方が出勤日ではなかったらしい。

 なんてことだ、あと一週間も待たなくてはいけないなんて。僕のスマイル分が枯れてしまうじゃないか。


 涙の一週間が過ぎ、待ちに待った次の水曜日。僕はやっとスマイルが補給できるとルンルン気分で店に向かった。

 そしていつものように9時まで我慢して、いつものように「コーヒーとスマイル下さい」と注文した僕に、彼女はこう告げたのだ。


「売り切れです」

「えっ?」

「コーヒーはありますけど、スマイルは先週で売り切れました。あーあ残念、先週ならあったのになあ」


 そう言ってわざとらしく天井を見上げる。

 まさか、僕が先週来なかったことを怒っているんですか?


「ご、ごめんなさい」


 彼女は、口ごもりながらもなんとかその言葉を吐き出した僕を、ジロリと睨みつけた。


「お客様」


 そう言いながらカウンターに身を乗り出し、僕に迫って来る。


「は、はい」

「説明して貰おうか」


 お姉さん、ちょっとおっさん臭いです。

 でもそれが逆に可愛い。

 てか、近いです。


 僕が色んな意味でしどろもどろになりながら、これこれこういう訳でと事情を話すと、彼女は「なら、許してあげる」と、いつものようにニッコリと笑った。


「でも、次からは前もってちゃんと言うんだぞ。でないと、心配しちゃうんだから」

「は……、はい」



  ~・*・~・*・~・*・~



 彼女が好きだ。

 この日、僕ははっきりと自覚した。

 薄暗い青春に差した一筋の光は、いつしか眩いほどに輝く太陽となり、僕の心を明るく照らし出した。

 それなのに、これは一体どういうことなんだ。僕はその日を境に、訳のわからない衝動にもだえ苦しみ続けた。


 彼女のことを想うだけで、胸がギュッと締め付けられる。

 会えない一週間が耐えられず、勉強もロクに手に付かない。

 なのに、いざカウンターの前に立つと、声をかけようとするだけで喉がカラカラに渇いて言葉が出てこない。あんなに大好きだった笑顔さえ、まともに見るとこもできなくなってしまった。

 よほど様子が変だったんだろう。その挙句に、彼女にまで不審がられてしまう始末だ。


「ねえ、大丈夫? 具合悪いならお家で休んだ方がいいよ?」


 お願い、そんな心配そうな眼で僕を見つめないで下さい。

 ああ、僕はどうしてしまったんだ。

 人を好きになることがこんなに苦しいだなんて、全然知らなかった。

 ずっと続けばいいだって? 嘘だ。嫌だ。これ以上我慢なんかできない。


 だから僕は決心した。

 こんな辛い日々は、もうお終いにしてやる!



  ~・*・~・*・~・*・~



 そして、次の水曜日。


「コーヒーとスマイル下さい」

「店内でお召し上がりですか? お持ち帰りですか?」


 いつも通りのやりとり。でも彼女は無表情の中にも、問いかけるような視線を僕に投げかけてくる。

 心配させてごめんなさい、でも僕は大丈夫です。

 いやそうじゃない、大丈夫かどうかはこれから決まるんだ。いいや、たとえ結果がどうであろうとも!


 意を決し、カウンターに映画のチケットを差し出しながら。


「テ、テイクアウトで!」


 彼女を見据えたまま、ゴクリと唾を飲む。

 彼女は眼を丸くして僕の顔とチケットを見比べ、それから真っ直ぐに僕を見つめ返す。

 睨み合うように無言で見つめ合った、その後に……。


「かしこまりました!」


 満面の笑みで!

 やった……、やった……! と、僕が息を吐こうとしたその時、彼女がしまったという風に口に手を当てた。


「あっゴメン、今のナシ」

「ええっ?!」

「今日は店内じゃなかったよね。

 ではお客様、少々お時間が掛かりますので、日曜日までお待ちいただいてもよろしいですか?」


 再び真顔で。


「は、はい」


 そうしながらも、僕を見つめる彼女の目は必死に笑いを堪えている。

 それに気づいた僕は、今度こそ大きく息を吐き、それからもう一つ注文をした。


「あの、スマイルお代わりお願いします。店内で」


 すると彼女は、「はいっ!」と答える。

 今までで一番の、最高のスマイルで!

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