第12話 魔杯の神様と不死身になった男 #4
#4
「へーっくしょい!」
ううー、寒い。なんだこれ、何がどうなってんだ?
俺は鼻をすすり上げながら、身体を起こした。
いったいどこなんだ、ここは? この、見憶えのある天井、見慣れた家具は……。ああなんだ、家のリビングか。
よかった。妻も、結衣もいる。
あれ? 兄貴? それに親戚のおじさんや、おばさんも。みんなどうして、そんなにびっくりした顔をして……。
俺は訳が分からず、まわりをキョロキョロと見回した。
「パパーッ!!」
すると結衣が、いきなり俺に抱きついて来た。
「うわああん! パパーッ! パパーッ!」
顔や手を包帯でグルグル巻きにした娘が、泣きながら大声を上げる。
「え?」
おい、その傷は……。そうか、俺が乱暴に投げ飛ばしてしまったせいか。ごめんな、痛かっただろう?
ああ、段々と思い出してきたぞ。俺は改めて周りを見回し、そして全てを理解した。
俺が寝ていたのは、窮屈な白木の箱。そして妙に寒かったのは、ドライアイスで冷やされていたせいだ。
つまり、棺桶の中だった。
「あなた!」
妻も、俺に抱きついて来た。
俺も思わず抱き返そうとして、自分の手の中に小振りのタンブラーを握りしめているのを見つけた。
どうして、これが……。神……様……?
そうだ、神様は?!
まさか、俺を生き返らせたせいで!
『やれやれ、なんとか間に合うたわい』
その時、どこからか声が響いて来た。
神様!
『そうじゃ。貴様がこうして生き返れたのも、この嫁御が、貴様のお気に入りじゃったからと杯を棺に入れてくれたおかげじゃぞ。感謝せいよ』
妻が……、そうだったのか。
妻の肩の上に、親指の先ほどの大きさにまで縮んでしまった神様が乗っているのが見えた。
『まあ、我の神力なれば例え骨にされようとも元通りするくらいは造作もないがな、さすがにそれは具合が悪かろう。焼かれる前で、良かったのう』
ああ、まったくだ。
神様も……、無事でよかった……。
~*~*~
その日の晩。
「さあ、乾杯だ」
トク…トク…トク……と、古びたタンブラーになみなみと酒を注ぐ。
『おお、これはもしかして』
「そうだよ、遠慮なくたっぷり飲んでくれ」
久しぶりの、30年物のアイリッシュだ。なにしろ命の恩人だもんな、これくらいのお礼はしないと罰が当たる。
親指ほどになってしまった神様が、こんなに沢山飲めるのかという気もしないではないけれど、そういう物理法則は関係ないだろうと思うので、深く考えないことにする。
それよりも、すぐに酔いつぶれてしまわないかということの方が心配だ。
「今回は本当に世話になったよ。有難う、神様」
『いやなに、契約なので気にせずともよい。と言いたいところじゃが、さすがにこうなってしまうと、我もちょっと不安になってくるな。
その辺でちょいと2.3人殺ってきてくれると有難いのじゃが』
いつもなら「ふざけんな」と返すところなのだけれど、今日の俺は違った。
「それなんだけどさ、実は俺も考えていたことがあるんだ」
『なんと、やっとその気になってくれたか!』
「じゃなくてな、ちょっとこれを見てくれ」
俺は、先日街で買った、あるものを取り出してみせた。
『なんじゃそれは、鞭か? そんなものが武器になるのか?』
「鞭じゃないよ、釣り竿だ」
『釣り竿?』
「ああ。今度、釣りを始めようと思ってさ。人や動物を殺すのは無理だけど、魚をシメるくらいなら、俺にも出来るかなって」
『えー、魚あー? あんな生臭いものが喰えるのかあ?』
「これが嫌なら、俺に殺せるのはゴキブリくらいだぞ。あとはそうだな、庭の毛虫なら殺虫剤で大量虐殺できるけど」
『貴様! この我に虫けらを喰わせようというのか!』
「なんだよ、虫だろうが何だろうが命には変わりないだろ?」
『じゃあ貴様なら喰うのか。喰えるものなら喰ってみよ』
「えっ? やだよ」
『じゃろう? 我だって嫌じゃわ』
言われてみれば、そういうもんか。
「わかったよ。でもまあそういうことなら、このあたりで手を打ってもらうしかないな」
『ううむ。しかし、魚なんぞの命ではいくら喰ろうても腹いっぱいになる気がせぬ』
「俺もせいぜい大物を釣れるように頑張るからさ。それに魚だってうまいんだぞ。鮎なんて全然生臭くなんかない。それどころか、香魚って言われるくらい香り高いんだぜ」
『鮎? どんな奴じゃ?』
「えーと、ちょっと待ってろ」
パソコンを開く。
「ほらこれ」
『ほうほう、これはまたピチピチと元気が良いのう。うむ、小さいながらも生命力に溢れておる』
「だろ? 海だったら、鯵とかカワハギあたりなら初心者でもいけそうだな。あとは……」
『おっ、この鯛とかいうやつは良いではないか。我はこれが喰いたい』
「うーん、鯛はちょっと難易度が高そうだな」
『何をいうか、それくらい頑張らぬか。我のためじゃぞ』
そうだな、他ならぬ神様のためだ。
「よし、やってみるか」
俺がそう言って笑いかけると、神様も満足げに頷いた。
『その意気じゃ。むふふ、楽しみじゃのう』
ああ、まかせとけ。
まだまだ人生はこれから。と言っても、俺の一生なんて神様にとってはほんの一時のことでしかないだろうけどさ。
世界征服は次の契約者にお任せすることにして、せめて俺の寿命が尽きるまでの間くらいは、平凡な俺と一緒に平凡な暮らしを楽しもうぜ。
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