第11話 魔杯の神様と不死身になった男 #3
#3
その後の俺の日常は、別段変わったこともなく毎日が平凡に過ぎていた。
夜は夜とて、神様を相手に晩酌を楽しみつつ、色々な歴史の裏話と現代の情報を交換し合う。新しい飲み友達が出来たようで、思いがけず楽しい日々を過ごしていた。
酒好きな神様は、酒と名がつけば何でもいけるらしく、ワインだろうが焼酎だろうが何を出しても大喜びしてくれる。
ただし、飲み方が良くない。弱いくせに、注げば注いだだけ一気飲みしてしまうのだ。
そしてあっという間に酔いつぶれて、寝てしまう。
これでは、ロクに話も聞けないじゃないか。
俺が不死身で怪力のスーパーマンになったことについては、おそらく本当なのだろうと思う。
でも、実際これが何の役に立つかと言われれば、特に何もない。
人助けか、あるいは見世物か。上手に使えば大金持ちにだってなれるのだろう。けど、とにかく俺は目立つのが嫌いなので、あまり変なことはしたくないのだ。
どうやらタンブラーを持ち歩いていないとスーパーマンにはなれないらしいが、あいつの言う事はいまいち信用できないんだよな。
もし万が一火事にでも出くわして、うっかり超人的な活躍で人命救助などをしようものなら、動画を撮られてあっという間に世界の有名人だ。
冗談じゃない。
どうか、変なトラブルなんかに巻き込まれませんように。と、俺は以前にも増して世界平和を願う人間になった。
それでも、多少なりとも変化があったと思えるのは、以前の俺と較べて明らかに体力がついたことだ。
駅の階段を3段飛ばしで駆け上がっても息切れ一つしないし、娘を肩車したまま走って公園を一周だってできる。
最近のパパは頼もしいと、娘も妻も大喜びだ。
ただ、調子に乗りすぎて運動会の親子リレーで最下位からの10人抜きをやってしまった時は、冷や汗ものだった。
大歓声の中、ゴール寸前で気が付いて、慌ててわざと転んで誤魔化したのだけれど、果たしてちゃんと誤魔化し切れていたのやら。
やはり、あのタンブラーが近くになくても多少は人間離れした力を発揮できるということなのだろう。あまり迂闊なことをしないように、気を付けなくては。
「乾杯」
『うむ、乾杯じゃ』
コン、とタンブラーに缶を当てる。今日は、ビールだ。
『このビールという酒は、古来エジプトの王朝が栄えた頃からあったが、現代のものはだいぶ趣が変わっておるな』
「へえ、どんな風に?」
『うむ。今風のやつは喉越しはすっきりして気持ちよいのじゃが、古のやつは、もっと濃厚で味に深みがあったのう』
この飲み方で喉越しとか……。まあいいけど。
「ところで、神様?」
『なんじゃ?』
「気のせいかも知れないけど、なんか最近ちょっと小さくなっていない?」
本当に気のせいかも知れないけど、なんとなく、1cmくらい背が低くなっているように見えるのだ。
『おお、貴様も気付いたか。いや実はな、先日貴様の指の怪我を治した際に、予想外に力を消耗してしもうてな。どうやら思った以上に体力が落ちとるらしい。
これはひょっとすると、貴様に不死一回分と言ったが、本当にそれで終わりやもしれぬなあ』
「え? だって最初からそう言ってたでしょ?」
『いや、そうではなくてな。貴様が生き返っても、我が終わってしまうやも知れぬということじゃ』
えっ……。
「神様が、消えちゃうってこと?」
『そうと決まった訳ではないがな』
そうなのか……。
『そこでじゃ、洋太よ。貴様がどうしても人の命を奪うのが嫌だとか我儘をぬかすので、我も少し考えたのじゃがな』
「うん」
『何やら近頃、山手の方では猿や猪が増えすぎて民が困っておるというではないか』
「プッ……。どこでそんな情報を」
『貴様が会社に行っておる間に、そこのパソコンをちょいと借りてな。色々と学ばせてもらっておる』
いつの間に使い方を覚えたんだ。というか、物を動かせるのかよ。
『それでじゃな。どうしても人を殺すのが無理というなら、我もこの際、獣の命で我慢しようかと思っての。
どうじゃ、獣狩りならば何の問題もなかろうが。貴様は人助けができて、我も命が喰らえる、双方ウインウインではないか』
ウインウインって……。
「人間の命じゃなくて、動物でもいいの?」
『うむ。甚だ不本意ではあるが、この際贅沢は言っておられぬ。次の契約者がいつ現れるかも知れぬのだし、ここで貴様になんとかしてもらわぬと、我の命がそれまで持たぬわ』
そうか、この俺も何百年ぶりとか言ってたしな。
「でも、やだ」
『なにゆえ! 我がここまで譲歩しておるというのに!』
「血なまぐさいのは嫌いなんだよ。だいいち、銃や罠を扱うには免許がいるんだぞ。そう簡単にできるもんか」
『武器など使わずとも、素手で十分じゃろう』
「血なまぐさいのは嫌だって言ってんだろ! 冗談じゃないよ」
『貴様! このまま我が餓えて消えてしまっても良いと抜かすのか!』
「いいよ別に。ああもう、わかったから飲め」
うるさいので、タンブラー一杯になみなみとビールを注いでやる。
『何がわかったじゃ! こんなもので我が誤魔化されるとでも! ぐ~……』
寝た。
などとは言ったものの、実は俺も内心ちょっと困っていた。
なにしろこの神様、言う事は物騒だけどそんなに悪い奴とは思えないし、俺もすっかり馴染んでしまって、今では友達みたいな感じがしているのだ。
このまま俺が何もしないせいでこいつが消えてしまうようなことになったら、この俺が殺したようなものじゃないか。
かと言って、人殺しも動物殺しも嫌なものは嫌だし。
そしてその後も、こんな調子のやりとりが毎晩続いた。
神様にとっては、魂を喰えるか喰えないかは文字通り死活問題なので、真剣になるのは当然だ。その気持ちは俺にも十分に理解できる。
猪狩りなんてことを言い出したのも、本人にしてみればギリギリの妥協点だったに違いない。
よくぞそこまで神のプライドを捨てられたものだと、拍手を送りたいくらいだ。
でも、だからと言って、生き物を殺すなんてそう簡単に出来るものではない。むしろ、何でもいいから殺せ殺せと責め立てられると、かえって抵抗が増すというものだ。
事実、こんなことがあった。
ある日のことだ。俺は道を歩いていて、目の前を一匹の蛙がピョンピョンと跳ねていくのを見つけた。
俺の脳裏には、当然のことながら神様の顔が浮かんだ。こんなものでも、あいつの腹の足しになるのだろうか。ちょっと踏み潰してやろうかな、と。
でも結局、俺はそれをすることができなかった。
そのとき俺は、自らの手で生き物の命を奪うという行為を、途轍もなく重く感じてしまったのだ。
そして同時に自分の傲慢さに気付いて、自己嫌悪に陥った。
俺だって、生きるためには食べなければならない。その為に、毎日数多くの生き物の命を奪い続けている。
なのに、自分の手でそれをすることだけは嫌だなんて。そんなの、ただ現実から目を逸らしているだけじゃないか。
自分勝手すぎる……。
しまいには神様と顔を合わせるのも辛くなってしまい、とうとう自分の部屋に入ろうとすらしなくなってしまった。
ごめんよ、神様。でもやっぱり俺には……。
そんな、ひとり悶々とする日々が続いた、とある日曜日のことだった。
「ちょっと出かけてくる」
「どこ行くの? パパ」
「TATUYA。本買いに」
「あっ、じゃあ結衣も行く。セクシー・ゴーンのCDが出ているはずだから、見に行きたい」
見るだけで済むはずがなく、要するに俺に買ってくれということなのだろうが。だが、せっかくの娘とのデートの機会を捨てるような俺ではない。
「しょうがないなあ」などと心にもない文句を口走りながら、一緒に家を出た。
小学4年生の結衣は、今でも俺と手を繋いでくれる。
いつまでこうしてくれるかなあなんて考えると、少し寂しい気持ちになるが、そんな先のことを考えてブルーになるなんて無意味なことだ。
それよりも、今を楽しむ方が良いに決まっている。俺は繋いだ手を子供みたいにブンブンと振りながら、一時の幸せを噛みしめていた。
だが……。
悲劇は、俺達が横断歩道を渡っている時に起きた。
突然、ドーン! という雷のような音が辺りに鳴り響き、驚いた俺と結衣が振り向くと、そこには赤信号を無視して交差点に進入してきたダンプカーが、軽自動車と衝突していた。
軽自動車は弾き飛ばされ、ダンプはそのままの勢いで突進してくる。真っ直ぐ、俺達の方に向かって!
運転席の様子は見えないが、制御不能になっているのか、ダンプが向きを変える気配はなかった。
咄嗟に俺は、立ちすくむ結衣を抱き上げ、逃げ出そうとした。
だがダンプはもう目の前だ。間に合わない!
「くっそーっ!」
俺は渾身の力で、娘の体を歩道に向かって放り投げた。
馬5頭分の力なんかいるもんか! 子供1人を投げられれば、それで十分だ!
「パパーッ!」
俺は、こちらに手を伸ばしながら宙を飛んで行く結衣に微笑みかけながら、心の中で神様に謝っていた。
(ごめんな、でもありがとう神様。
おかげで大切な娘を守ることが出来たよ。この次は、こんな気の小さい平凡な男じゃなくて、大望を持った大物に出会ってくれよな)
その直後。
結衣を投げた反動でよろめく俺の体の上に、巨大な鉄の塊がのしかかって来た。
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