第10話 魔杯の神様と不死身になった男 #2



#2


 そして、次の日の晩。


「乾杯。どうだい? お湯割りというんだけど」


 俺は自分の分を湯呑に注ぎ、神様のタンブラーに軽く当てて乾杯の挨拶をした。

 昨日の30年物は、やっぱりもったいないので再び棚の奥にしまい込み、今日はいつもの安酒だ。神様も極上を捧げよとか言っていた割には、それほど味に拘りはなさそうなので、これで充分だろう。


『うーむ。暖かい酒というのは初めてじゃが、この体中に浸み渡って行く感じがたまらんのう。

 貴様、酒の飲み方というのをよく判っておるな。若いのに大したものじゃ』


 お湯割りくらいでえらい褒められようだが、数百年前と現代では酒文化にも格段の差があるだろう。

 こうしてお近づきになったのも何かの縁だし、色々と楽しませてあげようか。


「で、昨日の話の続きなんだけど」


『うむ』


「不死身の体になったって言われたけど、今日一日動き回っても全然実感がないんだよね」


『そりゃそうじゃろ。不死身なんて、その時になってみなければ気付きもせぬわ。なんなら、今試してみるか?』


「怖いことを言うな。だいいち、昨日あんたは不死の力は1回だけって言ってただろ。今試したら、それで終わりじゃないか」


『案ずることはない。死ぬほどの大怪我なればせいぜい1回分じゃが、ちょっとした傷くらいなら大した力は使わぬゆえ、何度でも全然平気じゃぞ。

 ホレ、その辺の刃物で、手首でも景気よくスパッとやってみい』


「そんな気軽に手首が切れるか。でもそうだな、そこまで言うなら」


 引出しからカッターを取り出し、人差し指に当てる。

 指先をよく見ると、確かに昨日の傷はきれいさっぱり消えていた。でも、もともと針でちょっと突いた程度だったし、不死身のおかげで治ったのか、普通に治っただけなのかまでは判断できない。


「うーん」


『どうした、さっさとやらぬか』


 と言われても、やっぱいざとなるとな。


『平気じゃと申しておろうが。なんじゃ貴様、大人のくせに注射が怖くて医者に行けぬタイプか?』


「こらお前! 注射とかタイプとかって、そんな現代用語をいつの間に憶えたんだよ!」


『貴様の記憶を探ってみただけじゃ。ほれほれ、痛くないよー、怖くないよー』


 くそ、馬鹿にしやがって。


「よし、やってやる」


 カッターの刃を指先に押し付け、息を止めて。せーので、スパッと!


「痛ってー!」


 勢い余って、深く切り過ぎた。傷口から溢れ出した血が、たらたらと杯の中に流れ落ちていく。


「おいこら、全然痛いじゃないか! 何が痛くないよー、だ!」

『済まぬ、嘘ついた』


 このジジイ!


『じゃが、傷がすぐに治るのは本当じゃぞ。よく見てみい、もう治っておるじゃろ?』


「ん?」


 指先をしゃぶってこびり付いた血を舐め取ってみると、確かに、あんなに深かった傷が、きれいさっぱり消えていた。


「本当だ」


『じゃろ? じゃろ?』


 神様のドヤ顔って、なんかムカつく。


「なるほどね、どうやら不死身ってのは嘘ではなさそうだな。でもさあ、痛みはそのままってことは、死ぬほどの大怪我をしたら死ぬほど痛いんじゃないの?」


『そりゃ、死ぬほど痛いじゃろうな』


「じゃあ、以前お前が力を与えた人って、何度も何度も死ぬほどの痛い思いをしながら、戦い続けたってことなのか?」


『うむ、その通り』


 そんな人生、絶対に嫌だ。


「でも、ただ死なないだけじゃ、駄目なんじゃないのか?

 弱い奴がいくら戦っても、延々とボコボコにされ続けるだけだろ。剣の達人とか、せめて怪力でもあればともかく」


『ああ、力か。力の方はまあ、大したことはしてやれぬなあ』


「そうなのか? 残念」


『せいぜい、馬5頭をまとめて投げ飛ばせる程度かのう』


 スーパーマンじゃねえか。


「それだけでもう、天下無敵だろ」


『そうか? 不死身の体に較べれば、馬5頭くらいでは自慢にもならぬと思うが。戦の神などと名乗っておきながら、恥ずかしい限りじゃ』


 変なところで謙虚だな。


「あれ? てことは、俺も馬5頭分の怪力ってことなのか?」


『うむ、試しに酒瓶でも握り潰してみるか?』


「やだよ、もったいない」


 馬5頭とか、酒瓶を握り潰すとか。右手をニギニギとやってみたが、全然そんな実感は湧いてこなかった。


「そうか、不死身で怪力のスーパーマンなら、人助けの役には立ちそうだな。

 空とか飛べる?」


『飛べるわけなかろうが。それに貴様、いま何と言った? 人助けじゃと?

 助けてどうするか、この愚か者が! きっちり殺せ!』


「やだって言ってんだろ」


『ぬうう、強情な奴め。

 ああ、そうそう。それとな、まだ肝心なことを伝えておらんかったが』


「肝心なこと?」


『そうじゃ。我の神力は、この杯を側に置いておかんと十分に発揮できぬからな』


「そうなのか、それは大変だな」


『じゃによって、肌身離さず身に付けて置くがよいぞ』


「邪魔だから、お断り」


『貴様……』


「そんなことよりさあ、もっと面白い話を聞かせろよ」


 俺も飲みながら話しているので、ちょっと肴が欲しくなっていたのだ。


『面白い話とは?』


「だからさ、お前が力を与えた奴が本当に世界征服を目指したのなら、歴史に残っているはずだろ? どんな奴がいたんだ?」


『どんな奴と言われてものう。えーと……。ああそうそう、ギルガメシュの奴なんかどうじゃ?』


「ブッ!」


 いきなり、レジェンド級の大物が出て来た。


「ギルガメシュか。名前くらいは知っているけど、いったい何をやった人なんだっけ」


 俺は机の上のパソコンを起動し、カタカタとキーを叩いた。


『なんじゃ、それは?』


「これはパソコンと言ってな。この中にはウィキ先生という偉い人が入っていて、何でも教えてくれるんだ」


『賢者の聖櫃か』


「まあ、そんなとこ。

 えーと、ギルガメシュ……と。フムフムなるほど、やっぱ伝説の大王様だよな。

 あれ? でもこの人、最初から王様で、一代で世界征服をしたってわけではないのか。

 まあいいや、んで最期は……と。普通に病死してるし。

 なにこれ、織田信長とかチンギスハーンみたいな波乱万丈の人生なのかと思ったら、順風満帆じゃないか。面白くない」


『ああ、チンギスな。織田なにがしは知らんが、チンギスも我の加護を受けた一人じゃぞ』


「マジか? そりゃ本当に世界征服をしてるな。でも、俺にそんなことをやれって言われても、困るからな」


『なにを困ることがある。貴様は思う存分暴れれば良いだけじゃ、簡単ではないか。

 貴様を害することが出来る者など一人もおらぬのだ。従わぬ者、気に入らぬ者は片端から殺してしまえ。さすれば貴様は世界の王じゃ』


「ふざけんな。この令和の時代に、そんな雑なやり方が通用するか」


『令和とは?』


「この国の元号だよ。こないだ天皇陛下が代替わりして、平成から令和になったんだ」


『なるほど、王暦か。王がいるなら話が早い。なれば、まずはその者を』


「やめろーっ!」


 とんでもないことを言う奴だ。

 まあでも、そもそもこいつは、この俺に世界征服をそそのかしているのだから、これくらい言うのは当然か。


 コンコン……。

 と、その時、ドアをノックする音が響いた。


「あなた……。どうしたの、さっきから大きな声出して?」


 妻だ。まずい!


「ああああ、ごめんごめん。いやその、ちょっとネットでね。チャッ友とちょっとやっちゃって」


 チャットだかちょっとだか、自分でも何を言っているのかよく判らない。


「そう? 明日も仕事で早いんだから、あまり夜更かししちゃ駄目よ」


「うん、わかった。もうそろそろ寝るから。おやすみ」


「本当にわかってるの? あら、そのタンブラーは?」


 まずい、見つかった!


「あっ、ああ、これは昨日お店で見つけて。そんなに高いものじゃないから」


「そう? ちょっと素敵ね」


 妻はそう言いながら部屋に入ってきて、タンブラーを覗き込んだ。

 そして、その隣りに立っている神様と、思いっきり見つめ合って……!

 

「飲みすぎないようにね。じゃあ、おやすみなさい」


 なかった……のか……? 妻は、何事もなかったように部屋を出て行った。


「お、おやすみなさい」


 パタン、とドアが閉まる。

 冷や汗がドッと出た。ああよかった、ひょっとして、神様の姿は俺にしか見えないのか。


「ねえ、神様?」


 と、机の上を見ると……。


 既に寝ていた。


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