第4話

「遥。ねえ、大丈夫?」

「何でもないの。」

「何でもなくない。」

「ねえ、樹は何がしたいの。私をここに入社させようとしてたの。赤ちゃんはどうするの。この先のこと、何も見えてないじゃない。それなのに大丈夫なの。早いうちに赤ちゃんポストにこの子を入れて、私は風俗でも何でもやってお金を稼ぐから。自分が暮らしていくためのお金くらい自分でなんとかするよ。樹と私は、別々でしょ……」

「俺は遥と赤ちゃんを手放したくないんだ。この先が見えないなら、今から決めればいいだろ。」

「そんな簡単にいくわけないじゃない。よく考えてよ。

 二人で働いたって子供はすぐ風邪引くから毎日のように呼び出されるのよ。保育園はどうするの?何もかも高いお金がかかるんだよ。小学校に上がったら勉強とか見てあげなきゃいけないし、中学に上がったら部活とかもやるからどうしてもかかるお金は高くなる。高校生になったら、公立に行ってくれれば授業料は無料になるけど私立だったらどうするの?学費払えるの?大学なんて行かせてあげられないよ。うちらは高卒で働いて、大学に行くのを諦めて、だから夢だって諦めて。このまま二人で育ててもどうせそうなるんだよ。この子も同じ目に遭うことになるなんて可哀想だよ。普通じゃないってのは可哀想なんだよ。

 そもそも、産んだのが悪いんだ。せっかく生まれてきたのに、どうせ私たちはバラバラなんだよ。この子の居場所は私たちのところじゃない。施設に行くとしても、私たちが育てられるとしても、どのみちこの子は不幸なんだよ!」

「それは違う。この子は不幸なんかじゃないよ。よく見てみてよ、赤ちゃんの顔。幸せそうに眠ってるよ。俺たちが普通じゃないから赤ちゃんを手放したって、俺たちが育てたって、どうせ苦労するんだ。だったら家族がいて、大事にしてくれる親と一緒いることの方がよっぽどいい。この子がやりたいことがあったら、俺たちも一緒に頑張るんだよ。俺たち三人ならなんとかなるよ。

 ねえ、あのさ。」

 急に話を変える風にして、彼は黙った。もう、変なところで止まるんだから。

「何よ。はっきり言って。」

「いや、えっとね」樹は彼の足先を見た。

「赤ちゃんの名前、いいの思いついたんだ。希望とか夢とか、それよりもっと大事なことに、俺気付いたんだ。」

 樹は右手の人差し指でテーブルに見えない線を書いた。それは文字だった。

 左手で自身の耳を触った。耳は赤かった。そしてその手を下ろすと、きゅっと握った。いつもより小さい拳だった。

「俺と遥の赤ちゃん。俺らは親に捨てられても、こうして一緒にいられる相手を見つけたわけじゃん。俺らは繋がってるんだ。

 だから、赤ちゃんの名前は、結。

 家族三人、結ばれているって意味なんだ。

 姫野樹と姫野遥と姫野結。いいだろ?」

「ゆいちゃん、か。かわいいね。

 それに、木戸遥じゃなくて、姫野遥。」

 樹は両手を膝の上に置いた。

「遥。俺と、結婚してください。」

「バカだなあ。何回言えば分かるの?これから一生苦労するって。」

「遥と結がいれば、大丈夫だよ。」

「それだけ『結ばれているんだ!』って言っておいて逃げ出そうものなら、ただじゃおかないから。」

「当然だよ。家族になるんだから。」

「もう、分かったよ。いいよ。」

 スゥっと空気を吸った。澄んだ酸素が身体中に行き渡っていく。

 一生に一度のこの瞬間が、こんな汚いアパートの一室で、しかも泣きながらなんて。ダサいけど、それがうちららしいのかもしれないな。

「よろしくお願いします。末長く。」

 私はぎゅっと結を抱きしめ、樹は私を抱擁した。この樹の肩が小さく震えているのが分かった。

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むすび 紫田 夏来 @Natsuki_Shida

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