手を取り合って

「兄さん、イリス、お久し振りです。

……こんなに活気のあるエヴェレット家も、久しく記憶にないような気がしますね」


ソファーに腰を下ろしたヴィンセントの横から、レベッカが、紅茶のカップをテーブルに置きながらにこりと笑った。


「それはもう、マーベリック様とイリスの結婚式に向けて、家中が湧き立っておりますから。内々の式とはいえ、私たちの大切な旦那様と、皆から愛されているイリスの結婚式ですもの、気合いが入るのは当然ですよ」


ヴィンセントとテーブルを挟んで、並んで腰掛けていたマーベリックとイリスは、互いに目を見交わすと、少し恥ずかしそうに微笑んだ。イリスの左手の薬指には、マーベリックから贈られた、深く澄んだエメラルドがあしらわれた指輪が輝いている。


ヴィンセントは、目の前の幸せそうな2人の様子に、嬉しそうに目を細めた。


「イリス、あなたと家族になれるなんて、喜ばしい限りです。エヴェレット家の一員になってくださること、心から歓迎しますよ。

……正直なところ、イリスのような女性を妻に迎える兄さんが羨ましいですが、さすがに、兄さん相手じゃ分が悪いですからね」

「まあ、ヴィンス様」

「はは、私は勝てない勝負はしない主義なのですよ」


ヴィンセントが冗談めかしてイリスにぱちりとウインクをしてから、やや真剣な表情に戻ると、マーベリックとイリスに対して口を開いた。


「今日私がここに来たのは、お2人の結婚のお祝いを申し上げるためと、もう一つ、兄さんが前に幻の能力と言っていたものについて、調べた結果をお伝えしたかったからです」

「何か、新しくわかったことが?」

「……まあ、それほどはっきりとしたことがわかったというほどでもないのですが。

魔術師団の書庫で、古い歴史書を調べたところ、確かに、5つの魔法の属性以外にも、幻の属性と呼ばれる能力が存在したようです。ただ、その能力者の力と言うのも、人によって種類や幅があるようでしてね。一概には言えないようなのです」

「……ほう」

「ただ、共通する点としては。

まず、その能力は、兄さんが以前に言っていたように、直接的には目に見える魔法の形を取らないということ。一見、能力者かどうかがはっきりと目に見えてわからないところが、幻の能力と呼ばれる所以なのかもしれません。

そして、この能力の持ち主は、太古の昔に、この国で神と崇められていた、幻の存在とされる竜から好まれるようなのです。さらに、竜と意思疎通する能力を持ち、それにより竜の力を使うことができる者もごく一握りいたと、そのような記載が残っています」

「……レノのような場合か」

「恐らく、そうなのでしょうね。

そのようなごく少数の者には、レノのように、普通の人間とは異なる肌や外観の持ち主が見られたようです。ただ、その能力はそのままに、そのような特殊な外観が、ある時突然消え失せた者もいたとの記述が残っているのです」

「その部分のことを、詳しく聞かせてくれるか」


思わず身を乗り出したマーベリックに、ヴィンセントが残念そうに首を振った。


「兄さん、申し訳ないのですが、それ以上は、あまりはっきりとしたことはわかりませんでした。自らに対する能力の統率が十分に出来るようになると、そのような外観含めてコントロールできるようになると、どうやらそういうことらしいのですが。その具体的な鍵となるものが何かの記述までは、残されてはいませんでした」

「そうか。

……もしも、それをレノがコントロールできるようになれば、昔レノが体験したような、他人からの視線や偏見による恐怖を感じることはなくなると、そう思ったんだがな」

「そうですね……」


マーベリックの隣に座るイリスに、ヴィンセントは視線を移した。


「それから、イリス。あなたは、兄さんから、あなたの能力と思われるものについて、もう聞いていますか?」

「はい。私がマーベリック様のご無事をお祈りしていた時、マーベリック様が普段以上の力を感じたと、私の祈りに何らかの影響力があるのかもしれないと、そのように伺いました。……私には特に自覚はないので、よくはわからないのですが」

「兄さんの見解は正しいと思います。私も、あなたに看病していただいて、身体の内側から湧き出るような力を感じましたから。

あの時も、私の回復を願ってくださったのでは?」

「ええ、その通りです。ヴィンス様の傷が癒えて、無事に回復なさるようにと、そうお祈りしておりました」

「やはり、そうでしたか。

歴史書にも、イリスと似たような能力についての記述がありました。他者の力を高めたり、傷の治癒を早めたりといったことが、祈りによって叶えられたようです。

あくまで身体的なことに関して影響する能力で、精神的な部分や、他者の意識といったことにまで影響を及ぼすことは出来ないようですけれどね」


マーベリックは、ゆっくりと口を開いた。


「そのような、精神や意識という部分にまで直に力が及ばないというのは、ある意味当然のことだろう。

だが、結局、俺たちは、心の中で願う方向へと向かって行くものだからな。例えば、誰かの笑顔や幸福を祈ることは、それ自体によって、特別な力が直接的に働くものではなかったとしても、きっと、それを叶える道へと導いてくれるものなのだろうと、俺は信じているよ」

「私もそんな気がしますわ、マーベリック様」


イリスがマーベリックを見つめて、にこりと笑った。


「それから、私の祈りにもし力があるとして、の話ですが。結果として生じる効果については、私の力だけで生じるものではないような気がします」

「……それは、どのような意味ですか?」


ヴィンセントの問い掛けに、イリスは記憶を辿りながら答えた。


「今までに、私は幾人かの怪我人を看病したことがあり、その度に、彼らの回復を祈っておりました。


幸運なことに、どの方も無事に回復なさいましたが、その治癒の早さは、人によってかなりの違いがあったのです。……特に、怪我の治癒という面では、ヴィンス様の傷が癒える早さは、飛び抜けていました。信じられない程にお怪我の回復が早かったのは、とても喜ばしいのと同時に、少し不思議に思ってもいたのです。


けれど、ヴィンス様が、非常に高い能力をお持ちで、魔術師団長をなさっていると後から伺って、腑に落ちた気がしました。

恐らくですが、私の祈りが影響を与えるとすれば、その祈りの対象となる方の、元々の能力のようなものも、関係しているのではないかと思います」

「ほう、なるほど。それはあり得るかもしれませんね。

祈られる側の力に応じて、効力の現れ方が異なるということでしょうか。いくらイリスの祈りの力が強くとも、その対象となる者の元の能力によっては、効力の発現までに時間がかかることもあると、そう言ったところなのかもしれませんね。


……それなら、元々天才と呼ばれる兄さんにイリスがついていてくれたなら、向かうところ敵なしですね」


楽しげに笑ったヴィンセントに、マーベリックが、イリスの肩を優しく抱き寄せながら答えた。


「……勿論、イリスの能力は素晴らしい、そしてごく稀少な能力だが。

そのような力の本質がどうであれ、俺には、イリスの優しく思いやり深いところが、その力の根底にあるような気がしてならない。


そして、そのような力にかかわらず、俺は温かな心のイリスのことを、心底愛しているんだよ」

「私も同じ気持ちですわ、マーベリック様」


真っ赤に頬を染めて微笑んだイリスを軽く抱き締めてから、マーベリックはヴィンセントに口を開いた。


「さて、ヴィンス。お前の調べてくれた幻の能力のことも一通り聞けたことだし、そろそろ、レノの待つ離れに向かおう。

ヴィンスに会えるのを、レノも楽しみにしているからな」

「ええ。この前はあまりレノと話せませんでしたし、今日は久し振りにゆっくりレノと遊びたいものですね」


3人が離れのドアを開けると、小さな真っ白なタキシードを身に付けたレノが飛び出して来た。


「おや、レノ。素敵なタキシードを着ていますね」

「ふふ、そうかなあ、ヴィンス兄さん。

マーベリック兄さんとイリスの結婚式のために、新しくあつらえて貰ったんだよ」


にこにこと明るく笑うレノに、イリスも嬉しそうに微笑んだ。


「まあ、レノ様!とってもよくお似合いですわ」

「ありがとう!

……あのね、兄さん、イリス」


レノが、真剣な表情で2人を見つめた。


「僕、この服で兄さんたちの結婚式に参列しても、いいかなあ。

僕のこの肌だと、皆を驚かせちゃうかな?

このタキシードだと、僕の右半分の顔や手首から先は、そのまま露わになっちゃうから」


イリスは屈んでレノに視線を合わせてから、その頭を優しく撫でた。


「素敵なことだと思いますよ、レノ様。

レノ様のことをよく知ったら、皆、レノ様のことをもっと好きになりますよ」


「レノ、強くなったな。勿論構わないよ。

……もしかしたら、君のその肌を、君自身で制御できる可能性もあるかもしれないが、その可能性を探ってからでなくても、レノはそれで大丈夫かい?」


労るような優しい視線でレノを見つめたマーベリックに、レノは頷いた。


「うん。いいんだ。

僕、この外見のせいで、嫌な目に遭ったこともたくさんあるし、この見た目が他の人たちと同じだったらって思ったことは、今までだって何度もあったよ。

……でも、兄さんたちもイリスも、僕のこの外見を、そのまま受け入れてくれたもの。僕にしか見えないものだって、その存在を信じてくれて、僕自身をまるごと愛してくれた。だんだん、僕は、このままの僕でも幸せだって、そう思えるようになったんだ。

だからね、僕自身も、そのままの僕を受け入れたいなって、そう思ったんだよ」


そう言ってレノが心からの笑顔を浮かべた時、淡い光がレノの右半身をふわりと覆った。


「レノ、君の肌が……」


言い掛けたヴィンセントの言葉はそのまま飲み込まれ、マーベリックもイリスも、レノの姿が光に覆われるさまを、息を飲んで見守っていた。


淡い光が消え失せた時、レノの右半身を覆っていた、金色がかった鱗状の皮膚は、抜けるように白い、滑らかな肌へと変貌を遂げていた。


マーベリックはレノの右頬に手を伸ばすと、そっと触れた。


「レノ、君は、君自身を受け入れたことで、どうやらその力がコントロールできるようになったようだね。

……ほら、鏡を見てごらん?」


首を傾げたレノが、鏡の前に行き、目を丸くして鏡の奥を覗き込んでいる。


「これが、僕?

……不思議だな。何だか、僕が僕じゃないみたい」


ぺたぺたと自分の右頬を触り、不思議そうに右手を見つめていたレノに、イリスがにっこりと笑い掛けた。


「今のレノ様も、今までのレノ様も、どちらも間違いなくレノ様ですよ」

「うん、イリスに言われると、そうなんだなって、そう思うよ。

ありがとう、イリス……!」


イリスに顔いっぱいの笑顔を浮かべて抱き付いたレノを、マーベリックとヴィンセントは、目を細めて、温かな瞳で見つめていた。


***

「さあ、準備できたわ。……凄く綺麗よ、イリス。

自信を持って、マーベリック様の隣を歩いてね」


繊細なレースのあしらわれた、純白のウェディングドレスに身を包んだイリスの化粧を仕上げると、ソニアが心から嬉しそうに笑った。


「ありがとう、ソニア」

「ふふ、どういたしまして」


その横では、モリーが感極まって、瞳にいっぱいの涙を溜めながら、イリスのことを見つめている。


「まあ、お嬢様。本当に、お美しくなって……!」

「来てくれてありがとう、モリー。嬉しいわ」

「お優しくて忍耐強いお嬢様のことを、昔から、ずっと見ておりましたから……ああ、このモリー、もう、感無量でございます。天国の旦那様と奥様にも、できることなら見せて差し上げたかったですわ。


そして、お相手があのマーベリック様とは……!マーベリック様も、見る目があるなと感心していたのですよ。彼になら、お嬢様を安心してお任せできますね」


その時、やや遠慮がちに部屋のドアがノックされると、レベッカが顔を覗かせた。


「もう、ご準備は出来ましたか?

……まあ、何て素敵なんでしょう!」


レベッカも、振り向いたイリスの美しい姿に、思わずその瞳を潤ませた。


「イリス、あなたの、その幸せそうな笑顔を見ることができて、本当に嬉しく思っていますよ。


このエヴェレット家の庭にも、もう、すっかりと式の準備が整って、マーベリック様とイリスを祝福する屋敷の者たちが、お2人の登場を心待ちにしています。


ただ、ここに、少し気の早いお客が幾人か……」


レベッカが振り返ると、その後ろから、レノがひょいと顔を覗かせた。


イリスを見ると、レノは目を輝かせてイリスの元に駆け寄って来た。頬を上気させてイリスを見上げ、満面の笑みを浮かべている。


「うわあっ、綺麗だね、イリス!!」

「レノ様、ありがとうございます」

「今日から、イリスが僕のお義姉さんになるんだね。やったあ」

「ふふ、私も嬉しいですわ」


イリスが優しくレノを抱き締めていると、にこにことしながら、黒いタキシードに身を包んだヴィンセントが横から現れた。


「まるで花のようにお美しいですね、イリス。

……兄さんに取られてしまうのが、惜しいくらいですよ」

「まあ、ヴィンセント様。お上手ですね」


くすりと笑ったイリスの手を、ヴィンセントが恭しく取ろうとした時、その手を躱してイリスの手をすっと奪って行った、白く滑らかで大きな手があった。


「ヴィンス、イリスは俺の花嫁だぞ」

「まあ、今はまだ、兄さんと結婚する直前ですし。そんな顔をしないでくださいよ」

「マーベリック様、いつの間に……?」


驚きに目を見開いたイリスの手を取ったマーベリックの姿を見て、イリスの頬が途端に赤く染まる。銀色のタキシードに身を包んだマーベリックは、まるで一国の王子のような美しさと凛々しさがあった。

マーベリックは、蕩けるような甘い笑顔でイリスを見つめた。


「とても綺麗だよ、イリス」

「ありがとうございます。

マーベリック様こそ、本当にお美しいですわ。

あの、どうしてマーベリック様もこちらに……?」

「……君のウェディングドレス姿を、兄弟たちに先に見られるのも、何だか悔しいと思ってね」


その様子を見ていたレベッカは、くすくすと楽しげに笑っている。


「もう、エヴェレット家はご兄弟揃って、イリスのことが大好きなんですから」


イリスの手を取ったマーベリックは、真っ直ぐに、幸せ溢れる笑顔でイリスを見つめた。


「俺は、世界一幸せな花婿だな。

……さあ、そろそろ行こうか。イリス」

「はい」


窓の外では、雲一つない青空の下、温かな陽射しが燦々と降り注いでいる。


イリスは、マーベリックと微笑みを交わしてその手を握り返すと、2人を祝福する人々が待つ、温かな光の中へと進み出て行った。

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