小さな光

マーベリックとヴィンセントが馬車でエヴェレット家の前まで来ると、幾人もの使用人たちが屋敷の前に出ており、何やら騒がしくしている様子が見えた。


マーベリックとヴィンセントは思わず目を見交わすと、急いで馬車から降り立った。


マーベリックはレベッカの姿を見掛けると、すぐに彼女に駆け寄って尋ねた。


「レベッカ、これは何の騒ぎだ?」

「マーベリック様!お帰りなさいませ。

実は、先程からイリスの姿が見当たらないのです」

「……何だと?」


マーベリックの顔から、すっと血の気が引いた。


その時、レベッカの後ろから、勢いよく走って来る小さな姿がマーベリックの視界を捉えた。


「兄さん!!」


街に出掛けた時と同じマントを羽織り、フードを目深に被ったレノの涙声が聞こえたかと思うと、レノがぎゅっとマーベリックに抱きついて来た。


「レノ!何があったんだ?」

「イリスが、帰って来ないんだ。すぐに戻るって、そう言ってたのに、ずっと戻って来ないから、僕、心配で……」


マーベリックとレノの側に、不安げに瞳に涙を浮かべたソニアがやって来た。


「マーベリック様が出掛けられた後、商人と思われる方がやって来て、街で注文されたレノ様宛の品を持って来たと、そう言われたのです。


私では内容がよくわからなかったので、離れにいたイリスに聞きに行って、そうしたら、イリスが代わりに彼に確認してくれることになって。


……でも、イリスがそのまま戻らずに、姿を消してしまったのです。こんなことは今までになかったし、イリス自身の意思で急にいなくなるとも思えなくて。それに、あの商人の男性が纏っていた空気も、思い返してみると、何だか重かったような気がして……。


レノ様に、イリスが戻っていないと聞いてから、イリスが何かに巻き込まれたんじゃないかって、今、みんなで手分けして探しているところなんです」

「そういうことか……」


マーベリックは、涙を流しながら小刻みに震えているレノの頭を、優しくフード越しに撫でた。


「レノ、君が自分の意思で、1人で離れから出たのは、本当に久し振りのことだな。勇気がいっただろう。

それだけ、イリスのことが心配なんだろう?」

「うん」


頷いたレノを抱き締めてから、マーベリックはヴィンセントを振り返った。


「ヴィンセント。加勢を頼めるか?」

「ええ、勿論です。……ただ、行方知れずというと、若干こちらに分が悪いところはありますね。誰かを探すための直接的な魔法というのはありませんから、地道に聞き込みなどをするほかないでしょうね」

「……そうだな」


(いくら魔物を一息に倒せる力があっても、大切な人の危機に、この力を生かせないなんて……)


悔しさに顔を歪めながら、唇を噛んだマーベリックに、はっとしたようにレノが大きな声を上げた。


「そうだ!僕の友達にも、探してもらおう。

もしかしたら、イリスのことを見ていた友達もいるかもしれない」


中庭に向かって、たっと駆け出したレノの後を、ヴィンセントが追い掛ける。

マーベリックもその後を追おうとしながらも、ふとレベッカを振り返った。


「レベッカ、君の前の勤め先は、クルムロフ家で合っているかい?」

「え?

……ええ、そうですけれど」


マーベリックはレベッカの言葉に頷くと、レノ達の後を追って走って行った。


マーベリックが視線の先にレノを捉えた時、レノが中庭の上方を見上げて、大きく両手を広げた。


「ねえ、みんな、お願いがあるんだ。

イリスのことを知っているでしょう?イリスが急にいなくなっちゃって、今、探してるんだ。


……みんなにもイリスを探すのを手伝って欲しいんだ。見付けたら教えてもらえる?

すぐにイリスを迎えに行きたいから」


ざわり、と木の葉が風に揺らいだような感じはしたけれど、その後、すぐに辺りはしんと静まり返った。


ヴィンセントはマーベリックをちらりと見た。レノの言っていることが本当なのかどうか測りかねていると、そうヴィンセントの顔には書いてあった。


「あれ、おかしいな?

あの小さな金色の竜がいない。いつも、だいたいここにいるのに……」


レノが、小首を傾げて小さく呟いた。


***

「イリス、震えているようだね?


……君の瞳に浮かんでいる、僕を怖がっているようなその色は、いただけないけれど。

でも、……君はとても綺麗になったね、イリス。

悔しいが、あのマーベリックのお蔭なのかな」

「……」


口を噤んだままのイリスの顎から、ケンドールはそっと手を離した。

ケンドールは、イリスが横たわるソファーのすぐ真横に椅子を引くと、そこに腰掛けてイリスの顔を見下ろした。


「まず、君にお願いしたいのは。

……僕の、この右腕の怪我が見えるかい?

以前、魔物討伐の遠征に行った時に、キマイラにやられた傷だ。この傷が、なかなか思うように治らなくてね。

君に、この怪我を治して欲しいんだ」


イリスは、その青白い顔に明らかな戸惑いを浮かべた。


「ケンドール様、貴方様もよくご存知の通り、私には魔法が使えませんわ。

ですから、光魔法が使えるヘレナとは違って、私には回復魔法でケンドール様を治すことなど、できません」

「……だが、君は、ヴィンセントの回復を早めたそうじゃないか?

マーベリックの風魔法の威力も、格段に高めた。それと同じことをしてくれればいいんだよ」

「……仰っていることが、さっぱりわかりませんわ。私、何もした覚えはありませんし、そもそも私にはそんな力は……」


ケンドールは、その瞳に微かに苛立ちを滲ませてから、イリスの顔を見つめた。


「僕はね、イリス。君と仲直りがしたいと思っている。君に、僕の元に戻って来て欲しいんだよ。

だから、あまり僕のことを怒らせないでくれるかな?」


口調はあくまで穏やかながら、瞳に暗い色が揺らめくケンドールの姿に、イリスはさらにふるりと震えた。


「君にそういう不思議な力があるということは、わかっているんだ。

あまり脅かすようなことはしたくはないが、……そうだな」


再度イリスの顎に触れたケンドールは、そのまま下へするりとその指を滑らせ、首元を通ってから、前留めになっているワンピースのボタンの1番上に手を掛けると、そのボタンを指で弄び始めた。


ぞくり、と、イリスの背中に悪寒が走る。


「僕が君と婚約破棄していなければ、いずれ同じことになっていたのだから、さ。構わないだろう?

……まあ、順番というものがあるからね。これを外すのは、君が僕に抵抗を続けた時だけだ。わかるね?」


イリスは涙目で首を横に振った。ケンドールの瞳が冷え、そのボタンに掛けた指先に力が込められる。


(嫌、やめてっ……)


イリスが身体を引いて、思わず目を閉じた時、ケンドールの驚いたような声が聞こえた。


「……!?

何をする……!!」


イリスが恐る恐る目を開けると、後退ったケンドールと自分の身体との間に、小さな炎が浮かんでいた。炎は小さいながらも、薄暗いその部屋の中を、眩く明るい光で照らし出している。


しばらく驚きに目を見開いていたケンドールは、突然くつくつと笑い出した。


「は、はは、ははは……!

君は、ご両親と同じように、火を操れたのかい?君に炎魔法が使えるとは、知らなかったよ。

イリス、君は、どうやらまだ僕にたくさんの隠し事があるようだね」

「違いますわ、ケンドール様。

私にこのような魔法なんて、使えませんもの」

「……しらばっくれるのも、いい加減にしてくれるかな」


剣を抜いたケンドールが炎に向かって剣をひゅっと振りかざすと、炎はすぐに散り散りになってから、その光を失った。


けれど、イリスは、その散った炎が、消える間際に花弁のような形を取ったことに気が付いた。


(もしかすると、この炎は……)


ケンドールは剣を納めると、イリスに再度向き直った。


「君に魔法が使えるとは驚いたが、この程度の炎魔法、所詮子供騙しだ。たいした威力はないな。


……そうだな。君に対して、聞き方を変えようか。

君が昔、僕の気持ちに応えてくれて、僕たちが付き合い、そして婚約していた頃。君は、僕に何をしていたんだい?」

「……それは、どのような意味ですか?」

「僕は、あの頃いつも、身体の奥底から湧いてくるような力を感じていた。身体の隅々まで漲るような力を感じながら、騎士団での練習に励み、そして魔物討伐に赴いていたんだ。その力にいつも助けられながら、僕は目覚ましい功績を上げることができた。

……今ならわかる。あの力の源が、イリス、君だったんだよ。


さあ、教えてくれ、イリス。君は、僕にあの頃、何をしていたんだい?

あの時と同じことを僕にしてくれれば、ただそれだけでいいんだ」


(……昔、ケンドール様とお付き合いして、そして、彼と婚約していた頃……)


イリスは、ケンドールの言葉に、もうずっと遠い昔のことのように感じる、ケンドールの優しい眼差しを、記憶の中に探した。イリスに向かって、頬を染めて、愛情を込めて笑い掛けていた、遠い日のケンドールを思い出しながら、イリスは影の差す、間近にあるケンドールの顔に目を戻した。昔の面影がまったく感じられないほどに変わってしまった彼の姿に、イリスは思わず祈らずにはいられなくなった。


(すっかり変わってしまったケンドール様が、昔のような温かい、優しい心を取り戻してくださったなら。暗く濁ってしまった彼の瞳が、また昔のように澄んだなら……)


イリスは、しばらく瞳を閉じて口を噤んでから、薄くその瞳を開くと、遠くを見るような目をして、ゆっくりと口を開いた。


「私が、ケンドール様に、何をしていたかですか?


……ケンドール様の期待なさっているような答えとは、違うとは思いますけれど。


私は、いつも、ケンドール様のご無事を、ケンドール様が笑顔で過ごされることを……毎日、ただお祈りしておりました。


貴方様がお怪我をなさった時は、どうかその痛みが去って、早く回復なさるようにと。


魔物討伐に行かれる時には、貴方様が傷付くことなく、ご無事で安全に帰っていらっしゃるようにと。


できることなら、貴方様がご活躍なさって、早く魔物の討伐を終えて帰って来てくださったなら、そして貴方様の笑顔が1日でも早く見られたならと、そればかりを毎日願って過ごしておりました。


貴方様がお力を発揮なさって、希望に目を輝かせながら騎士団で出世なさっていく様子を、まるで我がことのように嬉しく思い、貴方様の希望が叶うことを願っておりました。


昔、出会った頃の貴方様が見せてくださっていたような笑顔は、だんだん、私には見せてくださらなくなりましたけれど。

それでも……、私は、貴方様がご無事でご活躍なさって、そして笑顔でお過ごしになられることをお祈りしていた、ただそれだけです」


ケンドールは、虚を衝かれたように、しばらくじっと動きを止めて、イリスのことを見つめていた。今までにないほどに、激しい後悔の炎が、ケンドールの胸の中を渦巻きながら焦がしていた。


深く心に響いて来たイリスの言葉に嘘がないことは、ケンドールにも、感覚としてはっきりとわかった。


そして、イリスの瞳の先には、ただ遠い日の自分だけが映っていて、今彼女の目の前にいる自分の姿は全く映ってはいないということも、痛いほどによくわかった。


「イリス、君は……」


ケンドールの両目に熱いものが滲み、思わずイリスに向かって手を伸ばす。


イリスが、悲しげな微笑みをケンドールに向ける。もう、イリスの心を取り戻すことはできず、彼女の瞳に二度と自分が映らないことは、その直感で感じはしながらも、ケンドールはどうしても、イリスへと伸ばす手を止めることが出来なかった。


ケンドールが伸ばした両腕をイリスに絡めようとして、イリスがびくりと身を竦めたその時、小さな炎が、再度ケンドールとイリスの間にはぜたかと思うと、その炎は、次の瞬間、轟音と共に大きく、高く舞い上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る