胸騒ぎ

「ようこそお越しくださいました、マーベリック様……!」


ヘレナは目を輝かせてマーベリックの元に駆け寄ると、にっこりと華やかな笑顔を浮かべた。


「ああ。

肝心のヴィンセントだが、少し所用を済ませてから来る。すまないな」


ヘレナはうっとりと、芸術品のように整ったマーベリックの顔を見上げていた。


(まあ、何てお美しいのかしら……!

間近で見ると、聞いていた以上だわ。


……彼がお姉様を気に入っているなんて、ケンドール様ったら、何を仰っているのかしら?

あの地味なお姉様に、そんなことは考えづらいけれど)


「君が、ヴィンセントのことを助けてくれたのかい?

……後で本人からも君に礼を伝えると思うが、まず、彼に代わって礼を言うよ」

「ふふ、お役に立てたならよかったですわ。

ヴィンセント様も後で使いの者に案内させますので、さあ、先にこちらへ」


ヘレナは、甘えたような表情を浮かべてマーベリックの手を引こうとしたけれど、マーベリックにはすっとその手を躱された。ヘレナに示された方向に向かって、すたすたと歩いて行く。


ヘレナは微かに口元を歪めた。


(この私を見て、眉一つ動かさないなんて……)


ヘレナの美貌を一目見て、表情を緩める男性は多かったし、この日、ヘレナがあえて選んだ薄桃色のワンピースも、ヘレナの豊満な身体の線が露わになる、普段なら男性の目を釘付けにして余りあるものだった。それなのに、マーベリックはヘレナに目をくれる様子もない。


マーベリックは、ヘレナの様子に、内心首を傾げていた。


(ヴィンセントは、ここの令嬢が必死に親切に看病してくれたと言っていたが。随分と、聞いていた話と、彼女の雰囲気が重ならないな……)


マーベリックを客間に案内したヘレナは、テーブルを挟んで、マーベリックの前に座った。


「早速だが、君に聞きたいことがある」

「はい、それはどのような?」

「ヴィンセントは、君に手当てをしてもらったお蔭で、回復が早かったと感じたと言っていた。

……君に、何か思い当たることはあるかい?」

「ええ」


ヘレナはにっこりと笑みを浮かべた。


「私、実は、光魔法の使い手なのです。

……光魔法の中でも、特に回復魔法は難易度が高いので、まだ、使いこなすという訳にはまいりませんが。

あの時は、ヴィンセント様はかなり酷い怪我を負っていらっしゃるようでしたので、早く治るようにと、必死に回復魔法を唱えましたの。だから、きっと私の思いが天に届いて、マーベリック様に回復魔法が効いたのでしょう」

「……」


眉を顰めたマーベリックが、ヘレナに問い掛けた。


「ヴィンセントは、看病してくれた令嬢は、魔法が使えなかったと言っていたと思うが……」

「それは、役割分担というものですわ。

当時、魔法の使えない、侍女のような者も、ヴィンセント様のお世話をしていたのです。傷の消毒をしたり包帯を巻いたり、まあ誰にでもできる手当てですわね。

彼女にそちらに対応してもらう代わりに、私は回復魔法に集中していたのですよ。

ヴィンセント様を助けるために」

「ほう。……では、ヴィンセントの治りが早かったのは、やはり君の回復魔法によるものだと?」

「ええ。

稀少な光魔法が使える者は、この国でもほんの一握り。回復魔法を掛けられたと気付かなくても当然ですわ」


(……どうも妙だな)


確かに、目の前の令嬢が言っていることは、あり得る話のようにも思われた。けれど、ヴィンセントから聞いていた様子と、彼女の様子が大分異なるのに加えて、ヴィンセントほどの魔法の使い手であれば、いくら酷い手負いの状況だったとしても、魔法が掛けられたこと自体に気付かないとは考えにくかった。


(まあ、ヴィンスが来るまで待ってから、話の続きを聞くとするか……)


一方で、マーベリックが思ったような反応を自分に対して見せないことに、ヘレナは焦り始めていた。

ヴィンセントの怪我など、既に過去のことだ。看病の経過については適当にお茶を濁して、後は彼らに気に入られてしまえさえすればよいと思っていたのに、どうにも、それが上手くいく気配がない。


今までヘレナが少し色目を使えば簡単に靡いた男たちとは、まったく様子が違っていた。


(さすがは、マーベリック様ね。手強いわ……)


ヘレナは席を立つと、マーベリックの座るソファーの横へと場所を移して腰掛けた。


怪訝そうな表情を浮かべるマーベリックの腕を、そっと触る。


「ふふ、マーベリック様。

この間の魔物討伐の遠征でのご活躍のこと、聞き及んでおりますわ。

今までに見たことのないような、凄まじい威力の風魔法をお使いになられたとか。素晴らしい腕前をお持ちなのですね」

「いや……」


少し身体をヘレナから引いたマーベリックに、ヘレナがなおも言葉を続けようとした時、客間のドアがノックされて、ヴィンセントが案内されて来た。


「いや、遅れて申し訳ありませんでした」


頭を下げたヴィンセントに対して、ヘレナは立ち上がると美しい笑みを浮かべた。


「まあ、ヴィンセント様。お待ちしておりましたわ」


ヴィンセントは、きょろきょろと客間の中を見回している。


「クルムロフ家には、ご令嬢が2人いらしたとは存じませんでした。

今日はイリスはどこに?」


(……イリスだって?)


マーベリックが、ヴィンセントの言葉にはっとして顔を上げた。

ヘレナは残念そうに、ヴィンセントの言葉に首を横に振った。


「お姉様は、もう家を出てしまいましたの。

残念ですが、今はこの家には私しかおりませんわ」

「……そうでしたか。

今日私が来たのは、私を助けてくれたイリスに礼を伝えるためと、彼女に聞きたいことがあったからなのですが」

「ご心配には及びませんわ。

確かに、お姉様もヴィンセント様の看病をしていましたけれど。ヴィンセント様の身体をほんとうに治したのは、私の回復魔法ですもの。

何か聞きたいことがあったら、私に仰っていただけますか?」


ヴィンセントはじっとヘレナを見ると、その目を眇めた。


「失礼ですが、私は、貴女にお会いするのも今日が初めてのような気がします。

……イリスは、今どこに?」

「ですから、お姉様は、貴方様の包帯を変えるといった単純な看病はしていたかのもしれませんが、特別なことは何もしていないのですよ。お姉様に聞いても、何もわかるはずはありませんわ。

だって、お姉様はこの家に生まれながら、魔法すら使えなかったのですもの。回復魔法が使えるのは、この家で私だけですのよ。だから……」

「私が礼を言いに来たのは、イリスです」


やや冷ややかに、ヴィンセントはヘレナを見つめた。


「イリスがどこにいるのかを教えていただけませんか?」


ヘレナは、今まで滅多に向けられたことなどない、男性からの冷えた視線に、悔しそうに唇を噛んで小さく呟いた。


「何だっていうの。皆、イリス、イリスって……」

「皆、とは?

……私たち以外にも誰か?」


耳聡くヘレナの言葉を拾ったヴィンセントに、ヘレナはやや開き直ったようにヴィンセントを見つめた。


「お姉様の、元婚約者ですわ」

「元婚約者?」

「ええ。

昔、お姉様と付き合って婚約してから、瞬く間に昇進されて、一度は副騎士団長にまでなられた方ですのよ。

けれど、その後、彼は私を選び、お姉様との婚約を破棄したのです。それから、お姉様はこの家を出て行ったのですよ」

「……そのようなことが」


言外に、姉よりも自分の方が選ばれたことに対する優越感を滲ませるヘレナに、ヴィンセントは苦々しく頷いた。


「けれど、私から彼に破談を告げてから、どうも、彼はお姉様を探して、お姉様に復縁を願い出に行ったようですわね。

その後のことは、私は存じませんが。

お姉様が今どこにいるのかも、私は知りませんわ」


ヘレナの口元には、歪んだ笑みが浮かんでいた。


(だって、今、お姉様がエヴェレット家にいるとは限らないもの。ケンドール様がお姉様を連れ出しているかもしれないし)


マーベリックが椅子から立ち上がると、足早にドアへと向かいながらヴィンセントに尋ねた。


「ヴィンス。

君の言うイリスは、淡い金髪に、翠色の瞳をしていないか?」

「えっ。兄さん、どうしてそれを?」


驚いて目を見開いたヴィンセントに目で合図をしてから、マーベリックはヘレナを振り返った。


「失礼する」


ヘレナに少しも関心を示すことなく立ち去って行くマーベリックとヴィンセントの後ろ姿を、ヘレナは睨み付けるように、悔しげに見送っていた。


***

マーベリックは、ヴィンセントと、屋敷前に停められた馬車へと急いでいた。


「ヴィンセント、一緒にエヴェレットの家に戻るぞ」

「また、どうしてです?」

「君の言うイリスは、エヴェレット家に侍女として来たイリスと考えて、ほぼ間違いないだろう。

前に話した、レノの新しい侍女だ」


ヴィンセントは目を瞬いた。


「そんな偶然、あるものなんでしょうか。

……いや、でも確かに、タイミングとしては重なりますね」


マーベリックは唇を引き結び、拳をぎゅっと握り締めていた。


(あのヘレナという令嬢の、姉であるイリスを見下したような態度。クルムロフ家ほどの名家に生まれながら、魔法が使えなかったこと。

そして……婚約者を、妹に奪われたこと。

そのすべてが、イリスにあれほど自信なさげな表情をさせていたのだろう)


マーベリックは、しかし、イリスを慮る気持ちと同時に、イリスが婚約していた過去を聞いて動揺し、婚約破棄を知って思わず安堵した自分自身の心の動きを、改めて感じてもいた。


そして、マーベリックの脳裏には、一緒に街に出掛けてからというもの、顔色が優れなかったイリスの様子が思い浮かんできた。


(まさか、あの、街で少し離れていた間に、何かあったのだろうか。

元婚約者が復縁を望んでいると、あの令嬢はそんな話をしていたが……)


マーベリックの胸が、ざわりと騒いだ。


「……何だか、嫌な予感がする。

ヴィンセント、急いでエヴェレットの屋敷に帰るぞ」

「ええ、承知しました」


頷いたヴィンセントと一緒に、マーベリックは急ぎ馬車へと乗り込んだ。


***

「う……ん」

「目を覚ましたようだね、イリス」

「ここ、は……?」


イリスが辺りを見回すと、薄暗い部屋の奥から、こちらに向かって来る人影が見えた。


慌てて立ち上がろうとして、両足首が縛られていることに気付く。両手も、後ろ手に縛られていて、身動きが取れなかった。背中側の柔らかい感触からは、どうやらソファーのような所に横たえられているようだ。


次第に薄暗がりに目が慣れてくると、そこは薄埃にまみれた小さな一室だった。天井が一部崩れかかっているようで、部屋の上部に開いた穴から光の筋が差し込み、照らされた細かな埃が浮き上がって見えた。


イリスのすぐ側で足音が止まり、イリスを見下ろす顔と目が合った。


「ケンドール、様……」


青ざめたイリスを見ると、ケンドールは、ふっとその口元に笑みを浮かべた。


「そんな顔をしないでくれよ、イリス。

僕は、君を怖がらせたい訳じゃないんだ。

できれば、手荒な真似はしたくないと思っているんだよ」


嫌な音を立てる胸と戦いながら、イリスはどうにか口を開いた。


「私の手足を縛っているこの縄を、解いてはいただけませんか?」

「ああ。

僕の言葉に頷いてさえくれれば、すぐにでも解いてあげるよ、イリス」


そう歌うように言いながら、ケンドールは、イリスの顎をそっと持ち上げた。


ケンドールの瞳に宿る一種異様な光を見て、イリスはごくりと唾を飲み込んだ。

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