ケンドールの悔恨
病室のベッドに身を横たえていたケンドールは、室内に入って来た婚約者ヘレナの美しい顔を見上げた。
ケンドールが魔物討伐の遠征で大怪我をしたこと、そしてしばらく治療のために王都の病院に入院していることは、既にヘレナに伝わっているはずだったけれど、彼女はすぐにはケンドールの前に姿を現さなかった。不安に苛まれていた中で、ようやく現れたヘレナの姿に、ケンドールはほっと表情を緩めた。
「……どうして、すぐに来てくれなかったんだい?
ヘレナは、もう回復魔法は使えるのかな。できれば、僕の腕を治して欲しいんだけど……」
ケンドールは甘えを含む声で、ヘレナに尋ねた。
けれど、ヘレナからは、ケンドールの言葉に対する答えの代わりに、問いが返された。
「……ケンドール様。
副騎士団長から降格なさるって、本当ですか?」
ヘレナの氷のような視線と険のある声に、ケンドールの顔色がすうっと青ざめた。
「君は、誤解をしているんだと思う。
確かに、僕が元の通り回復するまでは、副騎士団長代理を立てるとは聞いているよ。
……けれど、団長は、僕が回復して、調子を取り戻しさえすれば、また副騎士団長に復帰できると……」
ケンドールの言葉は、半分真実で、半分嘘だった。
ケンドールが以前のように目覚ましい成果を上げることができれば、また副騎士団長に返り咲く可能性が残されていると、確かに騎士団長から言われてはいた。
けれど、ケンドールは、騎士団長の指示に従わず、独断で動いて怪我を負ったことに関して厳重注意を受けており、怪我で騎士団としての活動を休む期間が長期に渡れば、ケンドールに代わって副騎士団長代理が、そのまま副騎士団長に昇格することになっていた。
医者からは、利き腕に負った傷について、日常生活には支障は来さないだろうが、しっかりと剣を握れるまでに回復するには、相当のリハビリとかなりの月日を要するだろうと宣告されていた。さらに、日に日に力の衰えを感じているケンドールにとって、副騎士団長の座を維持することは、もはや絶望的だったのだ。
ヘレナは、ケンドールを冷ややかに見つめた。
「それから、さっきのご質問ですが。
回復魔法って、光魔法の中でも最上級の難易度ですのよ、ご存知ないのかしら?なのに、まだ勉強中の私に使えるとでもお思いですか。
……仮に私に回復魔法が使えたところで、これほど恥ずかしい怪我の負い方をされたケンドール様に、使う義理はありませんわ。
勝手に騎士団長の指示に背いた結果のお怪我なんですってね」
青白い顔で押し黙ったケンドールの側まで歩み寄ってきたヘレナは、再度口を開いた。
「……ケンドール様に、お渡ししたいものがあるの」
「僕に……?」
「ええ。手を出してくださいますか?」
戸惑ったようにケンドールから差し出された掌に、ヘレナは左手薬指から、ケンドールから贈られた婚約指輪を抜き取ると、ぞんざいに置いた。
「これ、お返しさせていただくわ」
「どうしてだ……!?」
ケンドールは渡された婚約指輪をぐっと握ると、必死にヘレナに訴え掛けた。
「君は、あれほど僕に惚れ込んでいると、そう言っていたじゃないか……!
騎士に怪我はつきものなことくらい、君だって知っているだろう?すぐに、また上を目指して返り咲いてみせるさ。
お願いだ、ヘレナ。少し冷静になってくれ」
副騎士団長の地位を失うことが目前に迫って、自らに残された美しい婚約者のヘレナだけでもと、なりふり構わず彼女に言い縋るケンドールに、ヘレナは溜息と共に言い放った。
「……はっきり口に出さないと、わからないのかしら?
今の貴方様は、私には相応しくないのよ。
私、言ったでしょう?私はケンドール様の才能に惚れ込んだのだって。
でも、この前の魔物討伐では、良い所なしだったどころか、死に掛けたところをマーベリック様に助けられたのですって?しかも、これから降格にまでなるのでしょう。
……そんな貴方様には、私の横に立つ資格はありませんわ」
「待ってくれ、ヘレナ……!」
くるりとケンドールに背中を向けて病室を出て行くヘレナは、もう二度と彼のことを振り返ろうとはしなかった。
絶望に震えるケンドールの脳裏に、イリスとの婚約を破棄した時に、彼女に告げた言葉が甦る。
『君は、僕には相応しくない』
婚約者からその言葉を告げられることがどれほど残酷なことか、ケンドールは逆の立場になって、ようやく気付いたのだった。
(自らの行いは、いつか必ず自分に返って来る、か……)
父の言葉が頭をよぎり、ケンドールは思わず両腕で頭を抱え込む。
同時に、どんな状況でも、変わらずにケンドールを励まし、そっと寄り添ってくれたイリスの温かな笑顔が、胸が締め付けられるほどに懐かしく浮かんで来た。
(ああ、イリス。君の優しさ、温かさに、僕はいつだって包まれていた。
それなのに、僕は、どうして君の手を放してしまったのだろう。
君はずっと僕を支え、どんな時でも味方してくれた。僕が辛い時には温かく励まし、僕が手柄を上げれば、まるで自分のことのように喜んでくれたというのに。
それなのに、僕はヘレナの上辺の美しさと能力に目を奪われ、簡単に彼女に心を移してしまった。
君が僕のせいで家を追われたと知っても、君の行き先すら、僕は知ろうともしなかった……)
ケンドールは深く首を垂れた。僅かに開いたケンドールの口からは、微かに咽び泣く声が漏れ聞こえていた。
***
ケンドールに別れを告げ、病院の廊下を歩くヘレナの口元には、薄らと笑みが浮かんでいた。
(ああ、あんな、すっかり冴えなくなってしまったケンドール様と私では、まったく釣り合わないもの。早々に縁が切れてよかったわ。
……それに、ヴィンセント様からクルムロフ家に来た、あの手紙。あのヴィンセント様が、お礼を言うためにわざわざいらしてくださるなんて。助けられたというのは何のことかわからないけれど、もしかしたら、お姉様が介抱でもしたのかしら。
まあ、いずれにせよ、もうお姉様は家にいないのだし、関係ないわ。しかも、マーベリック様までいらっしゃるなんて……!
ケンドール様と婚約なんてしている場合ではないわ。このチャンス、絶対にものにしてみせるんだから……!)
ヘレナは、自らの美貌に絶対の自信を持っていた。ヴィンセントの看病をしたのがイリスであり、ヘレナでないとわかったとしても、どんな男性相手であれ、自分の類稀なる美しさの虜にすることは容易いはずだと、そう信じて疑ってはいなかった。さらに、ヘレナは、この国でもごく僅かしか認められていない、光魔法の能力者なのだ。こぞって男性たちから請われて当然だと、そうヘレナは考えていたし、その裏付けもあった。……あれほど姉のイリスを愛していたように見えたケンドールでさえ、自分の美貌と才能に、あっという間に掌を返したのだから。
(マーベリック様もヴィンセント様も、どちらも素晴らしい才能と美貌の持ち主だけれど。
やっぱり、天才の誉れ高きマーベリック様かしら?ケンドール様が失態を見せた、あの魔物討伐でのご活躍も世に聞こえているし。
ああ、お会いするのが待ち切れないわ……)
ヘレナの口元に浮かんでいた笑みが顔中に広がると、その瞳が妖艶に光った。
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