明暗
「皆理解しているとは思うが、今回の遠征では長期戦が予想されている。場所は、魔物の巣窟として知られ、最近魔物の出没が著しく増えているウブド山だ。
山中は岩だらけの険しい道で、騎馬が使えないから、魔物とは戦い辛い面もあるだろう。代わりに、今回の魔物討伐は、我が第4騎士団と、第5魔術師団との合同で行う。魔物との接近戦では騎士団の攻撃力が活きる一方で、魔物を追い詰めたり、体力を奪ったりという点では、魔術師団の魔法が大いに助けになるはずだ。
今回の陣頭指揮は、団長である私が務める。副指揮官は、副団長のケンドールだ。皆、隊列を乱さずに、私とケンドールの指示に従うように。よいな?」
第4騎士団長の言葉に、一斉に姿勢を正した団員の面々を眺めながら、ケンドールも皆に倣って背筋を伸ばした。
今まで、魔物討伐の度に目覚ましい成果を残し、魔物討伐を目の前にしては血が滾るような胸躍る思いで臨んでいたケンドールだったけれど、今回は、今までとはその感覚が随分と違った。
まるで指の先から、自らの見えない力が次第に零れ落ちていくような、そんな不安と焦りに駆られながら迎えたこの遠征である。無事に乗り切れるかですら不安が残るのに、さらに、ヘレナからは他を圧倒するような突出した結果を期待されているのだ。
魔物討伐の前に、恐怖と不安からあまり眠れずに悶々とした時間を過ごしたのも、ずっと以前に、ケンドールがまだしがない一兵に過ぎなかった時以来のことだった。
当時は、そんな自分の弱音にさえも、イリスが優しく耳を傾けてくれたことを、ケンドールは否が応でも思い出さずにはいられなかった。
***
「今だ、一斉にかかれ!!」
ケンドールは、騎士たちに声を張り上げた。目の前には、今回の魔物討伐の目玉とも言えるキマイラの群れが、獅子の頭部の鋭い目をぎらぎらと光らせながら、身体の所々に刺さった矢の痛みに怒り狂い、居並ぶ騎士たちを睨み付けている。
今回の討伐では、火魔法と風魔法を操る魔術師たちが、キマイラたちを切り立った崖に周囲から追い込み、そこに弓部隊がいっせいに矢の雨を浴びせてから、騎士たちが止めを刺すという戦略を取る手筈になっていた。
崖を背にして追い詰められたキマイラの咆哮が、辺りにこだまする。
(……よし、これなら片付きそうだ)
騎士団員たちの先陣を切ったケンドールが、たった今大きな咆哮を上げた、群れの先頭に一頭離れて立つ、リーダー格の最も大きなキマイラに目標を定める。この、顔に目立つ傷のある最大級のキマイラは、山の麓の街々で大きな被害をもたらしている、悪名高き個体だった。そして、このキマイラの身体と足には、既に何本もの矢が深く刺さり、大量の血が流れていた。今回の魔物討伐のきっかけにもなった、このキマイラを仕留めさえすれば、評価されこそすれ名を落とすことはないと、ケンドールはそう判断して、これを仕留めるのに一番有利な位置取りをしながら、追い詰められる時を狙っていたのだ。
実のところ、今回の魔物討伐において、ケンドールは、キマイラの群れを見付けるまでに出会した下級の魔物ですら、討ち取るのに手間取るほどの有様だった。どうしてか、以前のようには身体が動かず、剣を振るうスピードも、そして剣に乗せる力も落ちていて、以前の感覚通りに剣を振るったつもりでも、魔物への攻撃が上手く決まらないのだ。
けれど、雑魚の魔物たちをいくら倒したところで、結局たいして評価される訳でもない。
だから、調子が振るわない中でも、体力をできる限り温存しながら、渾身の一撃が最も評価されそうな機会を、ケンドールはずっと窺っていたのだった。
矢の傷により後足を引き摺り、体力も奪われている様子の、リーダー格の体格のよいキマイラは、群れの中でも一頭だけ飛び出した位置にいた。さらに火魔法により、ところどころ鬣や皮膚が焦げ付き、動きも鈍ってきている。ケンドールが団員たちの先頭に立って、このキマイラに向かって走り出そうとした、その時だった。
「皆、すぐに戻れ!いいか、すぐにだ!!」
焦りが滲んだ騎士団長の叫び声が響いた。
騎士たちが驚き、戸惑ったように足を止める。けれど、ケンドールは、千載一遇のこのチャンスを逃したくはなかった。
(たいした距離もない。今の僕でも、あれなら一太刀で、十分に片付くはずだ)
1人だけ走る足の勢いを止めないケンドールに、騎士団長が重ねて叫んだ。
「ケンドール、早く戻れ!!」
団長の声を無視して、ケンドールがキマイラに駆け寄り、大振りの剣を振り上げた、その時だった。
ケンドールの頭上から、さっと影が差す。
嫌な予感に、冷や汗が背中を伝うのを感じながら、ちらりと頭上を見やると、大量のグリフォンの群れが降下して来ようとしていた。
(そんな、馬鹿な。
キマイラが、グリフォンを呼んだとでも……?)
魔物たちにはたいした知性はなく、同種の魔物以外は意思疎通ができないというのが、今までの通説だった。
けれど、状況を見る限り、助けを求めるキマイラの咆哮が、グリフォンの群れを呼び寄せたように思われた。
(まさか、そんなことが)
ケンドールが、驚きに剣を振りかざす手を止めた一瞬を、目の前のキマイラは見逃さなかった。
目にも止まらぬ速さでキマイラの前脚が振り下ろされ、鋭い爪がケンドールの右腕に食い込む。
「ぐあっ」
剣を取り落としたケンドールを狙って、頭上のグリフォンたちも、円を描くように舞い降り始めた。キマイラも、再度前脚をケンドールに向かって振り上げる。
絶体絶命の窮状に追い詰められたケンドールに対して、ほかの騎士団員たちも手を出すことができずに、息を飲んで見守るほかなかった。ケンドール以外の騎士や魔術師たちとて、討ち取るまであと一歩に思えたキマイラの群れと、大群のグリフォンに挟み撃ちされる結果になった以上、窮地に陥っていることには変わりはない。一斉に、皆攻撃のために態勢を整え直す。
(くそっ。
この僕が、こんな所で終わるなんて……)
キマイラの前脚が、再度ケンドールに向かって振り下ろされようとした、その時だった。
ざわり、と不思議な感覚がケンドールを包んだ。ケンドールの顔の上に振り上げられていたキマイラの前脚が、突然戸惑うようにぴたりと止まったかと思うと、キマイラの身体ごとぐらりと揺れて、ふわりと浮き上がった。
頭上のグリフォンたちにも、不安げな動揺が走ったのと同時に、急にその身体が風の渦に巻き込まれ始めた。
(……これは、何だ?)
辺り一面が、今まで経験したこともないような強いエネルギーに包まれていることが、ケンドールにもわかった。
キマイラの群れもグリフォンたちも、驚くほどの力の風の渦に飲み込まれ、宙に浮いて回転している。そのまま魔物たちの身体が空高く舞い上げられたかと思うと、渦巻いていた風の方向が変わり、ごおっという轟音と共に、一斉に、魔物たちは勢いよく地面に叩きつけられた。
しん、という静寂が辺りを包む。それは一瞬の出来事だった。
「終わった、のか……?」
呆けたように、信じられないといった様子で騎士団長が呟いた。騎士団員と魔術師団員にも、ざわざわと動揺が走っている。
キマイラもグリフォンも、皆折り重なるように地面に倒れており、既に絶命しているのは明らかだった。
わっ、と大きな歓声が上がる。それと同時に、幾人かの騎士団員たちが、ケンドールの怪我を案じて走り寄って来た。けれど、ケンドールは、腕の痛みを感じるのも忘れて、皆の視線を一身に集めている、この傑出した風魔法の使い手を目で追っていた。
味方を誰一人巻き込むことなく魔物たちを一掃した、このとてつもない威力の風魔法を完璧に操る使い手は、まだ年若い、眉目秀麗な青年だった。その驚くほどに整った、人間離れした美しい容貌には、神がかっているほどの風魔法を使った後だというのに、疲労も見えず、いまだに涼しい表情を浮かべている。
(こんな、たった一瞬で、疲れも見せずに、これだけの魔物をすべて倒すなんて)
ケンドールはまだ目の前の出来事が信じられないまま、「さすがは天才、マーベリック様だ……!」という称賛の声がそこかしこから上がるのを、苦々しく聞いていた。
命が助かっただけでもありがたい、と思うべきなのだろうとは、ケンドールも理解していた。けれど、ケンドールが手にしたかったものこそ、この称賛だったのだ。
一方のマーベリックは、そんな周囲の称賛はどこ吹く風といった様子で、無言のまま、しばらく積み重なった魔物たちを見やっていた。それから、風魔法を放ったばかりの自分の両手に、目を落とす。
(俺の風魔法にこれほどの威力が出たのは、さすがに初めてだ。それなのに、さほど消耗も感じない。
……この、まるで身体の奥から湧き出してくるような力は、いったい……)
マーベリックは視線を落としたまま、アイスブルーの澄んだ瞳で、自らの両手をじっと見つめていた。
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