ヘレナの苛立ち

「ケンドール様!」

「やあ、ヘレナ。来てくれたんだね」


騎士団の練習場にいるケンドールに手を振るヘレナに、ケンドールが笑顔を返した。

ヘレナは数人の友人たちと連れ立って来ているようで、副騎士団長の勲章とマントを身に纏う自らの婚約者のケンドールを、誇らしげに見つめている。


「ええ。騎士団で練習をしていると聞いて、ケンドール様の練習なさる様子を見たいと思って来たのですよ」

「そうか。今日は、僕が団員に稽古をつけることになっているから。好きなだけ見て行ってくれ」

「あら、そうなのですね。楽しみにしていますわ」


数列に並んだ団員たちの前で、ケンドールが号令をかける。多くの団員がいる中で、まだ年若いケンドールが副騎士団長としての威厳を放っている様子は際立っていた。ケンドールよりも一回り以上は年上の騎士団長は、ケンドールの脇でケンドールの指揮する様子を眺めている。


ケンドールは、一度に3人の部下を前にすると、練習用の剣を構えた。3人の部下たちも同様に練習用の剣を構え、ケンドールと対峙している。


騎士団長の、「はじめ」の掛け声を受けて、3人が一斉にケンドールに切り掛かって来た。


ケンドールは、まずは左の1人の剣を薙ぎ払うと、そのまま中央から勢いをつけて踏み込んで来たもう1人の剣を弾いた。

ヘレナを含む観客たちから、わっと歓声が上がる。

さらに、右の1人の剣を、自らの剣で受け止めた。そのまま剣を払い落とせば、次の3人がケンドールの稽古を待っている。


ケンドールは、目の前の部下の団員の剣を受け止めながらも、嫌な汗が額から流れ落ちるのを感じていた。


(何故だ。いつもよりも、彼の剣がずっと重い……)


今ケンドールが対峙しているのは、まだ年若い、入団して間もない団員だった。彼は、代々名のある騎士の家の出身で、若いながらも、その筋の良さと、垣間見える光る才能には一目置かれていたけれど、ケンドールの実力とは比べるべくもないはずだった。

今までなら、彼の剣を受け止めた後、ケンドールは簡単にその剣を薙ぎ払って、すぐに終いになっていただろう。

けれど、ケンドールは、受け止めた彼の剣を弾き返すことができなかった。じり、と新人の彼に押されて、後ろで稽古の様子を眺めている団員たちからもどよめきが上がる。


(くっ……)


ケンドールは、全力で彼の剣を払って体勢を立て直すも、目の前の彼はケンドールの利き手の手首に剣を命中させてから、ケンドールの懐にすっと入り込むようにして、ケンドールの鳩尾に剣を叩き込んだ。


ケンドールは呻き声を上げて、思わず片膝を付いた。

慌てたように、たった今ケンドールを突いたばかりの彼が、剣を置くとケンドールに心配そうに駆け寄って来た。


「だ、大丈夫ですか、副団長……?」

「……すまない。今日は体調が優れないようだ」


大きく肩で息をするケンドールの元に、その様子を見ていた団長が近付くと、心配そうにその肩を叩いた。


「どうした、最近、お前らしくもない。

団員たちに稽古を付けるのは、今日は俺が代わろう。

今の一撃は、少なからずダメージになっているはずだ。今日はもう休め」

「……承知しました。失礼します」


ケンドールはようやく団員1人の肩を借りて立ち上がると、怪我人の治療を行う救護所に辿り着いた。


まだ痛みの取れない打たれた手首と、鳩尾周辺の手当てを受けていると、ヘレナが救護所に顔を覗かせた。


「お怪我の具合は、大丈夫ですか?」


ケンドールは、ほっとしたようにヘレナに微笑み掛けた。


「心配してくれてありがとう。あんな姿を君に見せてしまって、すまない。今日は、どうも調子が悪くて……」

「お怪我は、酷くはないのですね?もうすぐ、大規模な魔物討伐の遠征があると仰っていましたよね。それには、問題なく間に合うのですね?

……そこで目立った成果を上げれば、さらに上が見えて来ると、そう仰っていたでしょう?」


ヘレナの瞳の中に、やや冷ややかなものを汲み取ったケンドールは、その口元をひくりと引き攣らせた。

つまり、ヘレナがケンドールの怪我の具合を確認したのは、ケンドールの身を案じているからではなく、次の遠征でケンドールが実績を残し、さらに上を目指すことができるのか、それに支障を来さないかを確かめるためだということなのだろう。


「あ、ああ、勿論大丈夫だ。何の問題もない」


ヘレナは軽く溜息を吐いた。


「……私、恥ずかしかったのですよ?

何人も知り合いを誘って、ケンドール様の勇姿を見に来たというのに、代わりにあのようなお姿を見ることになってしまって。

次の遠征では、きっと目覚ましい結果を残してくださいますわよね?」

「当然だ。期待して待っていてくれ」


そう答えるケンドールの声には、今までのような張りがなかった。


ヘレナは、内心の苛立ちを隠せずにいた。


(この私と、せっかく婚約できたというのに。

ケンドール様のこのザマは、いったい何だというの……?

私を、そう待たせることなく騎士団長の妻にすることができると、そう自信満々に仰っていたのに)


「ええ。良い報告を期待しておりますわ」


最後にそれだけ言い置くと、ヘレナはケンドールの元を後にした。


血の気のない顔で、ケンドールはヘレナの後ろ姿を見送っていた。このまま調子が戻らなければ、魔物討伐で際立つ成果を上げることは、さすがに難しいだろうということは自覚していた。


思わず、昔の温かな記憶が甦る。


(……イリスなら、こんな時、僕の怪我を、身体をただ気遣ってくれた。

失敗なんて誰にでもある、気にすることはないと、そう優しく励ましてくれたのに……)


ごく最近に調子を落とし始めるまでは、飛ぶ鳥を落とす勢いだったケンドールには、以前失敗した経験というのは、随分と昔の記憶のように思われた。


棄てた婚約者のことを今さら思い出すなんて、と、ケンドールは自分に言い聞かせながら、イリスとの思い出を振り切るように、勢いよく首を横に振った。

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