ケンドールの焦り
「父さん、報告があるんだ」
「何だ、ケンドール?」
ヘレナとの婚約を結んでから数日後、ケンドールは騎士団の宿舎から久し振りに実家に戻って来ていた。
騎士団を引退して家で過ごしている父親に会いに来たのだ。
やや興奮気味に、ケンドールが声を弾ませる。
「聞いてくれよ、父さん。
クルムロフ家のヘレナと、婚約することにしたんだ。彼女、稀有な光魔法の使い手な上に、もの凄い美人なんだよ。騎士仲間の間でも、彼女の美しさは噂になっているのに、彼女は僕を選んだんだ。……最速で副騎士団長にまで昇進した、僕の才能に惚れ込んだんだってさ。
どうだい、僕もなかなかのものだろう?」
ケンドールの父は、彼の言葉に少し口を噤むと、ケンドールをじっと見つめた。
「お前は、同じクルムロフ家のイリスお嬢さんと婚約していたんじゃなかったのか。
いったい、どうしたっていうんだ?」
「イリスとの婚約は破棄したよ。
それで、ヘレナと婚約を結び直したんだ」
「……イリスお嬢さんには、昔助けてもらった恩もあるのだろう。その後も、ずっとお前を支えてくれていたんじゃないのか。
それなのに、どうして、彼女と婚約破棄を?」
「それは……僕には、ヘレナの方が相応しいからさ。
イリスは、魔術師団長の娘だというのに、魔法の属性すらない。いわば、平民と何ら変わらないんだ。そんな彼女が、副騎士団長にまでなった僕に釣り合うと思うかい?
それに、ヘレナの美しさを見たら、父さんだって納得すると思う。一目見たら虜になるような美貌の持ち主なんだよ」
「……イリスお嬢さんは、これからどうなさるんだ?」
「さあね?
家を出るという話は、ヘレナから聞いているけれど、それ以上は知らないよ。
僕は、ヘレナと結婚して、クルムロフ家の入婿になるんだ」
まだ興奮の冷めやらぬケンドールが父の顔を見ると、父は驚くほどに冷ややかな視線でケンドールを見つめていた。
「……お前のことを見損なったよ、ケンドール。お前を、そんな風に育てたつもりはなかったんだがな。
散々世話になった恩人を後足で蹴飛ばすような真似をして、お前は恥ずかしいとは思わないのか?」
父からの祝福の言葉を期待していたケンドールは、思いがけない父の言葉に、思わずかっとして言い返した。
「父さんの成し得なかったことを僕が成し遂げているからといって、父さんは僕に嫉妬してるんだろう?父さんは、怪我の影響があったとはいえ、大して出世もしないままに騎士団を引退したじゃないか。
……どこまでも上を目指して、何が悪い?
僕には、特別な才能があるんだ。僕が今までに上げた成果を、そしてこの昇進の速さを見れば、それは明らかなはずだ。
僕は、誰も見たことのないような景色が見たい。誰よりも早く次の騎士団長の座を手にするのは、この僕だ。そして、誰もがうらやむような、才能に溢れた美しい女性と結婚するんだ。
自分に相応しい地位や、相手を求めて、そのどこがいけないっていうんだ?」
ケンドールの父は、ケンドールの言葉を聞き終えると、首を横に振って、静かに溜息を吐いた。
「お前が、それほど愚かだとは思わなかった。お前は、足るということを知らないのか?
イリスお嬢さんには私も会ったことがあるが、素晴らしいお嬢さんじゃないか。それを、よりによってその妹と婚約し直して、家から追い出すような、恩を仇で返すような真似をするとは。……真っ当な人間のすることとは思えんな」
「はっ、父さんは、そんな風に冴えないままだったから、平民なんかの母さんを娶るしかなかったんじゃないか。
僕のことが羨ましいからって、いい加減に……」
その時、父の平手がケンドールの頬にとんだ。ばしっと大きな音が響く。
今まで、まだケンドールが騎士としての頭角を現す前に、どれほど失敗しても、できないことがあっても、それを咎めたり叱ったりしたことのなかった優しい父から頬をはたかれたのは、ケンドールにとってこれが初めてだった。痛む頬を思わず押さえたケンドールの口の中に、じわりと血の味が滲む。
父の声は怒りに震えていた。
「お前は、自分を産んでくれた母親までも、貶めるようなことを言うのか……!
お前の母さんは、私にとっては、どこを探しても代わる者のいない、最高の妻だよ。
お前の目は、本当に曇っているな。そして、お前は哀れだ。昔の、まだ騎士団の下っ端だった時のお前の方が、余程優しい心を持っていたし、澄んだ目をしていたよ。
もう、二度とこの家には戻って来るな。
……一つ、覚えておくといい。自分のした行いは、いつか必ず自分に返ってくるからな」
「言われなくたって、出て行くよ……!
格上のクルムロフ家を継ぐんだ、この家に今後帰る必要すらないさ」
ケンドールは、くるりと父に背を向けると、そのまま早足で玄関を潜った。
(……くそっ)
ケンドールは苛立つ心を抑えようとしながらも、胸の奥から浮かび上がってくる不安と戦ってもいた。
イリスとの婚約を破棄して、ヘレナと婚約を結び直してからというもの、どうも調子が上がらないのだ。
トントン拍子に昇進を遂げていた今までの、身体の内側から湧き上がってくるような、漲るような力が、何故か感じられなくなっていた。
ヘレナとの婚約がようやく調って、きっと少し気が抜けたのだろうと自分に言い聞かせていたけれど、身体の切れが鈍っていることは、所属している騎士団の団長からも、騎士団での練習の際に指摘を受けていた。精彩を欠いている自覚があるだけに、幸せなはずのこんなタイミングでスランプに陥るとはと、唇を噛みたくなるような思いだった。
くだらないと思っていた、父の、自らの行いはいつか自分に返って来るという言葉は、知らず知らずのうちに、ケンドールの心の奥に楔のように食い込んでいた。
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