想い出

イリスは、倒れている青年に近付き、その手首にそっと触れた。……まだ温かく、脈がある。


イリスが触れた手に気付いたのか、青年は低く呻き声を上げた。


「う、うぅ……」

「大丈夫ですか!?

頭は打っていませんか、意識はありますか?」

「はい……。肩を、魔物にやられて……」


確かに、肩口に傷があり、血はそこから流れている。イリスは頷くと、細身の青年の身体の下に腕を回して助け起こし、彼の腕を自分の肩に回すと、まだ足元の覚束ない彼を支えて歩き出した。


「この近くに、私の家がありますから。少しだけ、辛抱してくださいね」

「……」


辛そうに無言で頷いた彼を半ば引き摺るようにしながら、イリスは彼を何とか家まで連れ帰った。


***

「あの、ありがとうございます。僕のことを、助けてくれて。

……僕は、ケンドールといいます。この国の第4騎士団の所属です」


てきぱきとイリスが青年の肩を消毒して包帯を巻いていると、線の細い青年は恥ずかしそうに口を開いた。

まだあどけなさの残る顔立ちに、控えめな態度がさらに初々しさを感じさせる。イリスと年の頃は同じくらいに見えた。

イリスは柔らかく微笑むと、首を横に振った。


「いえ、ご無事で何よりですわ、ケンドール様。私はイリスと申します。

……まだお若いようにお見受けしますが、もしかしたら、騎士団に入団されて間もないのではないですか?

もし、お気を悪くされたらごめんなさい」

「いえ、その通りです。僕はまだ新入りで。

今回の魔物討伐でも、急に魔物に襲われた時に、騎士団からはぐれてしまったんです。魔物の牙が僕の肩を切り裂いた時には、もう自分は死ぬのではないかと、そうまざまざと感じました。

イリスさん、と仰いましたね。あなたが僕を助けてくれなかったら、僕はあのまま、あの場所で命を落としていたかもしれない。あなたは僕の命の恩人です」


ケンドールが感謝をこめたきらきらとした薄茶の瞳でイリスを見つめると、イリスは恥ずかしくなって、思わずぱっと目を伏せた。


「いえ。私は、たいしたことをした訳ではありませんから。

……でも、ケンドール様がご無事で、本当によかったですわ」


その時、部屋のドアが軽くノックされてから、ドアの向こう側に、侍女のモリーの顔が覗いた。


「お嬢様。何かお手伝いできることはありますか?」

「ううん、今のところは大丈夫よ」

「えっ。お嬢……様?」


ケンドールが、モリーの言葉に驚いたように、イリスを見つめる目を丸くして、何度も瞬いた。


イリスはそんなケンドールを見て、少し苦笑した。動きやすいように侍女服を着ているのだ、当然、ケンドールにはこの家の侍女だと勘違いされていたのだろう。


「私のこと、侍女だと思われたでしょう?

……私、一応、この家の娘なんです」

「どうして、君はそんな格好を?」

「父は魔術師なのですが、私には、魔法の属性がなくて。将来、魔法で国のお役に立つこともできませんし、このように体を動かしている方が性に合っているんです」


魔法の属性が認められない魔術師の子供が生まれることはごく稀にあったが、その立場が非常に悪いのは、この王国では公然の事実だった。少し視線を落としたイリスに、ケンドールは励ますような笑顔を向けた。


「……でも、僕はそのお蔭で君に見つけてもらえて、助かったんだ。ありがとう」

「いえ。こちらこそ、お気遣いいただいてしまいましたね」


ケンドールは少し視線を彷徨わせると、決まり悪そうに頬を掻いた。


「僕は騎士をしているけれど、あまり才能がないみたいで。正直なところ、所属している隊でも足を引っ張っているよ。……僕の父は、昔、怪我をする前はそれなりに期待をされた騎士だったのに、僕にはその能力が受け継がれていないみたいで、さっぱりなんだ。母が平民というのもあるのかもしれないけどね。

だから、……と言っていいのかわからないけれど、君の気持ちは何となくわかる気がするよ」


眉を下げたケンドールに、イリスはにこりと微笑んだ。


「ケンドール様は、お優しい方ですね。ご自分が怪我をなさっているのに、私のことを慮ってくださって。

ケンドール様の早期のご回復を祈っておりますね」


イリスの温かな笑顔に、ケンドールの胸はじわりと熱を帯びたのだった。


ケンドールが自力で歩けるほどに回復するまで、イリスはケンドールに、薬草入りの粥を持っていったり、包帯を変えたりと甲斐甲斐しく世話をした。ケンドールは、イリスの顔を見ると待ちわびたように嬉しそうな笑みを浮かべ、イリスのすること為すことにとても喜んでくれた。今まで、義母が牛耳る中ではそのように人から感謝される機会などあまりなかったイリスには、そんなケンドールの態度が、そして、彼が順調に回復していく様子を見守るのが、純粋に嬉しかった。


いよいよケンドールが騎士団に戻ることになった時、彼はイリスのことを頬を染めながらじっと見つめると、その両手を、彼の両手でぎゅっと包むように握った。


「イリス、本当にありがとう。

……僕は魔物の討伐隊に戻るけれど、こんな僕でも、また、君のところに時々会いに来てもいいかな?」

「は、はい。

また魔物の討伐に行かれるのですね……。どうぞご無事で。ケンドール様のご活躍を、心からお祈りしておりますわ」


ケンドールの後ろ姿が小さくなるのを玄関のところでイリスが見送っていると、イリスの背後から嘲るような調子の声が聞こえた。


「……ひ弱そうな、つまらない男ね。

お姉様にはぴったりなんじゃない?」


はっとイリスが後ろを振り返ると、ヘレナが腕組みをしながら目を眇めて立っていた。


「男を連れ込んでいるって、気付いていないとでも思った?」

「そんなのじゃないわ。彼、怪我をしていて……」

「1人、魔物から逃げ遅れて隊から取り残されたのですってね?ふふ、先が思いやられるわね。

……私は、あんな人は絶対に御免だわ」


ヘレナは、それだけ言い捨てると、ふいと横を向いて、イリスを置いて去って行った。


この後しばらくケンドールとの交流が続く中で、イリスはケンドールから婚約を申し込まれた。

イリスの義母のベラも、そしてヘレナも、これで体良くイリスを追い出せるとばかりに、この婚約に同意したこともあり、ケンドールとイリスの婚約が調ったのだった。


その僅か3年後には、ケンドールがめきめきと頭角を現し、第4騎士団の副団長まで出世を遂げるとは、この時のイリスにも、ヘレナにも、そしてケンドール本人にも、まったく予想は出来なかっただろう。


ケンドールが勢いよく出世の階段を駆け上り始めると、ヘレナの行動にも変化が現れた。ケンドールが仕事の合間を見繕ってイリスの元を訪れる時、必ずと言って良いほど、ヘレナもケンドールの前に姿を見せるようになったのだ。


愛らしい笑顔を浮かべて、婚約者の妹としては近過ぎる距離感でケンドールに近付くヘレナの美貌は、当時から際立っていた。鮮やかなピンクブロンドの巻き毛に、明るい濃桃色の瞳をした華やかなヘレナと、さらさらとした淡い金髪に、新緑のような薄翠色の瞳を持つ控えめなイリスは、まったくと言ってよいほど似ていなかった。対照的な2人が並んで立つ時、いつでも男性の視線が惹きつけられる先は明らかだった。次第にケンドールの心がイリスから離れ、ヘレナに吸い寄せられていくのを、イリスはただ黙って見つめることしか出来なかったのだった。


***

イリスは、怪我をして倒れているケンドールを見つけた時のことをぼんやりと思い返しながら、手に大きな籠を下げて家の裏山を上っていた。


まだ、この先どうしてよいかはわからなかったけれど、せめて、街で売れそうな薬草でもいくつか見繕っておこうかと、そう思って来たのだった。


(確か、彼が倒れていたのはこの辺りだったわ)


そんなことを考えながら、少し薄暗く木々が影を落とす中を分け入って行くと、急に草むらががさりと動いた。


「きゃっ……!?」


思わずイリスが立ち竦むと、草むらから、何かがずるりと這い出て来た。


「……?」


手に杖のようなものを持ち、それを地面について、どうにか前に這いずって進んでいるのは、どうやら男性のようだった。けれど、その顔は元の人相がわからないほど青黒く腫れ上がって、とても見られたものではなかった。もうぼろぼろになっているけれど、何やらローブのようなものをその身に纏っている。


「だっ、大丈夫、ですかっ!?」


目の前に現れたイリスに気付いた彼は、苦しそうに息をしながら低く呟いた。


「……残念ながら、大丈夫ではありませんね」

「そ、そうですよね。

私の肩につかまってもらえますか?ここから家が近いので、すぐご案内しますね」

「すみません。……助かります」


言葉少なに頷いた男性を、イリスはどうにか家まで連れ帰ったのだった。


「ま、お嬢様!その方は……?」


男性の酷い様子の顔を見て、半分悲鳴のような驚いた声を上げた、今では侍女長となっているモリーに、息の上がったイリスはどうにか答えた。


「そこの裏山に、倒れていて」

「まあ。お嬢様、またそのような……」


モリーがケンドールのことを暗に指しているのだろうということはわかった。イリスの母が他界してから、誰よりもイリスを気に掛けてきたモリーは、イリスがケンドールにされた婚約破棄を、イリス以上に怒り悲しんでいたのだ。慌てて手を貸そうと駆け寄って来たモリーに、イリスは構わず続けた。


「もう部屋はすぐそこだから、彼はこのまま運べるわ。

代わりに、お願い、薬箱を持って来てもらえないかしら?……かなり怪我が酷いみたいなの」


イリスの肩から、男性の呻き声が聞こえた。

モリーは勢いよく頷くと、薬箱を取りに向かおうとして、男性の身に着けているローブにふと目を留めた。


(あら?あの模様は……)


所々擦り切れて黒ずんだそのローブに縫い込まれた金刺繍の星の模様は、確かに、この国の魔術師でも一握りの高位の者にしか認められないものだった。

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