第5話
帝国にはかつて王族だった五大公爵家が貴族たちの頂点に座している。
北を統治するディモンド家。東を統治するルペウス家。南東を統治するサピロス家。南西を統治するアンジー家。西を統治するペディート家。
宝石の名を冠する五大公爵家は貴族の中でも一目を置かれる存在であり、次期跡継ぎともなればさらに注目の的だ。
サピロス家の家紋は交差した二対の剣とユリの花冠。カラーは深海よりも深いサファイアブルー。
淡いブルーとグレーのドレスに身を包んだ夫人は、扇子で口元を隠し、表情を取り繕ってはいるがどこか不満げな様子だ。原因はもちろん、着飾ろうと思っていた愛娘を息子に横取りされたから。
せっかく用意したドレスも、「この子には派手すぎる」と却下された。
イライラする夫人に、側仕えたちは目を伏せて飛び火してこないことを切に祈った。
「お待たせしました、母上」
「もう、遅いわよ! どれだけ待たせるつもりで、…………まぁ! まぁまぁまぁ!」
ようやくやってきたヴィンセントに眦を吊り上げた夫人だったが、手を引かれて隣を歩く菊花を目にしたとたん、声色が喜色に染まって跳ね上がった。
「あらあらあら! とぉっても素敵ねぇ!」
「そうでしょう。一から用意させたんです。可愛くて、綺麗で、とっても良く似合っているでしょう?」
あまりに手放しで褒められるものだから白い肌が赤く染まった。
艶やかすぎていつも背中で揺れている黒髪は高い位置で結い上げられて、白いうなじがさらけ出されている。
Aラインの蒼いドレスは胸元を大きなリボンが飾り、指先から顎の下までをサファイアの散りばめられたレースが覆っている。透けた白い肌はつい目で追ってしまう、月影に隠れた妖精のようだ。
柔らかな耳たぶを飾る蒼玉が連なったピアスは歩みに合わせて揺れていた。
派手過ぎず、しかしシンプル過ぎない化粧は菊花からにじみ出る美しさを強調して、さらに魅力的に見せている。角度を変えるたびにゴールドのアイシャドウがキラキラと煌めいて、ふんわりと乗せられた薄紅のチークは白雪の肌を血色良く見せている。
差し色の真っ赤なルージュは本来の柔らかな表情を引き締めて、夜会を飛び交う優艶な蝶のようだ。
ヴィンセントとの身長差を合わせるための十センチのヒールは油断すると小鹿のように震えてしまうが、エスコートしてくれる彼が手を取ってくれるおかげでなんとか歩けていた。
「お化粧は誰が?」
「うちから連れてきたメイドです」
「髪は? 結んだところからほどけて行ったはずだけれど」
「それも、うちに仕えているものが」
にこり、と笑みを添えたヴィンセントに気分を良くした夫人は、苛立ちも不満も遠く彼方へとほっぽって、ニコニコと白百合の笑みで菊花の頬を撫でさすった。
「あぁ、なんて綺麗で可愛らしいのかしら。ドレスもお化粧も、よく似合っているわ。……ヴィンス、この子に余計な虫がつかないようにちゃんと守るのよ」
「言われなくとも」
肩を竦めて受け応える。
ダークブルーのタキシードを着こなすヴィンセントは、白銀の髪をオールバックにして後ろへ撫でつけている。見慣れない格好がなんだか気恥しかった。
ふたりが並んで立っていると、ぴったりと当てはまり完成された蒼となる。菊花のドレスに合わせてタキシードを選んだのがよくわかった。
「父上は?」
「外にいらっしゃるわ。貴方たちを待っていたのよ。さぁ、馬車へ乗り込みましょう」
夜会は王都にあるディモンド家のゲストハウスで行われ、馬車で三時間ほどかかる。現在はトンネルが開通しており、以前は山越えをしなくてはならず、丸一日はかかっていたとか。
王都では自動運転車の開発が進められて、普及が行き届けば遠距離の行き来はもっと楽になるだろう。
夜会が行われるのは日が暮れてからだが、サピロス家の別邸に立ち寄るため早めに出発をした。
公爵と夫人、ヴィンセントと菊花で二人ずつ馬車に乗り、二台で王都へと向かう。流れる景色に目移りしながら、準備のために朝が早かったせいか馬車の揺れも伴って眠気にうつらうつらしてしまう。
「眠そうだね。いいよ、着いたら起こすから」
髪型を崩さないように頭を撫でられる。ゆっくりと瞼が落ちていくのに抗えない。おやすみ、と声が聴こえたのを最後に意識は眠りへと落ちて行った。
肩が揺さぶられる。頬を撫でられ、耳の裏がくすぐったい。
甘やかな香りが鼻孔をつついて、ゆっくりと瞼を持ち上げる。キラキラと黄金が弾けて、目と鼻の先にある美貌に大げさなまでに驚き、後ずさろうとして頭を座席にぶつけてしまう。
「ぃ、ったぁ……!」
「ふ、ふふっ、おはよう、菊花。目が覚めたか?」
「……はい、眠気がどこかへ行ってしまいました」
「それはよかった。さぁ、屋敷に着いたよ」
ぱち、と目を瞬かせて窓の外を見る。緑ばかりだった景色は打って変わり、人々が行き交う街並みを映し出していた。
馬車を降りると、色とりどりの色彩に目がチカチカした。お屋敷とは違う様々な匂いがする。人々が行き交う匂い、食べ物の匂い、花の匂い、生きている匂いがした。
「おかえりなさいませ、若旦那様」
「あぁ。部屋の用意はできているか?」
「はい。ご要望通り整えてございます。……そちらのお嬢様が?」
「そうだ。菊花、彼は執事長のセバスだ。この屋敷を取り仕切っている。困ったことがあればセバスに言うといい」
モノクルをかけたロマンスグレーの男性は、胸に手を当てて一礼をする。
「初めまして。お嬢様。ご紹介に預かりましたセバスチャンでございます」
「……菊花、です。お世話になります」
柔らかく笑みを浮かべたセバスチャンに、強張っていた肩が緩んでいく。自身でも気づかないうちに緊張していたのだ。サピロス公爵邸から外へ出るのは初めてで、知らない人に会うのも久しぶりだった。
ヴィンセントの従者が無礼なことをするとは思えないが、影でなんと言われているかはわからない。
――後宮では、人の評価など気にしたことがなかった。誰もが優しく、たまにイジワルをされることもあったが、すべてから兄が守ってくれたから。
「菊花、どうかしたか?」
「――いえ、なんでもございません」
「そうか。中へ行こう」
少しだけ、心に影が差した。
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