第5話 なろう系、転生もの

少し自分でもこんな感じかと書いてみたが、どうもゲームシナリオっぽくなってしまう。

そもそもの目的が、転生したら無敵みたいな小説に違和感と危機感を覚えるからだ。

閲覧した方で執筆されている方には不快に思われるかもしれないが、やはり転生する意味がよくわからない。


もしかしたら、というか宗教の考えでは転生したのが自分自身なわけだ。

畜生道やらなんやらあるから、動物に転生するというのはわかる。輪廻転生だ。


それがスライムに転生する。無敵になって世界を救う。モテモテになる。

これはいかがなものだろう。

設定が面白いのはわかる。ある日いきなりスライムになっちゃったよ!ってことだと思うが、

どうも派生が多すぎて、ゲームの世界と現実がごっちゃになっているのは危険なのではないかと思う。


そもそもアニメや小説はフィクションだ。

ナルニア国やネバーエンディングストーリーなどはある種、転生ものに近いと言えるかもしれない。


だがどちらも物語の現実と異世界を行き来していて、主人公が死んだり異世界に入りっぱなしではないのだ。

現実と虚構が行き交う物語であるから、真実味があり想像力が働く。

もしかしてタンスを開けたら本当にと、思うかもしれない。


それが主人公が転生するというのは、現実を完全に放棄しあまつさえ完全に消去してしまうように感じる。

設定としては面白いかもしれないが、ニートが無職が最強、モテモテとはあまりにも都合が良すぎるし

不愉快ですらある。


ニートや無職が自虐でもなく、愚弄しているように感じるのだ。

長々とここまで記述していっても言い尽くせない違和感がある。


特に致命的に感じたのが、知的障害者の小説を読んだ時だ。

もちろん知的障害者の方に差別的な意図はないし、むしろ善良な方が多いのではないかとも思っている。


話を戻すが、その小説では名探偵コナンとドラゴンボールがごちゃ混ぜになっているような推理小説で、申し訳ないが支離滅裂だった。


事件が起きて推理したけど、ドラゴンボールがあるから生き返らせて大丈夫だったのだ!という内容のものだが


物語には禁忌というか、それはやってしまってはお終いだというものがある。

それがサスペンスでいきなりドラゴンボールが登場したり、死んだ人間が魔法の力で生き返りましたとかだと思う。

サスペンスはあくまで理詰めでリアリティを追求するもの、それに非現実で解決してしまっては全てがまる崩れだ。


それに近いものを転生ものの小説には感じるのだ。

私も充実して人生を謳歌している訳ではない。

ある人から見れば幸せだと言われる人生かもしれないが、あの時は良かったなとか、これから何が起こるかわからなくて怖いとか、

そういうリアルを生き、リアルの中で悪戦苦闘、または試合放棄をしてり、撤退してみたりを繰り返しているのだ。


それを転生したら全て解決していた。一気にレベル100というようなものは、やはり容認しがたい。

だって、レベル100ってリアルに考えるとおじいちゃんで下手したら寝たきりでしょ?

人は老いて死ぬ、突然の死はあるかもしれないが自然の摂理というものがある。


死んだらどうなるかわからないというのも、生きる上で誰もが死ぬまで考えていくものだ。

映画や物語の夢オチでした。を出だしから堂々と使っている。そんな気がしてならないのだ。


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行雲流水 ツムラ @tsumurata2

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