翠の魔女
詠月
翠の魔女
ねえ、君は“翠の魔女”を知っている?
今から三百年前も昔の話。
そう、あの魔女のことさ。
今ではもうあまり知られていないのかもしれないね。けれど当時はすごく有名な話だったんだよ。
彼女が歩けば道ができ、彼女が笑えば花が咲き。
彼女が歌えば新しい命が生まれ、彼女が踊ればその土地に天の恵みをもたらした。
魔女と言えば悪い印象を抱く人が多いだろう。
力を独り占めして高笑いをしている姿を想像する人もいるかもしれない。
けれどそれを否定することはできない。
事実、当時にもそんな魔女は少なからずいたからね。
魔女という存在は“危険になり得る可能性があるもの”として警戒されていたし怖れられてもいた。
しばらくすると魔女たちの力を利用しようとする者や、排除しようとする者も出てきたんだ。
当然だよね。
特別な力なんて欲しいと思うに決まってるのだから。
それはそれは悲惨な光景だったよ。
魔女狩りが行われたり、魔法に関する書物が焼かれたり。
その結果多くの魔女が己の姿を他人に見せないよう孤独に過ごしていた。
せっかく力を持っているのに、使うこともなくひっそりと生きていたんだ。
でも彼女は違った。
自分の魔力を惜しむことなく皆のために使っていたんだ。
雨が降らずカラカラの土地に水を与え、流行り病で苦しむ人々には調薬した薬を恵んだ。災害で壊れた町を復興し、長年悪事を働いてきた盗賊たちを罰した。
そうやって多くの村が彼女に救われたんだ。
彼女は人々にとっての光になった。
人々は彼女を敬い彼女は恩恵を与える。
“翠の魔女”
その噂は瞬く間に広がり、いつのまにか国中に知れ渡っていた。
さて、ここで問題だ。
特別な力をもつ魔女、しかもたくさんの人々から慕われている。
そんな存在を知った人はどうすると思う?
……簡単だ。こんなの簡単に想像できるよね。
人間は醜い生き物なんだ。
自分よりも高い地位に誰かが立つことを決して認めない。
自分より優位に立つものを許さない。
国の中心人物たちが揃って彼女を排除しようとしたんだよ。
それから彼女は堂々と生きていけなくなった。
常に命を狙われているのだから当たり前だ。
自分の存在が争いの種になってしまう。
そう気づいた彼女は一人で生きていくことを選んだ。
そして初めて自分のために力を使い、ある森を作り上げたんだ。
それは本当に美しい森だった。
野生の動物や植物、花で溢れた自然豊かな森。
天然のものとは思えないほど綺麗な水はどんな病気でも治すことができると噂されたほど。
けれど一歩でも踏み入れば、たちまちいばらが伸びてきて入り口を塞いでしまうのだ。
誰も立ち入れない。美しいのにいつも静かな森。
そんな森の最奥に作った小屋で彼女は、使い魔と孤独な生活を始めた。
あんなに力を分け与えたのに彼女には何も残らなかった。
世界は変わらないまま、ただ時だけが流れていって。
長生きと言われる魔女の彼女も、その灯火が尽きる時が来た。
『あのね、スイ』
彼女は寝台に横たわり力なく微笑んだ。
『これからも、この森を守り続けてくれないかな』
スイと呼ばれた者は泣くのを我慢するかのように、ぎゅっと唇を噛んでいた。
『っ、どうして? 全部全部あいつらのせいなのに、なんで……』
『憎んでも何も変わらないから』
だからスイも憎んじゃだめだよ?
その言葉に頷くことはできなかった。
考えていることなんて全てお見通しなのだろう。
もう、と笑って彼女はその翡翠色の瞳を煌めかせた。
『私は役目を終えたのよ。多くの命を助けられた。それだけで十分』
部屋の中は暗い。夜だから当然だ。
彼女は最期でさえ、光を与えられることを許されなかった。
彼女の光が、消えていく。
『私ね』
少し掠れた声で。もう苦しそうだった。
『ずっと……ずっとね』
“寂しかったの”
こうして彼女の人生は幕を閉じた。
彼女は強かった。
世界を、人を、全てを愛していた。
けれどその報いはひどいものだった。
人間は彼女に恩を仇で返した。
さあ、最後に問題だ。
こんなにも強かった彼女がたった一つ望み続けていたものは何だったと思う?
――正解はね、愛だよ。
周りからの愛。世界からの愛。
普通は誰でも簡単に手に入るもの。
家族のいない魔女にとって、愛は手に入らないものだった。
だから彼女は歩み寄ろうとしたのだ。
どこで歯車が狂ってしまったんだろうね。
かわいそうな彼女。彼女は憐れな魔女だ。
君は覚えていてね、この物語を。
――“翠の魔女”の想いを、どうか忘れないで。
翠の魔女 詠月 @Yozuki01
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