置いてけ池

ふさふさしっぽ

置いてけ池

 仕事がなくなり、住む場所を失い、恋人に裏切られた。


 そして。


 さっき起きたら身ぐるみ剥がされていた。


 深夜二時。

「草木も眠るなんとか」な時間。

 俺は公園のベンチでパンツ一丁のまま、ぼけーっとしていた。

 新聞配達のバイクが公園の前を通りすぎる。このままの恰好ではまずいと思いながらも、その一方で、もうどうでもいいやという気持ちもある。


 なんでだよ。


 なんで俺ばっかりこんな目にあうんだ。


 勤めていた会社が倒産し、途方に暮れながら自宅に戻ると、アパートは全焼していた。隣人のたばこの不始末だった。お先真っ暗だったが、このとき俺はまだ絶望していなかった。

 恋人がいたからだ。

 ゆくゆくは結婚を考えていた相手だったが、彼女は俺のなけなしの退職金を持って去って行った。もちろん音信不通。

 すべてを失った俺に彼女は興味をなくしたようだ。


 そして今。


 やけ酒をあおり、べろべろになって公園のベンチで眠りこけ、起きたらこの有様というわけだ。財布もスマホもなんにもない。靴だけは履いていたが、Tシャツもハーフパンツも持っていかれた。なんで洋服なんて持っていくんだ。酔いつぶれた俺をからかって脱がしたのか。訳が分からない。


 季節は夏。熱帯夜がここ連日続いている。今日も多分そうだろう。パン一でも全然寒くない。

 しかし俺の心は寒かった。まわりで鳴くセミが「ばーか、ばーか」と言っている気がする。


「ちくしょう……」


 頭が痛む。まだ酒が残っている。水でも飲もうかと水場を探していると、公園の茂みの奥の、小さな池に目についた。

 俺はかなり目がいい。唯一の長所だ。


「こんなところに池なんてあったのか」


 ここは全然知らない公園だ。何件も店をはしごして、どこを歩いたかも分からずにたどり着いた公園。ざっと見まわして、遊具も少ない小さな公園だと思っていた。

 

「置いてけ池」


 なんとなく池に近づくと、立て看板にそう書いてあった。


「この池の中から『おいてけ~、おいてけ~』という声を聞くと、必ず何かを『置いて』行ってしまう。近づくときは注意すべし」


 続けてそう書いてある。


 何かを置いていく?


 俺は込み上げる笑いを抑えきれなかった。から笑いだけれど。


「今の俺に、置いていくものなんて、あるものか」


 仕事も、家も、恋人も、挙句の果てに身に着けているものまで失った俺に。


 俺はやけくそな気持ちで、池にむかって叫んだ。「おおい、なんでも持って行けよ!」


 叫んだあと、辺りは再びセミの声に包まれた。もちろん、何も起こらない。暗闇に浮かぶ小さな池は、時が止まったかのように静かだった。

 俺は急に空しくなり池に向かって吠えた。


「くだらない! 全てがくだらねーよ! みんなくそくらえだ。ちくしょう!」

 そして足元にあった石ころをひっつかむと池に投げ込もうとした。

 すると


「おいてけ~」


 え?


「おいてけ~」「おいてけ~」


「う、うわあっ」


 池の中から男とも女とも分からない声がした。その声は何度も同じ言葉をくり返す。


「おいてけ~」

「おいてけ~」

「おいてけ~」

「おいてけ~」


 俺はつかんだ石を取り落とすと、そのまま転がるように池を離れ、無我夢中で公園を走り抜けた。パンツ一丁だったけれど、そんなこと気にしていられない。



 その後。

 誰かが俺のことを通報したらしく、俺は駆け付けた警察官たちに取り押さえられ、交番へと連れていかれた。

 事情を話すと、警察官は「それは災難でしたね」と同情してくれた。俺が話すことは当然だが細部まで辻褄が合っていて、嘘をついているようにはとても見えなかったのだろう。それに俺はすでに落ち着きを取り戻していた。酔いも冷め、頭もすっきりしている。

 交番で服と帰りのタクシー代を貸してもらえた。氏名や連絡先など、聞かれたことに機械的に答えながら、俺は別のことを考えていた。


 あのとき「おいてけ~」「おいてけ~」という声を、俺は確かに聞いた。あの立て看板によると「必ず何かを置いて行ってしまう」らしい。


 俺は何かを「置いて」いったんだろうか。


 警察官には「置いてけ池」のことは話さなかった。どうせ信じてもらえないだろうと思ったからだ。酔っぱらって、立て続けに起こった不幸にムシャクシャして滅茶苦茶に走っていた、と説明した。


「どうかお気を落とさずに」


 若い男性警官は気の毒そうな顔をしながら俺を見送った。俺は、


「まあ、生きてりゃまたいいことありますよ。くよくよしてたってしょーがない」


 と笑いながら手を振った。心が晴れ晴れしていた。不思議な気持ちだ。さっきまで、この世のすべてを呪ってくさくさしていたはずなのに。


 いろいろ災難はあったけれど、どれも大したことはない。新しい仕事も恋人も、また見つけりゃいい。いや、きっと見つかるさ。


 朝日が眩しい。夜明けだ。

 今日からまた頑張ろう! なんでもどーんとこい! だ!


 


 どうやら俺は「絶望」を置いていったみたいだ。

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