第19話 ドーバー海峡の橋の上で
ザワザワ
文京区の本郷通りまで出て来た。皆んな花火をみようと、会場に向かって長い行列ができていた。打ち上げ花火は、上野公園から上がるため、本郷通りにも人が溢れかえっていた。
幸信と本郷は、おじいから言われた通りに、東都大学のドーバー海峡の橋を目指した。
「人がいっぱいいるね。」
本郷が言葉を発した。
「そうだね、花火大会ってこんなに人が来るんだね。」
「あっ。」
本郷は、道ゆく人の肩にぶつかり態勢を崩した。
すかさず幸信は、右手で本郷の肩を支え、左手で本郷の右手を掴んだ。
「ありがとう、え、幸信くん?」
ここで手を離したら男が廃る。そう幸信は決意を固めると、手を繋いだまま歩き出した。
二人は黙ったまま歩き続けた。
農正門を通り抜け、銀杏並木の先の大樹で右折し、ドーバー海峡の橋の前までたどり着いた。
そこにはおよそ29段の階段がそびえ立っていた。
「結構段差が大きいね。本郷さん登れそう?」
「多分大丈夫だよ。」
幸信と本郷はゆっくりと階段を登り始めた。
——ドーーン
——おーーーー
中腹くらいまで登った時、花火が打ち上がる音が聞こえ、数人の歓声が橋の上から聞こえて来た。
「始まっちゃったみたいね、幸信君先登って見てていいよ。私ゆっくり行くから。」
「いや、本郷さんと一緒に登るよ。一緒にいたいんだ。」
幸信は、階段の上の方を見ながら言葉を放った。恥ずかしさいっぱいの言葉のせいで顔を本郷の方に向けることができなかった。
「ありがとう。」
本郷は、握っている手をほんの少しばかり、強く握った。幸信の体温をさらに感じた。
——空想でも架空でもない、現実に今、私、幸信君と手を繋いでるんだ。
嬉しさのあまり心臓が胸から飛び出そうだった。
二人は、ゆっくりと階段を登りきった。そして、橋の真ん中あたりの欄干に寄りかかりながら花火を観賞した。
スカイツリーの横に花火が輝く。
花火の閃光が二人を照らす。
不意に幸信は本郷の横顔を見た。花火の色に微かに染まったその横顔は、幸信を虜にした。手を伸ばせばすぐに届く距離にあるその横顔に幸信は無性に触りたくなり、手を伸ばした。
「え?なに?」
急に頬に手を当てられた本郷は、びっくりしながら声をあげた。
「ご、ごめん、その、ごめん。」
「いや、いいよ、幸信君ならいいよ、その、変な言い方になってしまうけど、もっと触れてほしい。」
そう言いながら、本郷は幸信の手に、自らの手を添えた。
——本郷さんが欲しい。
幸信の心の底から見知らぬ感情が湧き立ってきた。これまで人の
人のことを物みたいに欲しいと表現するのは、如何なものかと思いながらも、幸信は溢れ出てくるこの感情を抑えることができなかった。欲しいものは欲しいのである。
「本郷さん、あの聞いて欲しいことがあるんだ。」
「どうしたの?幸信君。」
「本郷さんと出会って2ヶ月しか経っていないけど、経ってないけど、その、自分は、本郷さんが、本郷さんのことが——。」
「待って、幸信君。その、先に私の話を聞いてもらってもいい?」
幸信の今世紀最大の勇気が、本郷の一声で一蹴されてしまった。
「いいよ。」
幸信は、恥ずかしさで一杯になりながらも、努めて冷静に答えた。
「あのね、私ね、転校初日に幸信君に会った時、実は幸信君ってすぐにわかったんだ。小学生の時、ピアノコンクールを見に行った時に、幸信君の演奏に魅了されたの。それから、幸信君が出るコンサートは絶対見に行ってたんだ。だから、東京に転校してきて、教室に入った時、すぐに幸信君がいるって分かったの。絶対仲良くなりたいって思ったの。そして、幸信君と話して、二重奏して、今日一緒に花火を見て、手も繋いで‥‥‥私の願い全部叶っちゃった。私の憧れの人とこうして一緒に居れる。私にとってはこれ以上ない幸せなの。でもやっぱり、いいことがあれば悪いこともあるのかな。今日までの2ヶ月が良すぎたからかな。私ね‥‥‥。」
本郷が急に黙り込んだ。二人の間に沈黙が流れ、花火の破裂音と周りの人のざわめきだけが二人の間を埋め尽くす。
幸信は、じっと本郷の顔を見つめ、本郷が自分のペースで話し出すのを待った。
ポタリ
地面に雫が落ちる。
ポタポタポタ
雫は絶え間なく流れ続ける。本郷の頬を伝って。
「ほ、本郷さん、どうしたの!?」
幸信が現状を飲み込めずたじろいでいると、幸信の胸の中に本郷が飛び込んできた。
そして、幸信の顔をしたから覗き込む。悲愴感と絶望感に包まれた本郷の顔からは、目から大粒の涙が絶え間なく頬を伝い、幸信のTシャツを濡らす。
「私ね、選ばれちゃったの。」
「え、選ばれた?何に?」
「選ばれたの、
「生贄、通知‥‥‥?それってどんなの?」
幸信には初耳の情報であっため、その通知が何なのか全く見当がついてなかった。
「3日前に、一通の封筒が届いたの。中を開けると、『あなたは上界への生贄に選ばれました。執行日は5日後です。』って書いてあったの。最初は何かのいたずらかと思ったの。だけど、お父さんにその手紙を見せると青ざめて、本物だっていうの。以前、お母さんにも同じような手紙が届いて、その手紙に書いてあった執行日にお母さんは失踪したって。だから私、もう、この世から消えちゃうかもしれないの。」
「え?上界ってあの言い伝えである、人ならざるもの達が住む世界って場所のこと?」
「そう、みたい。」
「ちょっと待って、本当に上界って存在するの?」
「お父さんは、存在するって言ってる。これまでもなんども数年に一度、日本国内でも生贄通知が確認されてるみたいなんだけど、その度に上界調査隊が、手紙の出所や上界について調査したんだけど、何も手がかりは見つからなかったらしいの。ただ、絶対に、その生贄通知をもらった人は失踪するらしいの。」
「そんな。」
「だから、幸信君。今日で会うのやめよう。そして、お互い忘れよう。これ以上親しくなってしまったら。別れるのが、辛すぎるよ。」
——ああ、言ってしまった。心にもないことを言ってしまった。でも、これ以上幸信君を巻き込んじゃダメだ。
本郷は、自分の感情を律して、淡々と告げた。
「嫌、それはダメだよ。」
「え?幸信君?」
幸信はまっすぐと本郷の目を見据えた。
「それはダメだよ。本郷さん。もうここまで親しくなってしまったんだ。今更、本郷さんを忘れることなんてできないよ。自分は、自分は、本郷さんが困ってるところを見過ごせないし、自分は、自分は‥‥‥、本郷さんのことがもうこんなに好きなんだ。本郷さんのことは自分が守るよ。絶対失踪なんてさせない。」
「幸信君‥‥‥。ごめんね、こんなことになって。もっと平和に、もっとちゃんと幸信君とゆっくり時を歩みたかったのに。」
「ううん、本郷さんは悪くないし、まだ、本郷さんがいなくなると決まったわけじゃない。足掻いてみよう。本当に神の国、人ならざるもの達の国、上界があるのならば、人である自分達は、精一杯足掻いてみようよ。人は、一方的な力には屈しないって見せつけよう。」
二人は、見つめ会う。
今だけ、不思議とお互いの気持ちが手に取るようにわかる気がした。
そして、最後の花火が辺りを照らす中、ドーバー海峡の橋の上で、そっと口づけをした。
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