第18話 浴衣

本郷のお父さん、本郷守は内閣府を訪庁しているため家におらず、本郷結衣は家にで、茫然自失になりながらテレビを見ていた。


ピロリン


本郷結衣の携帯が鳴った。


結衣は携帯を見ると、幸信からのメッセージが届いていた。


『本郷さん風邪大丈夫?無理しないでね、練習のことは気にしないで、それと、来年花火大会見にいこうね。』


相変わらず幸信は優しかった。


結衣は携帯を床に置き、虚空を眺めた。


ーー私はなんてズルい女なんだろう。これ以上幸信君に関われば幸信君に悲しい思いをさせてしまうかもしれないのに、私は幸信君を求めてる。会いたいと思ってしまっている。もう2度と会えなくなるならば……、もう一度会いたい。



幸信に会いたい、と強く思った時、結衣は駆け出した、幸信の元へ。


——ごめん幸信君、私、もう君に会わないと決めたはずなのに君に会いたくて、話したくて、君の声を聞きたくて、もうどうしようもないの。


結衣は走った。1秒でも早く幸信に会うために。


—————

「幸信、夕飯前にお風呂はいってきなさいな。」


おばあが、幸信に風呂に入るよう急かす。


「幸信、今日花火大会なのに、誰とも予定はないんか?正樹君や優里ちゃんはどうした。」


おじいは、せっかくの花火大会なのに、家にいる幸信に、半ば呆れながら問いかけた。


「正樹と優里は2人でデートしてるよ。俺が邪魔しちゃ悪いだろ。」


「それもそうだな、本郷さんが、風邪じゃなければ行けたかも知れんのにな、残念やな。」


「本郷さんはもともと誘ってないよ。」


「幸信〜、そういうのは男から誘うもんだろ、断られてもいいから、勇気を振り絞って誘うのが醍醐味じゃないのか?」


——もう、さっき来年の花火大会誘ったよ、返事返ってこないけど


幸信は、おじいの言葉に少し苛立ちながら、ボソッと呟いた。


「じゃあ、幸信、おじいと花火大会を見に——。」


ガラガラガラ


おじいの言葉を遮るように玄関が勢いよく開いた。


「ごめんください!!!


華やかで、綺麗で繊細な声が五ノ神家に響き渡った。


幸信は、この2ヶ月間で何度も聞いたその声に、咄嗟に反応して、玄関まで駆け出した。そこには、息を切らし、戸に手をかけながら肩を揺らしている結衣がいた。


「本郷さん、どうしたの!?風邪は大丈夫なの?ってか、それ制服じゃん。」


「騙していてごめんなさい。」


「え?騙してたって本郷さんどうしたの?」


「幸信君、私、本当は風邪なんて引いてないの、色々事情があって、今はその、言えないんだけど、練習にも行かなくて本当にごめんなさい。」


「そうなんね、何か、とんでもない事情があるんだよね、いいよ。言える時が来たら教えてね。それで、今日はどうしたの?」


「幸信君、あの、今から花火大会に行ってくれませんか?」


「え?花火大会に?」


「やっぱり、急すぎるよね。」


「いいじゃないか幸信、今からでも遅くないから行ってこいや。」


後ろからおじいの声が聞こえてきた。おじいは、後ろでニヤニヤしながら、二人の話を聞いていたのだ。そこに、おばあも加わってきた。


「あらあら、本郷さんじゃないですか、ぜひうちの幸信を連れてってくださいな、この子ったら今まで、友達とかと花火大会に行った事がないもんですから、一緒に行ってもらえるとありがたいわ。あ、そうそう、本郷さん少し上がってきなさいな。いいものがあるから。」


「え、おば様それは、ご迷惑になりませんか?」


「いいのいいの、実はね、私の娘が来ていた浴衣があるの。ちょうど背格好も同じくらいだから、似合うんじゃないかな。」


「え?おばあ、浴衣なんて用意してたの?」


幸信は驚きながらおばあに尋ねた。


「そうよ、いつか幸信が、可愛い女の子を連れてきてもいいように、ちゃんと、綺麗に維持して、毎回、お祭りの時とかにひっそり用意してたのよ。しかも最近は本郷さんとも仲が良いようだったから、いつもより入念に調えといたのよ。」


「おばあっていつも、そう言うところで抜け目ないよな。」


「あの、私なんかが、娘さんの浴衣を着てもいいのでしょうか、申し訳なくて。」


「いいのよ、もう誰も着なくなってしまっているから、あなたのようなべっぴんさんに着てもらえれば、浴衣も喜ぶわ。」


結衣は少し目を伏せてから、チラリと幸信の方を見上げた。


ドスン


おじいが幸信の肩を少し押した。


なんだよと思い、おじいの方を見ると、おじいは真剣な顔で、顎を本郷の方へ振った。


——まあ、自分も本郷さんの浴衣姿見たいし、いっか


「本郷さん、自分も、あのよかったら、本郷さんの浴衣姿見たいな。」


「ほんと!?じゃあ、お願いします。」


じゃあ、幸信やおじいさんは、居間で待っていてくださいね。すぐ準備しますから。」


そう言うと、おばあと本郷は和室へと消えていった。


「じゃあちょっと服を脱いでもらっていい?本郷さんはと、サラシを巻いたほうがよさそうね、本郷さんは細身でスタイルいいから絶対似合うわよ。淡青で、朝顔が散りばめられた浴衣でね、私の家に代々伝わる浴衣なの。現代でも見劣りしないデザインだから古臭いとはならないと思うけど。」


「ありがとうございます。私、これまで浴衣とか着た事がなくて、だから、嬉しいです。」


「それは良かったわ、それじゃあ帯を締めるわね。本郷さん、幸信のことをよろしくね。あの子は、親を亡くしてから人が変わってしまったように見えたんだけど、あなたに出会ってからかしら、ここ二ヶ月くらいで、昔の幸信に戻ったのよ。多分あなたのおかげなのよね。」


「いえ、私はそんな大層なことはしていません。私の方こそ、転校してきて不安だったたんですけど、幸信君のおかげで、クラスに馴染めましたし。友達もできました。本当に感謝してるんです。そして、やっぱり、幸信君のピアノを演奏している姿がすごく好きで、今後も一緒に演奏できたらなって‥‥‥。」


本郷は言葉を詰まらせた。自分に起きている現実を思い出したのだ。家を出てから幸信の家まで、必死にただ幸信に会いたいと言う気持ちだけが本郷を占めており、そして、五ノ神家の暖かな雰囲気に飲まれ、自分が置かれている立場を一瞬忘れていたのだ。


——私、何やってるんだろう。私のわがままのせいで、みんなに迷惑をかけてしまっている。


「本郷さん大丈夫ですか?はい、準備できましたよ。こちらに立って見なさい。」


姿鏡の前に立つと、控えめだが、見るものの記憶に残るほど魅惑的な浴衣に身を包んだ美しい本郷が写っていた。


「やっぱり見立て通り、すごく似合ってるわ本郷さん。本郷さん、あなた何かを悩んでるみたいだけど、今日だけは一生懸命遊んで来なさい。笑ってればね、不幸は自ずと逃げていくものよ。」


「は、はい、すみませんおば様、ご心配をおかけして。」


「いいのいいの、老いぼれは心配するのが仕事みたいなところもあるし。それじゃ、幸信のところに行きましょうか。」


本郷達が居間にやってきた。


「‥‥‥。」


幸信はいち早く、本郷に気づいたが、そのあまりの妖艶さ・美しさを表すのに相応しい言葉を見つけられずにいた。


「おうおう、本郷さん物凄く美しいじゃないか、このまま幸信の嫁になって欲しいくらいやね。」


おじいが、感心しながら本郷さんを褒め称えた。


「ほら、幸信や、何か言ったらどうだい。」


おばあが、幸信が絶句しているのに呆れて、急かした。


「あ、う、うん、その、物凄く、綺麗。」


幸信は知能が退化してしまったかのように、単語でしか話すことができなかった。それほどまでに、本郷の浴衣姿の虜になってしまっていた。


「あ、ありがとう。」


本郷も、ただただ照れてしまい、伏し目がちになっていた。


「それじゃあ、若い者同士、楽しんで来なさいな。後30分くらいで花火大会が始まるよ。」


「じゃあ、本郷さん行こうか、おじい、おばあそれじゃあ行ってきます。」


「おじい様、おばあ様、浴衣ありがとうございます。このご恩は一生忘れません。」


「はいはい、いいのよ。あ、幸信、花火を見るなら、あそこがいいわよ、えっと、名前なんだったかしら。昔おじいさんに連れていってもらったところ。」


「あ〜、あそこのことか?東都大学のドーバー海峡の橋か?」


「そうそう、そこからが綺麗だったわ、そこでおじいさんからプロポーズを——。」


「おばあさんやそんな恥ずかしい事、幸信の前で言わんでもよか。」


「あ、おじい照れてるやん。」


「やかましいわ、幸信、さっさと本郷さんをエスコートしなさいや。まあ、確かに、東都大学のドーバー海峡の橋は見やすいし、人もほとんどいないと思う、そこで見ればいいんじゃないか?こっからも近いし。」


「ってか、ドーバー海峡ってフランスとイギリスの間の海峡でしょ。東都大にそんなトコあるの?」


「それがあるんだよ。正式には言問通り《ことどいどおり》って言うんだが、弥生キャンパスと本郷キャンパスを隔てる言問通りに橋が架かってるんだ、そこらはな、スカイツリーだって見えるんだよ。」


「へ〜そんなトコがあったんだ。じゃあ、本郷さんそこに行ってみよう。じゃあ、行ってきます。」


「行ってきます。」


「気をつけて行って来なさい。」


幸信と本郷は、ゆっくりと歩き始めた。






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