第6話 嫉妬

次の日、珍しく朝早く起きた幸信は、始業時間の30分前に教室についた。


教室に入ると、本郷はすでに席に座っており、今日の授業の予習をしていた。


幸信が席に近づくと本郷は、幸信の存在に気づき声をかけてきた。


「おはよう、幸信君。昨日は、いきなり誘ってごめんね」


「いやいや、いいよ。また機会があったら誘って、本郷さんと二重奏すること自体は、す、す、楽しいから」


幸信が話し終えるや否や、教室の入り口の方がざわつきだした。


「本郷結衣先輩はこのクラスですか?」


「はい、私が本郷です」


キノコヘアで身長が180 cmほどの男が立っていた。そして、本郷を見つけると本郷めがけて歩み寄ってきた。


颯爽と歩くその姿は、見るものを引きつける不思議な魅力があった。周りの生徒は、「かっこいい」だとか「ピアノで有名な人で、テレビとかにも出てる人だよね」とか黄色い声を発している。


「どうも初めまして、私は1年3組の本所勇人ほんじょゆうとです」


「本所勇人さん?どこかで聞いた名前‥‥‥、あ、もしかして去年のピアノコンクールの優勝者の本所さん?!」


本所は、中三にてピアノコンテストで優勝、また国際音楽コンクールでも日本人初の3位という好成績を残し、リサイタルやテレビなどに出ている今をトキメク、ピアノ界のスターであった。


「そうです。名前を知っていただいていたとは、感激です。3年連続ヴァイオリンコンクール優勝の日本で一番ヴァイオリンが上手な高校生の本郷結衣先輩。」


本所がそういうと、周りがドッと湧き上がり、「え、なになに本郷さんってヴァイオリン弾くの?」や「三年連続ヴァイオリンコンクール優勝だって、日本一だって」とか一瞬にして情報が広まった。


周りの学生は興味津々で2人の会話に耳をたてていた。


「あまりそのことを言って欲しくないんですけど、細々と弾いていたいので。」


「それは失礼しました。ですが、このような素晴らしい業績は多くの人に知っていただくべきかと思いまして、楽器は人に聞いていただいてこそ、輝きますし」


「それはそうですけど、それで今日はどうしましたか?」


「今日お伺いしたのは、今度の文化祭でぜひ一緒にコンテストに出ていただけないかと思いまして、二重奏をしませんか本郷先輩」


「え、二重奏ですか?いや、私はレッスンで忙しいので、今回はコンテストを見合わせようと思っていまして」


「それはおかしいですね。僕が得た情報ですと、このクラスの誰かと二重奏に出ないかと、本郷さんの方からお誘いしていたと聞いたのですが」


「え?どうしてそれを」


「有名人になると色々な情報が入ってくるものです。しかも、一介の素人のピアノ弾きに伴奏を頼もうとしたとか。そんなことしたら、あなたの品位を貶めてしまいますよ。それだったら僕と一緒にしませんか。みんなお金を払ってでも聴きたがりますよ。高校生ナンバーワンピアニストとヴァイオリニストの二重奏」


「そんなことないです。幸信君のピアノは素晴らしいです」


本郷にとって、これ以上幸信が悪く言われることは耐え難いことだったため反論した。


「幸信さん、幸信さんという人と二重奏をしたんですね。さて、幸信先輩とは一体どなたですか?」


本所がそう言うと、周りの生徒は一斉に本郷の隣の席の幸信を見つめた。


——え、あの根暗な五ノ神君が本郷さんと二重奏をしようとしてたの?


——本郷さんから頼んだんでしょ、洗脳とかしたのかね?あはは


——あんまり五ノ神君と関わらない方が本郷さんのためだと思うんだけどね。


とか色々と、負の言葉が、幸信の周りを包み込んだ。


「隣にいたんですね、幸信先輩、それならそうと言ってくださいよ。幸信さんは、どうして本郷さんと二重奏をやらないんですか?断ったらしいじゃないですか。」


——え?本郷さんの申し出を断った?信じられない。


周りの空気はアンチ幸信で覆い尽くされた。


「いや、違うの私が無理やり誘ってしまったから」


「いやいや本郷さんは悪くないよ、自分が甲斐性なしだったから」


「幸信先輩、どうして断ったんですか。こんな名誉なことそうそうないじゃないですか。」


「いや、本当は断りたくはなかったけど‥‥‥」


「けど?」


「いや、その、えっと」


「幸信先輩しっかりしてくださいよ」


本所からの目線も周りのクラスメートの非難するような目線が痛く心に突き刺さり、幸信は言葉に詰まってしまった。


「どうしたどうしたよ!」


突然、陽気な声がクラス中に響き渡った。隣のクラスの正樹が異変を感じて幸信の元に仲裁しにやってきた。正樹の後ろには優里もついて来ていた。


「これは正樹先輩、初めまして本所勇人と申します。今ちょうど、なぜ幸信先輩が本郷さんからの誘いを断ったのか伺っていたところです」


「こんなに人の注目を集めながら、幸信を批判するようにかい?」


「滅相もありません。私にそんな意図はありません」


「意図がないにしても、状況がそうなっているじゃないか。どうしてそんなに幸信に突っかかってるんだ」


「幸信先輩を槍玉に挙げたように見えてしまったなら申し訳ありません。以後気をつけます。ですが、私は、許せないのです。本郷先輩ほどのすごい人から二重奏の申し出を受けたのに断ったことが。一介のピアノ弾きでも、萎縮するかもしれませんが、名誉なこととしてお受けするものだと思います。断るなんて失礼すぎます」


「それは、人それぞれの価値観だろ、実際本郷さんも、断られたことに対して、残念がってるかもしれないが、嫌がってはないだろ。これは本郷と幸信の問題であって他人が口出すことではない」


「そうですか。まあ、そう言う考え方もありますよね。わかりました」


正樹はわかってくれたかと、頷いた。


「わかりました。では、ピアノで決着をつけましょう」


「え!?君は話を聞いていたのかい?」


「聞いてましたとも。だけど、もう一つ許せないことがあるのです。それは、本郷さんが二重奏の相手に、私ではなく幸信先輩を選んだことです。本当に幸信先輩の方が本郷先輩にふさわしいなら、ピアノで証明してください。ピアノで私より優っていると証明してください。そうすれば私も納得します。もし、幸信先輩の方が劣っていたならば、今後一切本郷さんと二重奏しないでください、目障りです」


「お前、聞いてれば、その理不尽な要求はなんだ、口を慎め、お前こそ本郷の意思を蔑ろにしているではないか。幸信こんな要求聞かなくていいぞ」


いつも温厚な正樹が声を荒げて、本所に説いた。


しかし、本所は一歩も引かない構えで、なかなかの迫力で幸信を睨んだ。


周りの学生は、「勝負になるの?」とか「かないっこないし五ノ神君ビビってるんじゃない」とか心無い言葉が聞こえてくる。


「本所くん、大人しく聞いてれば、私を景品か何かのように扱って、心外です。やめてください」


本郷も声を荒げた。


「これは、本郷先輩のことを思ってやっているのです。本郷先輩はこんなサチが薄い男と絡むべきではありません」


「それは私が決めるこ——」


「やるよ」


本郷が言い終わる前に、幸信が一言発した。


「え!?幸信いいのかよ本当に、もう一度考えろって、いろいろ問題があるだろ。おじいだって許すかどうかわからないだろ」


「そうよ幸信、冷静になって」


正樹と優里は、幸信の予想外の発言に驚き、幸信を必死に諭した。


しかし、幸信の意思は堅かった。


「本郷さんと二重奏できなくなっちゃうのは嫌だしね。その勝負乗るよ。」


「幸信君、無理しないで」


「無理はしてないよ本郷さん、それで、本所君、君が負けた場合は、一体何をしてくれるんだい?」


「私が負けた場合、本郷先輩には一切絡みません」


「わかった、それで行こう」


「これは、楽しくなってきましたね。それでは一週間後、観客を募って簡単なコンサートを開き、投票によってどちらのピアノがいいか決めてもらいましょう。曲はベートベンの悲愴で、逃げないでくださいよ。幸信先輩」


「逃げないよ。正々堂々と行こう」


「それでは、これにて失礼します。私は本気で練習してきます。手を抜いたら許しません。本郷先輩、先輩と二重奏をできることを楽しみにしています」


そう言うと、本所は教室から出て行った。


そして、始業のホームルームの鐘がなり、生徒たちは慌ただしく、席に着いた。


正樹と優里は、幸信に無理せず何かあったら相談してと言い残し、自分のクラスに戻って行った。


本郷はと言うと、自分のせいでとんでもないことになってしまったため、申し訳なさで胸が押しつぶされそうになり、ただ一言だけ声を絞り出して伝えた。


「ごめんね」


と。


その日、幸信は一日中上の空であった。自宅のどこに楽譜をしまったかや、どう言う風に弾こうかなど思案していた。


そして、帰宅の時間になると、我先にと教室を飛び出し、帰路に着いた。

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