第4話 ”田中、美少女と遭遇の巻”

 美術部3人目の幽霊部員となった僕は、放課後の時間を埋めるために図書室へ通うのが日課になっていた。僕にとって、図書室は憩いの場所である。人が少なく静かで集中できて、絵を描くには最高の環境だ。


 別に鉛筆で絵を描く分には部室に居なくてもいいし、もしコンクール用に画材を使う作品を制作する時が来たのなら、使用する画材だけ持ち出して外で描けばいい。風景画を描くならその方が逆に都合が良いだろう。


 あの教室に行きたくないという理由で、図書室に逃げ込んでいる訳ではないというのを理解して欲しい。この部分を違えてしまうだけで、意味が結構変わってしまうからな。頼むぜまじで。


 しかしこの図書室、確かに絵を描く環境には適しているのだが、一つだけ問題がある。僕と対角線上に座っている人物、あれが不味い。


 椅子に座って読書をしているのは、“月”の南だ。


 南の近くにいると高確率であの未来予知がやってくる。正直勘弁してほしいので、できるだけ遠い位置に座っているわけだ。自ら図書室を立ち退くつもりは一切ない。何故かって? 野暮なこと聞くんじゃねぇ。……他に居場所がないんだよ。


「……ふふ」


 わ、笑った。あの、鉄仮面に罵られたいで有名の南が笑みを零したぞ。一体何を読んでいると言うんだ。頭が良さそうだから、ドストエフスキーの罪と罰でも読んでいるのではないのか。いや、難しい本で笑っているとなると狂気じみていて怖いな。


 気になった僕は本を取りに行く振りをして後ろを通り過ぎ、南の手元を覗いてみた。


 な、なにぃ!?


 ぎゃ、ギャグマンガ日常……だッ!


 あのクールビューティ南がギャグ漫画の金字塔を読んでいるなんて、意外過ぎる。まだ可愛い系や少女漫画等なら理解できないこともないが、端から端までギャグてんこ盛りの男性向け漫画だ。全くの想定外である。


 クラス2大美少女の意外な一面を目撃し、言い知れない優越感に浸ることができた。人は案外、見た目では判断できないものだ。僕も後で読み返そう。


 あぁ、なんか無性にアニメイラストを描きたくなってきたぞ。携帯電話のネットワークを用い、創作意欲のそそられる画像を探すか。


 お、これなんて良いな。海外でも大ヒットした超人気アニメ“俺の英雄学園”のヒロインだ。キャラデザはそのままに、オリジナリティを出すためポーズと絵柄を変えよう。無くしてしまった鉛筆も買い直したし、準備は万端だ。やってやるぞ!









 できた。


 結構いいんじゃないか?


 これは写真を撮ってつみったーに投稿しよう。

 皆、オラに拡散数を分けてくれ!

 うおおおおおおお!!


「……何描いてるの?」

「ピギィ!?」


 吃驚し過ぎて豚が踏みつけられた時みたいな声が出てしまった。


 声を掛けてきたのは、遠くの位置に座っていた南だ。イラストに集中していて気付かなかったが、いつの間にか背後に回られていたらしい。背中を取られても反応できないなんて、僕は超一流スナイパーには就職できないようだ。


 てか、南って近くにいると石鹸のすごく良い匂いがする。すぅはぁすぅはぁ。や、やめろ。僕を誘惑するな! いやもっと近くに寄ってくださいお願いします!


 南は横から僕が描いていたイラストを覗き込むと、垂れてきた長い黒髪を耳に掛けて此方に視線を移す。


「……可愛いね」


 それだけ言い残すと、図書室を退出していった。


「……ッ」


 息が詰まり、場に静寂が訪れる。


「……はぁああああ」


 止まっていた息を思い切り吐き出し、呼吸を再開させた。


 美術部で経験を積んだ僕は強い。


 女は決まって男との距離が近く、在らぬ誤解を容易に促す。


 もう、絶対に騙されないぞ。









「ねぇ、あの噂って本当なの?」

「分かんない。私も人伝に聞いただけだからさ」

「でも本当だったら最低だよね」

「ねー」


 次の日、学校に登校するとクラスではとある奇妙な噂が流れていた。


 曰く、南静香は中年オヤジと援交している。

 曰く、身体を売って小遣いを稼いでいる。とのことだ。


 事の真相は分からないが、これが本当であれば問題に発生するのは僕にでも分かった。


「ねぇねぇ原さん。噂が本当だったらヤバイよね! 退学とかになったりしてー!」

「アハハ、そだねー」


 最も噂の活性化が進んでいるのは、原が所属している見た目偏差値の高いグループか。中にはチャラ男もいるが、チャラ男は会話に混ざらず、黙って何かを考え込んでいる様子だ。顔がイケメンだと何をしてても似合うな。目ん玉くりぬきてぇ。


 数分後、南が登校してきた。


「「「……」」」


 南が前方の扉から姿を現すと、場は水を打ったように誰も言葉を発さなくなる。南はそれを毅然な態度で受け止め、自分の席へ自然な動作で辿り着くと静かにブックカバー付きの本を広げた。


 南が着席して読書と言う態勢に入ったことで時が動き出したクラスは、再度喧騒に包まれ騒がしくなる。皆が気にし、話し合っているのは南に関する裏事情についてだろう。しかし、僕は南に起こった些細な表の変化を見逃さなかった。


 視点を足元に下げると、上履きの筈である靴はスリッパになっていた。通常、上履きを家へ持ち帰る回数は少なく、多くの者が学校の下駄箱にしまっておく。あるとしても、綺麗好きが洗浄の為、週末に持って帰るくらいだろう。よって、週末までは少し遠い昨日の今日で、上履きがスリッパに変わっている状況は明らかにおかしい。


 やはり、嫌がらせは未だに続いているのか。そうすると、噂を広げたのも南に反感を抱いている女子連中と言う線が濃厚か。真相は分からないが、其れが事実ならば何とも醜い行動だ。


「南はいるかー」


 教室の扉を開けて入ってきたのは、我がクラスの担任だ。


「ちょっと話があるから、職員室に来なさい」

「……はい」


 南は先生の後を追って教室を出て行く。


「南さん」


 去っていく後ろ姿にチャラ男が呼びかけ、歩みを停止させた。南は図書室で見たのとは全く異なる無表情を湛えて振り向く。


「なに?」

「……いや、なんでもない」

「そう」


 しかし、何を話すでもなく歩みは再開され、前方の扉から退出していった。扉が閉まり切った途端、教室は南の話題で沸騰する。


「ええ!! あの噂って本当だったの!?」

「先生に呼び出されたってことはそう言うことなんじゃない?」

「お、俺の南様が……」

「南さんの純潔がぁー!」


 目の前で先生に呼び出された事実により、噂の真実味が増して全員の会話が一層弾む。先生も呼び出すのは良いが、皆の前でやるべき行動ではなかった。実行するなら陰でこっそりと行うべきだ。これでは、悪戯に噂を煽るだけである。


 こうなってしまっては、噂が止まる可能性も薄いだろう。南はこの学校で最も話題となっている高校生の一人だ。有名芸能人が不倫をした時と同じぐらいに……いや、身近な人間であるならそれ以上の影響力がこの学校では存在する。なにかきっかけがなければ、収まることは無いだろう。


 いや、もう収まらないかもしれない。





 まぁ、だからと言って他人事ではある。

 別に親しくもないし、話したことも殆どない。


 僕はクラスの話声をBGMに、腕を枕にして眠った。

 先生が南を呼び出してくれたお陰で今日は長く眠れるな。


「……(スヤスヤ)」

「ハイ、席についてー。朝の読書の時間ですよー」

「……ッ(ビクゥッ⁉)」


 このクラス、副担任がいたんだった。

 僕の安眠までは未だ遠いようだ。

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