第2話 ”田中、水浴びの巻”
僕は帰宅部ではない。これは強がりではなく、単なる事実だ。
入っている部活の名前は美術部。入部の理由は“楽そうだから”だ。部活動に所属していれば就職や大学進学の際に内申書へ記載されるし、面接等で聞かれる高校生活で頑張ったことも答えやすい。将来両親に楽をさせるためにも、部活動に励むのは必要な過程だ。絵は嫌いじゃないしね。
今は、3階建て校舎の最上階にある部室に向かっている途中だ。部室は別の棟にあり、1階の昇降口付近か3階の渡り廊下を通らなければ辿り着けない。教室が1階に位置している1年生なので、僕は毎回身近にある昇降口側を通ることに決めていた。
特に昇降口へは用がないので、横目に見て通り過ぎる。教室で気になる声優の熱愛報道をネットニュースで発見し、そのままネットサーフィンに興じていたら結構な時間が経過していた。現在の昇降口は人もおらず、閑散としている様子だ。
(……ん?)
そこで、一つの未来を見る。映ったのは通称“月”のクールビューティ、南静香だ。自分の開閉式下駄箱を開き、中を見て絶句している。何時も保っている凛々しい表情が崩れるほどの衝撃が下駄箱内にはあったらしい。
何故そこまで取り乱すのか、僕は何となく気になって南の下駄箱まで近づく。数えきれないほどのラブレターでも入っていたのだろうと楽観視しながら、箱の扉を開けた。
「ぇ……」
至る所に落書きが施された革靴が入っていた。
バカ、ブス、死ね、調子に乗るな。
他にも数多の悪口が書き記されている。
「……」
女の嫉妬や喧嘩が最も恐れるべき事象だとよく言うが、其れは本当だな。この革靴を見るまで、裏でこんなやり取りが行われているなんて全く知る由もなかった。
そこで、後ろから上履きが地面を擦る音が聞こえてくる。
(……ッ)
未来予知は数秒先を読むものだ。当然、ここにやってくるのは南だろう。
(やばッ!?)
僕は咄嗟に革靴を取り、手持ちの鞄へ放り込んだ。
(な、何してんだ僕)
自分の行動に戸惑いながらも、動作は止まらない。
手を突っ込んだ鞄の中から美術で使うスケッチブックと筆箱を取り出す。チャック式の筆箱を開ける動作に焦れ込みながらもなんとか開き、布で括り付けられている鉛筆を抜き取る。使い古して短くなった鉛筆を用い、数個の単語を紙に書き記した。
急いで書いたせいか文字が滅茶苦茶に濃いが、気にしていられない。記入した部分だけを千切って下駄箱に放り込み、急いで扉を閉める。スケッチブックと筆記用具を乱雑に鞄の中へと放り込み、一応の作業が終了したタイミングで南が教室側の陰から姿を現した。か、間一髪……。
僕は上がった息をバレない様に整えながら、南とすれ違いつつ部室の方向へ急ぐ。背後からは南の困惑した声が聞こえたが、無視して歩を進めた。
……。
どうしよう。
靴、持ってきちゃったよ。
*
「それにしても薄くなりすぎだろ……」
現在は再び昇降口前で、僕の手には色の落ちた南の革靴が握られていた。油性マジックで書かれた悪口は綺麗に消えてなくなったが、これはこれで問題な気がするのだが。
(とりあえず返しておこう……)
僕には科学部に現3年生の姉がいる。その姉に協力してもらい、薬品を使用することで靴の汚れを落としてきた。其処まで時間がかからずに完遂できたのはいいが、何とも不格好な出来だ。こんな仕上がりでいいのか。
下駄箱の扉を開け、そこに革靴を仕舞う。
「……あ」
未来が見えた。南が下駄箱の中を見て怪訝な表情を浮かべている。確かに、無かった革靴が色落ちした状態で返されたのならば誰だって怪しむだろう。僕は再びスケッチブックにペンを走らせ、其れを千切って下駄箱に入れた。
書いてから、なぜこんなことをしているのだろうと賢者タイムみたいな気持ちに陥る。本当に、未来予知は僕にとって不利益になる事態しか予知しないのだから困りものだ。
時間は予想以上に経過しており、今更部活に行くのも視線が厳しそうなので今日は休んで帰宅するとしよう。誰でもいいから、早くこの使えない能力を引き取ってくれないか。そう強く望む毎日だ。
*
次の日、学校に登校して何時もと変わらない授業風景が流れる。表では穏やかのもので、女子間には何もトラブルが無い様に見えた。
しかし、南の方を注目してよく見ると、女子の動きが明らかに怪しいことに気付く。今、南に話しかけに行った女子だ。南が何か断りを入れると、その女子は元居たグループに帰って行き、陰口を始める。前々から見る光景ではあったが、裏を知ってしまうと意図が他にあることに気が付いた。
聞き耳を立てても周りの喧騒にかき消されて陰口を聞きとることは出来ない。聞こえていたら密かに話している意味も皆無なのだから当然か。
あ。
また、未来予知だ。
そのグループに所属している一人が、クラスに設置してある花瓶の水を交換すると見せかけ、南の傍で転んで冷えた水をぶちまけるという光景だ。
なんでこう、胸糞悪いものばかり見せるんだ。
本当にこの超能力使えねぇ。
すると、廊下から件の女子が花瓶を持って侵入してきた。
このままいけば、間違いなく未来の通りに時間は進むだろう。
僕は立ち上がり、消しゴムを床でバウンドするように投げる。
「ぁ……」
それを追ってしゃがみ込み、地面を這う。
数m先で人の足とぶつかった。
「ちょ……!?」
衝突した相手はバランスを崩し、手に持っていた花瓶はひっくり返る。下を向いた穴からは大量の水道水が排出され、生け花と一緒に僕の頭に降り注ぐ。びしょ濡れになった僕に追い打ちを掛ける様に上空からは花瓶が落下し、マイケル・ジョーダンも驚くほどに綺麗なダンクシュートを決めた。
「……」
こ、こんな仕打ちあんまりだ……。
「ちょっとあんた、なんでそんなとこにいんのよ!?」
「け、けけけけ、消しゴム……落とし、て……」
「前を見ろ!」
「ごご、ごめん……」
結果、僕が雑巾で掃除をする羽目になった。
地を無様に這いつくばる姿はまるでゴキブリだ。
ははは、笑えるね。
「なんで僕がこんなことを……」
「……なんか言った?」
「な、ななななんでも……ない、れす」
女子の圧力は強く、流石の僕でも抗うことは出来ない。
(……最悪だ)
僕の声は胸中で虚しく木霊し、誰に届くこともなかったとさ。
「はぁ……」
「サボるな」
「ハイッ‼」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます