第3話 北海道侵攻作戦
運河と倉庫。
朝の静謐な空気、人通りのないストリート。
私は三十五年働いた職場を定年退職し、現在はおしぼりの配送トラック運転手として働いています。今年で六十八歳になります。
何の因果か、開眼剤の適性が高かったため、こうして皆様のお役に立てております。ですが本心を申しますと、年金を貰いゆっくりと余生を過ごしたいと思っている次第です。
子供たちも独立し、昨年は孫も産まれました。これほど可愛いものとは思ってもみませんでした。ただ、お恥ずかしながら妻とは熟年離婚をいたしまして、今は一人暮らしをしております。慣れない家事にも持ち前のチャレンジ精神で取り組んでいるところです。
本日は列車に乗っております。小樽を出るのは久方ぶりです。転勤でこの地に赴任してきましたが、水が合ったというのでしょうか、定年後も小樽に住み続けています。
本日は「上司」の定期連絡がございますため、一路札幌の指定場所まで向かっている次第です。
しかし毎度思うのですが、なぜゆえ風俗店なのでしょうか。
臨時休業の札の下がったドアを押し開けると、照明の消えた待合室があります。壁に据え付けらた大型モニターの青い画面だけが煌々としており、奥の部屋から複数の女性の嬌声と男の笑い声が聞こえてきました。
「すみません、ただいま到着いたしました」
「こんにちは、どなたかいらっしゃいませんか」
かなり大きな声で問いかけますと、奥の方で静かにせんか、ちょっとまて、すぐ終わる等、声が漏れ聞こえてきます。ざわめきが収まると、待合室のモニターに「上司」の映像が出てきました。といってもロボットの上半身なのですが。
「いつも御苦労さまです。連絡端末は正常ですか」
「定時通信は正確に受信しております」
「いよいよ強襲無人機が札幌へ侵攻する可能性が高まりました。つきましては拡張剤、第二助剤を常時携行するように。えー、モニター前の……」
開眼剤は容易に変質してしまうため、任務直前に渡されると聞いていたので、時間が経っても果たして効果があるのかと考えていますと、奥から扇情的な衣装の女性が小さなケースを抱えてやって参りました。
「ケミカルはこれだってぇ」
私が両手で受け取ると、お爺ちゃんガンバってねぇとの声を残し戻っていきます。
「以上、定期連絡を終わる」
モニターが青い画面になりましたので、待合室を出ます。ドアを閉めるあたりで、奥の部屋からヒソヒソと何か喋る声が聞こえました。
あれから七日経ちます。ルートに従って、飲食店におしぼりを配達し、使用済みのものを回収していきます。海岸線を走っている時でした、空襲警報がけたたましく鳴り響きます。少し遅れて連絡端末に着信が。あわてて開眼剤を打ちますが、年齢のせいか効果が出るまでに時間がかかります。
「バンッ」フロントガラスが震えるほどの衝撃音が起こりました。
低空を高速で無人機が飛んでいきます。
だんだんと地面からスジが伸びているのが見え始めます。空にも沢山のスジが伸びています。
開眼剤によって地磁気と電流が見えるのです。正確に申しますと、ぼんやりと見えるというか、感じるのです。今日はなんだか大きな圧迫感を感じます。
「あと数分もかからず札幌上空に到達します。はい低空で北北西の方角から侵入してきます」
連絡端末での口頭報告はまどろっこしい。こんなに明確なことなのに、言葉では正確に綾なすところまでは伝えられないのです。
会社に言われるまま、各地を転勤して参りました。考えてみればずっと言われたことに唯々諾々と従ってきた人生だったと申せましょう。
本当の意味で私は何かを成し得たでのしょうか。自分で選んで生きて来たはずなのですが。
どうしても伝えなければいけないこと、本当に大切なことは伝えられたのでしょうか。私の中ではこんなにも明確なのに、最も大事なところは、妻にも子供にも何か伝えられたようには思えません。
札幌の方角からは電気の流れが弧を描く姿が感じられます。おそらく迎撃機が到着したのでしょう。空中戦が始まりました。
あぁ、こちらが本体なのですね。さっきのは囮ですか。
北の空で地磁気が歪み、大きな電流の塊が五つ、こちらに向かって来ています。
「小樽です。無人機五機が四、五分で小樽に到達します」
「間違いありません。磁気と電気の異様な乱れを感じています」
レーダーにも映らず、光学迷彩によって視認も困難な無人機があると聞いていました。
やがて僅かに風を切る音が聞こえ、上空に不自然な透明の歪みが五つ現れます。エンジン音が聞こえないところをみると滑空しているようです。
「完全迷彩機です。小樽です、小樽が危険です」
完全迷彩の強襲無人機から投下された、制圧部隊の撃破に約三週間かかりました。虫を思わせる無人制圧機の部隊は街を破壊せずに、正確に人々だけを殺戮していきました。私が暮らした街はひと月前とほとんど変わらぬ姿で存在しますが、そこにはもう誰もいません。生き残った数百名は軍に保護され避難してきました。
いま私は千歳の避難センターに身を寄せています。お役に立てなかったようです。
開眼剤の離脱症状の中、自分を責めるばかりだった私の前に、「上司」がモータ音をさせながら現れました。北見で襲撃の可能性があるとのこと。すぐに行って欲しいそうです。
今度はちゃんと伝えたい。感じてはいたのだから、どうにかして伝えたい。
本当に大事なことを、私は伝えたいのです。
「支度は出来ました。参りましょう」
私はベッドから立ち上がります。
まだやり残したことがありますので。
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