【非公開】7月23日 “蛍さん”の自己紹介

ー“蛍さん”に話し掛ける。


 そう決めて、コンサート終了後、君の前に突進した僕は、君が顔を上げて、僕と目が合った瞬間、


ーどう話し掛けたら良いんだろう。


 と、立ち止まってしまった。


 そんな僕の目の前に、君は座ったまま、真顔で僕に、自分のタブレットの液晶画面を突きつけた。


「私、“蛍”です。

 “たかむら”くん、ですよね」


 画面に表示されていたのは、“蛍さん”のワークスペース画面だった。

 

「…もしかして、読み方、“コウ”くん、ですか?」

 ついワークスペースに見入ってしまった僕は、慌てて君の言葉に頷いた。

 僕の名前は“高村たかむらコウ”。

 篁は”たかむら”のつもりだったけど、“コウ”でも、…正直、何でも良かった。


「すごい偶然ですよね。ネットで知り合った誰かに、偶然お会い出来ると思いませんでした」

 君は畳み掛けるように話続けながら、タブレットを閉じて膝に置いた。


「…余命一年と言われてます。

 よろしく」


 そう言って君は、手を差し出した。

 なんと返答すべきか分からず、僕は差し出された手を握り返すしか出来なかった。


 握った手の華奢さに驚いていると、真顔だった君はこらえ切れない、という様子で笑い出した。


 伝えられた事実の重さと君の理由不明の爆笑の意味が分からず、戸惑う僕に、君は目尻の涙を拭いながら言った。

「“コウ”くん、え、とかあ、しか言ってない!」

 確かにその通りだった。


 最初から、そうだった。君は、どうにもならない感情を、いつも笑顔でやり過ごしていた。

 あの時の涙は、本当に笑ったせいで流れたものだったのか。

 何かを笑いで誤魔化した結果、流れたものだったのか。

 君と過ごした日々を何度も何度も振り返り、そんな事を気にする僕は、ちっとも君を忘れる事なんて出来そうにない。


 あの華奢な手を、僕はきっと、永遠に覚えている。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る