【短編】幼馴染のねがいごとっ!

春野 土筆

幼馴染のねがいごとっ!

 ええ~、マジか……。

 スマホを見た俺は、思わず頭を抱えてしまった。

 これは、想定外。

 マジで想定外。

「翔太郎まで、なんでだよ……」

 恨めしさのあまりこの場にいない彼の名前を言って、そのまま机に突っ伏した。


【わりぃ、俺もちょっと用事で行けんようになった】


 祭りに行けなくなったことが軽く報告されたスマホ画面を眺める。

 当日に、それも3時間前に急に用事が入るってそんなのなしでしょ。

 てか、なんだよ「ちょっと」って。もう少し「行けなくて残念だ」的なオーラ出してくれてもいいと思うんだけど。

 仕方がないのは分かっている。分かっていても、行けなくなった彼への愚痴はとめどなくあふれ出してしまっていた。

 しかし、そうなるのも無理がないというもので。

 もうこれ、俺と亜須香しか残ってないぞ……。

 トーク画面をスライドして確認する。

 彼が言ってくるまでに、七夕祭りに行けなくなったメンバーが二人。

 本当は五人で行くはずだったのに、一人また一人と用事だなんだので抜けていって気がつけば一番行きたくないメンバーだけが残ってしまっていた。

 どうしよう、これ。

 たぶん、俺と亜須香以外のメンバーだったら二人で行ってもいいんだろうけど。チラッと亜須香の方を見ると、彼女は忙しそうに学級日誌を書いていた、というか唸っていた。

 そっか、今日あいつ日直か。

 10行書くのって結構だるいよな、と一瞬のんきに共感してしまうが、すぐに思考を七夕祭りに戻す。

 二人だけで行くか、それとも中止か。

 せわしなく唸っている彼女を見ながら一考する。

 彼女を見ているとずっと唸っているばかりだったので「ペンはよ動かせ」と思わなくもなかっ たが、まぁ放っておいてもいいだろう。

 中止かそれ以外か。

 逡巡して、俺は中止の選択をすることにした。

 理由は至極簡単だ。俺もあいつと二人ではあまり気が乗らないし、あっちだって俺と行くのはごめんだろう。お互い楽しくないのに七夕祭りに行くのは、マジで意味不明すぎる。それよりもお互いが自分の時間を有意義に使った方が良いという論理だ。

 まさにウィンウィンな取引で、断る理由はないはず。

 そうと決まれば、すぐに未だに唸っている彼女に伝えに行く。

「なぁ、亜須香」

「うっさいわねぇ!」

 早速。

 軽く声をかけたつもりだったが、思いがけず罵声を浴びせられる。そして罵声を浴びせた張本人は、整った相貌に似つかわしくない目つきで俺を睨み、今にも襲ってきそうな様子だ。

 声かけただけで何でだよ。

 これだから、こいつとだけは行きたくないだよな。

「い、いやっ、俺はただ話しかけただけで……」

「私は今、めちゃくちゃ悩んでいるの!」

 努めて優しく説明するが、彼女の迫力は何ら変わらない。その語気からもどれだけ日誌で悩んでいることが伝わってきた。

 だが彼女の手元をチラッと見ると、


【今日は特段何も――】


 という文言が。

 おいっ。

 あんだけ、うんうん唸っておいてそれだけしか書いてないのか。

 せめて7~8行書いたところで悩んでいるかと思っていたが、それ以前の話だった。

「確かに、悩んでるみたいだな」

「うるさいっ!あんたも一緒に考えなさい、暇でしょっ!」

 同情の眼差しを向けると、またもや彼女は噛みついてきた。

 矢継ぎ早に言葉を紡いでいく。

 これくらい文章もパッパ出てきたら苦労しないだろうに。

 でもまぁ、確かに暇なので一緒に考えてやろう。

「今日は……まぁそうだな。山本先生のありがたいお話があったじゃん。あれでも書いとけば?」

「えっ……どんなだっけ?」

「あれだよ…………美味しいお好み焼きの焼き方」

「あれねぇ、毎回思うんだけど何なの」

「知らん。ただの気まぐれだろ」

 そうねぇ、と言いながら、のそのそとペンを動かし始める。

「てか、相変わらずのクセ字だな」

「あー、ホントうっさい」

 左手を耳に当てて、さらにうるさいアピール。

 これは書き終わるまで黙っていた方が良いな。俺が何か喋ろうものなら、文句や暴言を言ってくる彼女を温かい目で見守ることにする。

 触らぬ神に祟りなしだ。

 あいも変わらずゆっくりとしたペン捌きで日誌を埋めていく亜須香。

 性格はこんななのに字は可愛いんだよな、こいつ。

 彼女と文字とを見比べる。

 そこに書かれた字の一つ一つは決して上手ではないものの、女の子らしい丸文字に彼女独特のクセが入ったものだった。何というか、例えるならゆるフワ癒し系女子が書きそうな字。

 性格もこんなだったらいいのに、と現実の無常を一人嘆いていると。

「山ちゃんネタで5行稼げたわね」

 いつの間にか最低ノルマの半分まで書き終えていた。

 満足そうに口の端を上げる。

 あと半分だ、頑張れ。

 応援する気持ちで彼女を見ると、新たなネタを期待する眼差しを向けた彼女と目が合った。

「早く、次の材料を教えなさい!」

 どうやら彼女は思考することを諦めたらしかった。


     ※


「終わった~‼」

 それからしばらくして。

 10行目を書き終えた亜須香は、日誌をデーンと上に掲げた。

 達成感からか、瞳がキラキラと輝いている。

「お疲れ」

「ふふっ、やっぱ私ってやればできる子なのよ」

 ねぎらいの言葉をかけると彼女は顎に手を当て、自分に酔いしれ始めた。

 あ~あ、何てわかりやすい。

 上手い話題が見つかってないときは、「うっさい」とか暴言を吐いてたやつには見えない。笑顔を見せる彼女に少しうんざりしながらも、適当に「はいはい、そうだな」と肯定しておく。

 実際には、内容の8割は俺のアドバイスだということはそっと俺の胸にしまって。

「それじゃあ、私帰るわね」

 ふふ~ん、と鼻歌交じりに帰り支度を始める亜須香。

「あっ、そうそう」

 危ない。

 彼女の日誌に付き合わされたせいで、本来の目的を忘れる所だった。

「翔太郎も行けんようになったらしい」

 たぶん亜須香は日誌に追われていたせいで知らないであろう衝撃の事実を彼女に報告する。急に伝えられる重要事項。

 彼女の驚く顔が見えるかと思ったのだが。

 そんな俺の期待(?)とは裏腹に、亜須香は「へ~そうなんだ」というような軽い反応をした。

 亜須香、お前もか。

「へー、そうなんだ」

 直後、ほんとに言いやがった。

 お前らには何か、もっと驚くとか残念がるという気持ちはないのか、と彼女の反応にも不満を覚えながらも、俺は構わず言葉を続ける。

「もう二人だけだし、行くのやめようと思うんだけど」

 一応、提案という体を取りながら、彼女の了解を取っておく。

 たぶん彼女も「そうね、あんたと二人なんてごめんだわ」といって了解してくれるだろう。いつも俺に突っかかってくる彼女の答えなんて目に見えている。

 何か地雷を踏んだ記憶もないんだけど。いつ頃からか俺を跳ねのけるようになった幼馴染の返事を待った。

 すると亜須香はすぐに口を開き。

「行くわよ」

「分かった、それじゃあ――――えっ?」

 答えありきで話を進めようとしていた俺は、思わず聞き返してしまう。

 今、行くっていったか?

 そんな訳ないよな?

 ――何かの聞き間違いかと思ったが。

「だから、行くって言ってるのよ」

「で、でも……俺達だけだぞ?」

「いいじゃない。それとも、なに……あんたは私と行くのは嫌だっていうの?」

 うん、嫌だ。

 そう言えない、というか言わせない睨みを利かしてくる。

「でもそれって、デー…………」

「もう一度聞くわ。私と行くのは嫌だっていうの?」

「い、いや、そういうわけじゃ………………」

「じゃあ、何も問題ないじゃない」

 思いのほか行く気満々な彼女に気圧される。

 俺の狙いとは裏腹にトントン拍子に行く方向で話が進んでいった。

 亜須香の予想外の反応にこちらも若干気後れしていると。

「もしドタキャンしたら許さないんだからっ!」

 ビシッと俺を指さして釘を刺すと、彼女は教室を後にした。

 


      ※


 爽やかな風がなびく河川敷。

 時計を見ると、時間は七時を指そうとしている。

 だが、彼女が来る気配はなかった。

 俺にはドタキャンするなと言っておきながら、自分は普通に遅刻か――と、遅れてくる彼女に少しばかり呆れ始めていた頃。

「お待たせ」

 堂々とした声と共に人ごみの中から亜須香が現れた。

走ってきたのか頬はわずかに上気し息を切らしている――だが、それよりも俺の目を引いたのは。

「ゆ、浴衣か…………」

 目の前に現れた彼女は、咲き乱れる朝顔が鮮やかに描かれた華やかな浴衣に身を包んでいた。そして髪型もいつものツインテールとは異なるお団子ヘア。

 いつもの暴言暴力女とは一線を画すその装いに、思わず凝視してしまう。

 鮮やか浴衣を身に纏った彼女はそんな俺の態度に不満そうな顔を見せ。

「な、なによっ。何かおかしなとこがあるんなら言いなさい!」

 腰に両手を当て、見上げるようにして詰め寄ってきた。

「な、なんでもないから」

 俺は咄嗟に言葉を濁し、視線を彼女からはずす。

 浴衣を着てきた亜須香に一瞬だけでも見とれてしまっていたなんて冗談でもいえるわけなかった。もし言えたとしても、「変なこと言うんじゃないわよっ」と蹴りの一つか二つ飛んでくるかもしれないし。

「ふーん………まぁ、いいけど」

 彼女は俺の反応に少し不満そうにしつつも、それ以上言及しなかった。

「で、今日はどうするんだ?」

 すかさず話題を変える。

 すると彼女は「待ってました」と言わんばかりの得意げな笑顔を見せ、何かをポーチから取り出したかと思うと、高らかに宣言した。

「今日、回ろうと思うのをチェックしてきたの!」

 そうやって見せたのは、七夕祭りのパンフレットだった。

 ただのパンフレットではなく、主なイベントや企画にチェックがつけられている。

 祭りのパンフレットなんて、ちゃんと見たことなかったな。見てみると、色々なイベントや企画が開催されており、中でも亜須香が赤で何重にも丸が付けられた『大笹に願いを掛けよう!』という企画が目についた。

「この祭りって色々目白押しじゃない。だから、行きたいところをチェックしたのよ」

 パンフレットを眺める俺に「どう、準備万端でしょ?」とドヤ顔を見せる亜須香。

 道理で是が非でも行きたかったわけだ……。

 放課後の鬼気迫るやり取りにも納得がいった。

 こんなに準備にしてたのに、それを一人で回るなんて悲しいもんな。

「この……『大笹に願いを掛けよう!』っていうのは何なんだ?」

「ああ、これ!友達に聞いたんだけど、願いが叶うって有名らしいわ。まぁ、そんな願いが叶う云々より、一番七夕っぽいし行くのもいいかなって」

「最初はここにするか?」

「そうね、じゃあそうしましょ!」

 俺からの提案にすぐに同意する。

 いつもなら「はぁ?あんたに提案する権利なんかあるわけないでしょ」とかなんか言って噛みついてくるだろうに、今日はなんだか優しいな。

 もしかしたら七夕祭りにテンションが上がっているのかもしれない。

「じゃあ、行きましょ!」

「お、おう」

「ほら、早く!」

 まだ気持ちが乗らない俺を尻目に。

 光り輝く天の川の下、亜須香ははじけるように破顔した。


     ※


「これが、大笹か……」

 俺たちの目の前には、どこで採ってきたんだ、とでもいうような通常サイズの五倍はあろうかという巨大な笹が設置されていた。まだ祭りが始まって時間もたっていないはずなのに、既に多くの短冊が結び付けられている。

 さすが有名なだけあって人気も高い。

「私たちも書きましょ!」

 その光景に圧倒されながらも、亜須香に促されて短冊に思い思いの願い事を書き始める。こうやって短冊に願いごとを書くのは、小学生以来だ。

 もしかしたら、中学生の頃から溜まりに溜まった願い事があふれ出して一つに絞れないかも――なんてのんきにペンを握ったが。

「うーん……」

 大人に近づいたということだろうか。

 それとも俺の頭が固いだけなのだろうか。

 すぐに良さげな願い事が思いつかず、唸ってしまう。

 世界平和……なんてそんな壮大なこと書けるほど俺は純粋じゃないし。

「あ、亜須香は何を――」

「見るんじゃないわよっ!」

 参考にしようと彼女の方を覗き込むと、亜須香は自分の手元を隠して俺に短冊を見えないようにした。

 それだけではなく、腕を伸ばして俺を遠ざける。

「えっ……なんで?」

「何で……って、そりゃあんたに願い事を見られたくないからに決まってるからでしょ」

「……俺に見せられないような願いなのか?」

「そっ、そんなんじゃ…………いいからあんたも自分の書きなさいっ!」

 俺からの追及に誤魔化そうとする亜須香。

もしやこいつ、【将来、こいつが私の下僕になりますように】とか書いてるんじゃないだろうな。いや、亜須香ならあり得る願いだ。

 そして、実際にあり得そうだから、これまた恐ろしい話で。

 怪訝な瞳を彼女に向けながらも、自分の願い事に取り掛かる。

 うーん、何でもいいんだろうけど、願いが叶うって有名なんだよな。

 そんな占いとかを特別信じるタイプでもないが、願いが叶うと言われてしまえば慎重になるのが人情というもので。

「まだ書けてないの?」

「えっ…………ああ、まぁ」

 いつの間にか亜須香は短冊を書き終えたようだった。

 手持ち無沙汰なのか、書いた短冊をゆらゆら上下に揺らしている。

 俺の手元が空白なのを確認すると、

「早くしなさいよね。屋台も回りたいんだから」

 と少しあきれたようにため息をついた。

 日誌の時とは全く逆の立場だな。

「亜須香は何を――」

「だ、か、ら、あんたに見せるわけないでしょ!」

 短冊を奪い取ろうとするが、亜須香はさっと自分の背中に隠し。

「べー」と軽く舌を出したかと思うと、自分の書いた短冊を大笹に結びに行った。わざわざ裏まで行くとは、かなり警戒している。

 相当、俺に見られたくないらしい。

「それじゃあ……」

 彼女がいなくなったところで俺は願い事を書くことにした。

 マジックで勢いよくその願いを短冊に書いていく。

 その内容は、


【幼馴染が優しくなりますように】


 切実&急務な願い。

 こんな大事な願いがあることをすっかり忘れていた。

 思い出させてくれた亜須香には感謝である。

 どうか、この清廉潔白な私の願いをかなえてくださいませ。

 お祈りをしながら短冊を笹に結びつけに行く。

 ちなみに、俺も亜須香と同じく大笹の裏に結び付けようとしたのだが、「行っちゃだめよ」と亜須香に黒い笑顔を向けられ&腕を掴まれたので、別の箇所に結びつけることになった。

 早速、俺の願いは却下されたらしい。

「あんたはどんな願いにしたの?」

 さっきの笑顔とは打って変わり、亜須香は興味津々に尋ねてきた。

「お前が教えたら、教えてやる」

「仕方ないわね、教えてあげるわ。私の願いは、世界平和よ」

 お前…………思考が俺と一緒なのな。

 少しあきれて、ため息が漏れ出てしまう。

「ウソつくなよ」

「はぁ⁉即答でウソとかどんだけ失礼な奴なのよっ!」

 いや、だって事実だろ。

 短冊にまでそんな純粋な願い事を書くのは、優しい心を持った子どもと相場は決まっているんだ。

 お前が世界平和とか百年早い。

 てか、世界が平和にする前に俺を平和にしてくれ。

 すると亜須香は屋台を指さした。

「失礼なことを言ったお詫びとして、あそこのりんご飴を驕りなさい!」

「いや、なんでだよ。だってウソだろ、その願い」

 いきなり世界平和が崩れたな。

 俺からの真っ当な抵抗にぐぬぬ……と悔しそうに言葉に詰まる亜須香。

 変なとこで正直だよな、お前。

 そんな彼女の態度に一瞬好感を持ったのだが。

「世界平和かどうかなんて、もうどうでもいいでしょ!いいから早く私にりんご飴を驕りなさい!」

 やはり亜須香は亜須香だった。

 世界平和をあっさり無視して、自らの欲望のために突っ走りやがったのだ。そんな彼女の態度に、そこまでりんご飴食べたいなら自分で買えよ、と若干呆れてしまう。

 そしてりんご飴を食べたい亜須香は、勢いだけで奢らせる作戦に打って出たらしかった。驕れの大合唱で俺にりんご飴を奢らせようとする。

 だがな、亜須香よ。

 俺が勢いだけでお前に驕る訳と思うなよ。

 彼女の舐めた態度に俺の中でふつふつと怒りがこみ上げてくる。

 日頃の恨みも返せるチャンスなような気がした。

 今日という今日は窮鼠猫を噛むってところを見せてやる…………なんか喩えがおかしいような、悲しいような気がするけれど。

「俺は嫌だからな」

 俺は堂々と彼女に言い返してやった。


     ※


 それから数分後。

 場所は飲食スペース、といってもただベンチが並べられている大笹の横。

「……おいしいか?」

 一帯に甘い香りが漂う中、りんご飴をペロペロ舐める亜須香を眺める。

「ありがとう、驕ってくれて」

 チラッとこちらを見て、亜須香はフフンと鼻を鳴らした。

 なんで…………なんでこうなった。

 話は数分前。

 目には目を歯には歯を、勢いには勢いを。

 ハムラビ法典に忠実に従い、俺も勢いで押し切る作戦に出た。驕れ驕れとただその言葉を繰り返す彼女にロボットのようにこちらも「いや」という言葉を繰り返す。そうすればどっかで彼女の方が根負けして諦めてくれると思っていたのだ。

 しかし、しばらく粘った後。

 亜須香はいきなり「驕らないで」と言葉を変えてきやがったのだ。そしてそんな急な変化に俺は対応できる筈もなく。

 あっけなく彼女の罠に引っかかった結果がこれである。

 俺はジェリーではなく、トムの方だった。

「あんたは買わなくてもよかったの?」

 人に驕らせといて、お前が言うな。

「俺はいらねぇよ」

 ジトっとした目を向け、拗ねたように答える。

「あら、そう。ならいいけど」

 何がいいんだ。

 食べるとしても、結局は俺の金じゃないか。

 自己中な幼馴染にうんざりしながらも、彼女の食べる姿を眺める。

 亜須香は無言でりんご飴を齧っていた。ハムスターがヒマワリの種を食べるみたいに、少しずつ少しずつ口に運んでいく。

 そしてシャリシャリと齧るたびに、甘い香りがフワッと鼻をかすめた。

 いつもは「栗なんてイガごと食べてやるわよ」と言わんばかりのやつなのに。

 静かに食べるその姿にギャップを感じてしまう。

 普通に可愛いところもじゃないか。

 でも驕らされたということは、俺の願いは全然叶ってない。

 やっぱり、「願いが叶う」なんてただの迷信だったか……。

 はぁ、とうなだれる。

「どうしたのよ?」

「ああ、いや……」

「やっぱりりんご飴が欲しくなったんじゃないの?」

 うーん、そんなにりんご飴を食べたいわけじゃないんだけど。

「はいっ、一口あげるわ」

「ん、んんっ⁉」

 黙っていると、亜須香はりんご飴の自分が齧っていない側を差し出てきた。

 これはどういう風の吹き回しだ。

 亜須香が俺にりんご飴を分け与えようとしてくるなんて。

 織姫と彦星が落ちてくるんじゃないか。

「なによ、食べないの?」

 一向に齧ろうとはしない俺に、グイグイと俺にりんご飴を近づけてくる亜須香。

 いつもなら「くれ」と俺が言っても死んでもくれないだろうが。

「い、いや……俺はいいから、亜須香食べろよ」

 りんご飴を亜須香に押し返すと、

「そ、そんなに私が食べたものは…………いや?」

 急に不安そうに眉を下げる亜須香。

 いつもの亜須香らしくない、子どものような純粋な声だった。

 まるで甘えるように、ねだるように。

 お願いを聞いてもらえない子供のような亜須香は可愛らしい純粋な瞳を向けてくる。

 あ、亜須香……。

 彼女のそんな態度に、不思議と後ろめたい気持ちになってしまう。

 そんな目をされたら、断れないだろうが……。

 う、ううっ…………としばらく彼女と視線を絡ませた後。

「た、食べるからっ!」

 根負けした俺は半ば投げやりな感じで彼女の言うことを聞いた。

 すると。

「じゃあ、食べなさいっ!」

 亜須香は待ってました、といつもの声音に戻って再びりんご飴を顔に近づけてきた。

 はかりやがったな、亜須香…………。

 お前の純粋さを信じたのに。

 悔しさに満ち溢れた瞳を向けると亜須香は軽く笑って。

「引っ掛かる方が悪いのよ。はい、あーん」

 りんご飴を目前まで近づけてきた。

「自分で食べれるから…………」

「いいから口を開けなさい」

 棒を持とうとすると、亜須香はそれを離そうとしなかった。

 仕方ない……いう事を聞いてやるか。

「分かったよ。あー……わっ、や、やめろっ!」

 彼女の言う通り口を開けると、亜須香はりんご飴を鼻にベタっとつけてきた。

 文字通り鼻いっぱいにりんご飴が広がる。

「フフッ、引っかかったわね!」

 たぶん彼女からは赤鼻のトナカイのように俺が映っているのだろう。

 愉快そうにケラケラ笑った。

 いや、これ引っかかったんじゃなくて引っかかりに行ったから。お前が何を企んでるのか、口を開ける前からもう分かってたから。

 ほんと、子どもかよ。

 ダチョウ倶楽部ばりのお決まりを徹した自分を自分で称賛しつつ、彼女が手渡してきたおしぼりで顔を拭く。

 ほんとこれ、俺に何のメリットがあるっていうんだ。

 彼女は俺を弄んで楽しそうだけど。

 短冊に書いた俺の願いも少しはかなえてほしいものだ。

 と言ってもたかが短冊。

 半ば諦めつつ、テンションの高い亜須香から視線を切って夜空を見上げていると。

「おい君、これ落としたぞ?」

 突然、声を掛けられる。

 ビクッとして声のした方を見ると、そこには白髪頭のおじいさんが俺に短冊を差し出していた。

「えっ…………いや」

「ほれほれ。早く受け取らんかい」

「あっ……はい…………ありがとうございます」

 いきなりの状況に困惑しつつ、訳の分からないままおじいさんの言う通り短冊を受け取った。するとおじいさんは満足そうに頷くと、何も言わずその場を後にした。

 その背中を、何だったんだと思いつつ見送った俺は、手渡されたものに目を落とした。それは何の変哲もない短冊で。

 どうしようかと思ったが、でもまぁ受け取ったのならしょうがない。

 隣だし、代わりに大笹に結んどいてやろう。

 そう思って何気なしに短冊に書かれた願い事に目を通した。

 えーと……なになに。

【今日のデートが上手くいきますように♡】

 うわっ……甘っ。

 そこに書かれてある内容に思わず絶句してしまう。

 あのじいさん、これのどこに俺の書いた願い事の要素があると思ったんだ。どうみてもゆるフワ癒し系女子が書いたラブラブ渋滞の願い事だぞ。

 俺は今からこれを吊るしに行くのか……。

 訳が分からないくらい甘い短冊に思わずげんなりしてしまう。

 にしても……と短冊に再び目を落とす。

 いいな、これ書いたやつ。

 初めてできた彼氏との初めてのデートとかなんだろうな。どうせ今頃、二人きりの楽しく甘い一時を過ごしているに違いない。

「どんな願いが書かれてたの?」

 俺が短冊に嫉妬していると、亜須香もどれどれと手元を覗き込んできた。

 お前も人の願いに興味あるのな。

「うーんと…………今日のデートがうま……………」

 わざわざ読み上げなくても。

 そう思って彼女を見ると亜須香は瞠目して言葉を失っていた。まるでそこだけ時が止まったように、亜須香は短冊を見たまま動かなくなってしまう。

「あ、亜須香…………?」

「………………」

「おいっ、大丈夫か?」

「……………………な、なんでっ」

「……えっ?」

「…………なんでっ、これがここにあるのっ⁉」

 刹那の沈黙の後。

 それまで固まっていた亜須香は突然、発狂した。

 困惑する俺をよそに亜須香は一人慌てふためいている。

 き、急にどうしたんだ。

 彼女をなだめようとすると、いきなり彼女は俺から短冊を奪い取ろうとしてきた。

「そ、それを、よこしなさい、早く!」

「な、なんで⁉」

「なんでって…………そ、そんなのあんたに関係ないでしょ‼」

 彼女の豹変ぶりに困惑する俺をお構いなしに、亜須香は死に物狂いで短冊に手を伸ばす。心なしか頬が赤く染まっていた。

「きゅ、急にどうしたんだよっ?」

「ど、どうもしてない、わよっ…………だから早くそれをっ……!」

 必死の形相で俺を睨む亜須香。

 だが、俺もそう簡単にこれを取られるわけにはいかなかった。さっきまで楽しそうに俺を弄んでいた彼女がこうも豹変した理由を突き止めなければならない。

 彼女の攻撃を交わしつつもう一度短冊に目を通す。

 だが。

「わ、分からねぇ…………」

 亜須香は何に焦ってるんだ。

 こんなの、お前に焦る要素なんてな…………。

 その時、短冊に書かれてある字に目が留まった。

 それはゆるフワ癒し系女子が書くような可愛らしい丸文字にどこか独特な筆跡が混じった字だった。そしてその字は、今日の放課後に頭を悩ませていた幼馴染が書いていた字に筆致がよく似ていて。

 そういうことか。

 彼女が血相を変えた理由がやっと分かった。

「早く…………渡しなさいっ!」

「ほらよっ」

 理由が分かって彼女に短冊を手渡す。

 そして、短冊を受け取って安堵している彼女に直接尋ねた。

「…………それって」

「べ、別にっ…………あんたとのことじゃないんだからっ!」

 問いかけにすぐさま反応して声を荒らげる亜須香。

 そんなこと聞いてないだろ。

 てか、お前が俺と出かけたのをデートだと思わないことくらい、俺にだって簡単に分かるって。日頃の行いから、どうやってその考えに至るんだ。

 そうじゃなくて。

「お前が書いたやつ………なんだよな?」

「そ、そうなら…………………何だっていうのよっ」

 いや…………可愛いなって。

 亜須香、めちゃめちゃ女の子してるなって。

 珍しく恥じらう素振りを見せる彼女に図らずも胸が高鳴ってしまう。口調は変わらないのに、俺を見つめる瞳はいわゆる恋する乙女のそれで。

「亜須香にも好きな人…………いるんだなって」

「は……はぁ⁉そ、そりゃ…………い、いるに決まってるじゃないっ!」

 俺の一言ひとことにいつも以上に敏感に反応する。

 いるに決まってるって…………そうなんだ。

 好きな人が、もちろんいるんだ。

 図らずも彼女の発言に意外性を感じてしまう。いつも突っかかってくるイメージしかない彼女が恋をしているというのは、何だか新鮮だった。俺と話しているときは、そんな素振りは一寸たりとも見せていなかったから。

 でも、まぁ普通は見せないか。

 表情を盗み見ると、亜須香は頬を赤らめて気まずそうに俺から視線を逸らしていた。

 それを見て、ちょっとした罪悪感に襲われる。俺が願い事を見たばっかりに、こんな事になってしまった。

 悪気はなかったとはいえ、俺にこんな願い事見られたくなかったよな。

「……悪い、何か驕るわ」

「ど、どういう風の吹き回し…………?」

「い、いやっ…………短冊見てしまったお詫びと………………あと……デート頑張れ的な?」

「………は……はぁ?」

 俺の言葉に何故か亜須香は腑に落ちないような顔をした。

 なんでだよ。

 まぁ確かに余計なお世話かもしれないけど。

「デート、上手くいくといいな」

 いつもは牽制しあう仲だけど、こんな時くらいは幼馴染として一応のエールを送ってやるのもいいかもしれない。

 敵同士だからと言ってずっと睨み合うのも良くないだろう。

 だが。

「…………う、上手く、いってるわよ……」

 亜須香はばつが悪そうにそう呟いた。

 上手く、行ってる……?

 そのことに違和感を覚えた俺はその言葉を口の中で反芻する。

 な、なぜに現在進行形なのだろうか。

 これじゃあ…………まるで。

「えーと……」

 亜須香は相変わらず俺の方を見ようとはしない。

 一つの可能性に俺が気づき始めたとき。

「あ、あんたとの…………デート………た、楽しんでるわよっ………」

 チラッと上目遣いになった亜須香は、唇を若干尖らせてそう言った。少し緊張した面持ちの彼女から発せられたその言葉に思考が停止する。

 もしかしたら――という考えが頭をよぎっていた。しかし、実際に亜須香にそのことを言われて、彼女が何を言っているのか理解できなくなってしまう。

 考えが上手くまとまらないまま。

「…………お、俺とっ……⁉で、でででもっ、さっき――」

「そ、それはっ………………咄嗟に口走っちゃっただけでっ…………」

 そこまで言って、亜須香は「う、うぅ…………」と声を漏らし耳まで赤くして項垂れてしまった。そんな彼女を俺は茫然と眺めてしまう。

 こんな亜須香を見るのは初めてだった。

 いつもは「うるさい」だの「あれをしろこれをしろ」だの、俺に対して何かと言ってくる彼女の、顔を真っ赤にして黙りこくっている姿は。俺が知っているのと正反対な彼女に図らずもギャップを感じてしまう。

 だけど不思議とそんなに違和感はなかった。

 いつもと180度違うはずなのに、全くの別人と言ってもいいはずなのに、純粋に目の前の彼女を可愛いと思ってしまう。いつもは照れと無縁の世界にいる彼女が、今は思いっきり頬を赤らめて言葉も発せないでいる――そんな姿に思わず。

「………………か、可愛いな」

「……は、はぁ⁉」

 心の声が漏れ出てしまった。

 それを聞いた亜須香がすぐさますごい目つきで俺を見てきた。

 地雷を踏んでしまったのかもしれない。

 その視線に気圧されていると。

「そ、それっ、ほんと…………嘘じゃない……わよねっ……?」

 早く答えを求めるような、そんな口調で亜須香は俺が言ったことの言質を取ってきた。鋭い視線の奥にある潤んだ瞳が真っすぐにこちらを見つめて離さない。

「ほ、ほんとだって…………か、可愛い……よ?」

 まさかの質問に、こちらも歯切れ悪く答えてしまう。

 頬が熱い。

 まさか彼女に「可愛い」という日が来るなんて夢にも思わなかった。

 すると亜須香は、ホッと胸を撫で下ろして。

「よ、良かった…………もう蓮に嫌われてるって……思ってたから…………」

 独り言みたいに小さな声で。

 本当にほっとしたように、亜須香は言葉を漏らした。

 思わず息を飲んでしまう。

 ここに来たときは乗り気ではなかったことが嘘だと思ってしまうくらい、彼女から目が離せないでいた。

 逆に、もっと彼女を見ていたい――そんなことまで思ってしまう。

 その視線に気づいた亜須香は眦を吊り上げて。

「な、なにジッと見てるのよっ⁉」

「い、いやっ…………ご、ごめん……つい」

 いつものように声を荒らげるが、それ以上追及するようなことはせず。

 謝る俺に、目を閉じ軽く呼吸を整え。

「それじゃ…………そ、そのさ…………デ、デートの続き……してくれる?」

 恥じらいの残る口調で、そっと亜須香は左手を差し出した。

 その手を取って。

「えっと………は、はい?」

「な、なんでっ、よそよそしいのよっ!」

「いや、何となく?」

「もうっ……………それじゃあ罰として、たこ焼き驕りねっ!」

「え~~…………」

 やっぱり優しくない……。

 結局俺に奢らせようとする彼女にため息をついていると、亜須香は俺の手をギュッと握って、「半分あげるからっ!」と相好を崩した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【短編】幼馴染のねがいごとっ! 春野 土筆 @tsu-ku-shi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ