人工妖怪

枝林 志忠(えだばやし しただ)

第1話 人工妖怪

『ながき世のとをのねぶりの』 

————————————百鬼徒然袋・宝船・巻之上/鳥山石燕・天明4年

『みなめざめ波のり船のおとのよきかな』

————————————百鬼徒然袋・宝船・巻之下/鳥山石燕・天明4年


 「水野ついに出来たぞ!」

 研究棟の一室で休憩していた俺の所に、同僚の磐田が駆け込んできた。時刻は深夜2時を回っていたが、蒸し暑く、研究棟内のエアコンは壊れていたため眠れずにいた。急に磐田が部屋に入ってきたときは、一瞬驚いて読んでいた書物を落としそうになった。もっともやましいことは何もしておらず、していたことといえば妖怪画「百鬼徒然袋」に描かれた七福神と化け物が描かれた絵を見て空想に耽っていたぐらいなのだが。


「そんな空想上の本ばかり読んでないで早く来いよ」と磐田は俺を急かした。


 俺は少しだるそうに「今作っているものも妖怪みたいなもんじゃないのか。それに俺が今見てたのは妖怪じゃなくて七福神だ。この文は回文になっていてなあ・・・。」と説明している途中で、「こっちはそんな空想なんかじゃないぞ。とにかく、早く来い!」と話を遮られた。

 すぐさま、俺は脱いでいた上着を手に持ち、磐田と共に研究棟の隣にある特殊実験棟に向かった。まあいい、なんだかんだ言って俺も出来たと聞いた時には、少し胸が躍るような気持であった。やっと目標に一歩近づいたという気持ちになった。

 特殊実験棟に向かう途中、外廊下から外の景色が見えるのだが、何とも不気味であった。荒れ狂う風により左右に揺れる木のシルエット、同心円状の波紋を拡げる池の水、点滅するLED街灯。何だが、俺たちはとんでもないことをして、変な世界に入ってしまったのではないかと感じたが、すぐに、出来たものに対する好奇心の方が勝り、すぐにどうでも良くなってしまった。

 俺たちは、入棟許可証に記載されているバーコードを特殊実験棟の入り口にいる守衛用AIに読み取らせ、続けて指紋認証・顔認証をしてもらう。そして、「関係者以外立入禁止」との前に書かれた特殊実験棟の地下203号室の前で再び指紋認証をした後、シャワーを浴び、室内専用の服に着替え、中に入る。俺は、実験器具が置いてある部屋を通り抜け、突き当たりにある走査型電子顕微鏡がある室内に迎えられた。本当は、俺たち二人以外にも研究員がいるが、当番制で出入りしているため、今日は来ていない。


「それで念願の妖怪じみたウィルスはどの試験官に入ってるんだ?」


「Yのラベルが貼られたやつだ。」と磐田は手にゴム手袋を嵌め、Yと書かれた方の試験官からピペットで試験管内の液体を少し吸い上げた。その後、走査型電子顕微鏡のステージに固定し、真空チャンバー内に入れた。

 ウィルスには、ナノスーツ処理してあるため、真空内でも生きた状態のまま走査型電子顕微鏡で高解像度で観察できるようになっている。俺は、PC画像処理によりモニタに映し出されていた白黒のウィルスをじっくりと眺めた。それは、細菌に感染するバクテリオファージのような形をしていた。試料を乗せたステージを動かし、他のバクテリオファージの形も見てみると、頭部のカプシド部分がよく知られている正二十面体のものもあれば、正八面体、正十二面体、正六面体、正四面体といった複数種の多面体のカプシドも見られた。尾部は、鞘の部分が二重螺旋になっており、鞘の上下に工具で使うナットのようなものがくっつき、そこから足が何本も出ている形だった。この今見ている人工ウィルスが、資産を動的なものに変える役割を持つとは信じられない。

 俺がウィルスに魅入っていると、ある疑問が浮かんだ。


「あれ、これが資産を動的なものに変える役割を持ってるとどうして分かったんだ?」


「さっきこのウィルスを小石に触れさせたら小石が変形して動いた。」


「はあ!?」


「激しくは動いてなかったけど。このウィルスが入っていた試験管も自分で動いたのよ。触れているものなら何でも流動性をもたせてから、遺伝子を内部に注入するらしい。多分、内部では子ファージがいて、そいつらが動かしているんだろうけど。」


「じゃあ、今使用している電子顕微鏡とかも動いちゃうじゃないか。触れているんだから。」


「いや、なぜかナノスーツとか試薬品を施したものは大丈夫みたい。」


「そ、そうか。改めて言うけど、本当に出来たんだな。」


 資産を動的なものにさせる計画『付喪神プロジェクト』を進めてから七年経過した。このプロジェクトが打ち出された当初、西暦30XX年の日本は散々たる現状であった。少子高齢化による人口減少が加速し、生産年齢人口が約6千人、高齢者人口は約9千人まで減少した。各市町村の農地・森林の手入れや交通インフラ・社会インフラの管理が行き届かなくなっていた。国土の農地は約400万haまで減少、森林は約8割が手入れされず、道路橋、トンネル、ダムといったインフラは約9割が耐用年数を過ぎ半壊していた。

 そこで、国土交通省及び農林水産省は、農地・山林は農地中間管理機構や山林バンクで、農地・山林の集積や貸し出しの仲介を進め、耕作放棄地や手入れされていない山林の活用を促そうとした。インフラに対しては、AIやドローンを使用して、効率的な老朽化防止・延命策を検討した。しかし、どちらも財源・人材不足だったため、遅々として進まなかった。

 他国から人をかぎ集めて、地方に住まわせ働かせるような形で管理したらいいのではないかという考えもあったが、一時的な対処にしかならないという理由で却下された。ちなみに、東京、札幌、仙台、広島、福岡は、人口増加率が他県より大きかったため、なんとか資産の管理を維持することができた。

 この『付喪神プロジェクト』が始まったきっかけは、政府が重要政策会議を開いた際に、「物に魂が宿ると動き出すっていう妖怪だの付喪神だの話があるじゃないの。そんな感じみたいに土壌とか山林、インフラ自身が自分の体の手入れをした方が楽なんだが。」という冗談交じりの意見を総理大臣がボソッと言ったからである。当然、各業界・野党から「そう出来たらいいのだが無理だろ!」「そんなことは馬鹿げてる!」と忽ち罵詈雑言の嵐になった。

 しかし、打つ手がなくなってやけくそになっていたのだろうか。「ものは試しに、やらないよりはましだろう。」「もう常識が通じない時代なんだ、何やったっていいだろう。」という賛成意見が徐々に出始め、驚いたことに全員がこのプロジェクトを実行することに賛同してしまったのである。

 では、それをするにしても誰がやるのかという話になった。まだ誰もが関わったことがない領域であるため、どういった分野で、どこの研究所が取り組むべきなのか皆目見当がつかなかった。そこで、こういったことは、あらゆる分野に精通した奴が良く、空想に耽る奴がやってみたらどうだろうかという話になった。その後、異例であるが、農林水産省と国土交通省の二つの省の施設等機関に国土向上推進研究所という新しい研究所が設置され、この研究所に配属・採用された研究員5名が先導してプロジェクトを進めることになった。

 

 ちょっと話がずれるが、俺が国土向上推進研究所にいる理由は、農業大学卒で何か変わったことをやりたいと思い、面白半分で採用試験を受けてみたところ、どういうわけか受かってしまったからである。同じ農業大学出身で早期卒業した磐田とは、別の研究所から配属になり、今回所長になったらしく、久々に出会ったという形であった。

 

 話を戻す。資産が自分で動くようにするためにはどうするか、研究員5名で会議を開き、多くの案を出したところ非生物と生物の境界線で活動しているウィルスを用いるのが適しているのではないかということになった。ただ、ウィルスの遺伝子を組み替えて使用するにしても、よく知られているウィルスを用いるのはやめにした。なぜならレトロウィルスやアデノウィルスといったウィルスの遺伝子を操作して人に無害な、人間に都合の良いような僕とするような実験は今まで行われてきていたが、自然界で自己増殖し続けると歯止めが利かなくなり危険であるからだ。そのため、人工的に無害なウィルスを一から作るという方向に話が進んでいた。


「なあ永井ィ、器物が長い年月を経ることで精霊が宿り、付喪神となる。その精霊を作るような話だよな。」俺は、研究員の一人、永井に話しかけた。


「知ってます。しっかし、政治家も国民ももう少しいい案がなかったんすかねえ。それにもう少し人員をこの研究所に振ってもいいでしょうに。少なすぎるかと明日の日本をどうとか言ってる割には。」


「愚痴言うなよ。まあ最悪生物が出来なくとも何かしら成果があったら良いってお偉いさんも言ってんだからさあ、プラスに考えろよ。」


「その成果っていうのが漠然としてますよ。だいたい、地球上に原核生物が生まれるまで、地球が誕生してから約35億年かかったと言われているのに、何もないところから、人間に無害で、しかも人間に都合の良いウィルスを生み出すというのは不可能でしょう。」眼鏡を掛けたインテリ風貌の藤川が言ってきた。


「とにかく何も出来ませんでしたじゃ済まされないんだから。まあでも、人間に無害なウィルスを科学的にシミュレートするんだったら、量子コンピューターを使えばいいだろう。この研究所にある量子コンピューターを用いて、生物の進化の解明、自然淘汰の特性を忠実に再現したって話があったろう。それからちょっとヒントを得たんだが、目的となるウィルスを作るために、遺伝子型と表現型の二種類に分けて・・。」


「おい水野!じゃあ仮に科学的にシミュレートすることに成功したとして、実際にウィルスを培養する段階になったとしよう。目的のウィルスになるまでにどれくらいの期間を要すると思ってるんだ!もし、数億年なんてバカみたいな年月になるのなら、ウィルスが出来る前に、日本全国にある資産が使いもんにならなくなるどころか俺たち人類のほうが先に滅びてるかもしれんぞ。」今度は、小太り体形の大村が声を荒げてきた


「高速で培養するなら、タキオン粒子を使えばいいだろう。」


「「「「タキオン粒子?」」」」俺以外の四名が口を揃えて言った。


「そう。」


「SFでよく出てくる?」


「そうですよ磐田所長!」


「・・・あのなあ、そんな粒子を検出することは現実にできないと言われている・・・、もしかして、それも量子コンピューターでシミュレートして、粒子自体を作るとか、検出のヒントを知るとか言うんじゃないだろうな。」


「そんな感じ。」


「ほ、ほう。」皆唖然としていた。それでは、タイムマシンを作るようなものではないかとでも感じているのだろう。というかできるのならそのタキオン粒子を用いた別な方法もあるのではないかとも思ったが、そこはあまり時間がないので、深く突っ込まないでいよう。


「取敢えずやってみなきゃ何とも言えんだろう。なあ永井。」


「でも、水野さん失敗したら笑われるぐらいじゃ済まないでしょうに。」


「マイナスに考えるな。成功するってことだけ考えろ。」

 

 半ば強引であったが、皆渋々納得し、すぐに作業に移ることになった。まず初めに、最新の量子アニーリング型の量子コンピューターを用いて、何をどのように組み合わせ、どれくらいの期間を要すると目的のウィルスとなるのか、シミュレートした。この解を出すのには、二年間要した。一方タキオン粒子についてなのだが、これがかなり苦戦した。これもアニーリング型量子コンピューターを用いて、光速度よりも速い粒子を検出できるのかどうか解を出してみたところ、五年経ってしまったが、なんと検出できる方法を得た。藤川は「マジか・・・。」と言っており、俺自身も出鱈目に言ったことがここまでうまくいくとは正直思わなかった。

 次に、俺たちはその量子コンピューターから得られた情報を基に、必要な培地、生物や細胞などを用いて組み立てた。この研究所では、必要な実験器具や最新の電子機器が他の研究所よりも多くあったので、苦にならなかったというのが幸いであろう。その後、一度組み立てたウィルスを金属類の培地に置き、検出したタキオン粒子を当て、高速で培養し、数か月経ったそのウィルスを磐田からみせてもらったところなのである。以上が話の冒頭にまで至る流れだ。


「じゃあ早速、説明会を開こう。そのあとに試験場となりそうな場所にウィルスを導入しよう。水野、お前農林水産省と国土交通省の大臣、農業法人やインフラ産業、農協、商工会議所、そうだ全業界の代表取締役といったほとんどのお偉いさん方に呼びかけとけよ。あとで、他の三人にも言っておくから。今日はもう遅いからまたな。」と磐田はまくし立て、特殊実験棟から出ていった。

 

 夜が明けた後、俺は農水省の先輩に連絡をし、そこから各省庁の公務員に説明会の旨を伝えてもらった。また、他の四人にも、各業界の知り合いがいるため、何とか多くの人を呼ぶことが出来た。そして、それから一週間後、研究所近くの講堂で説明会を開くことになり、当然政治家や各企業の代表取締役から多くの質問が出た。


「資産に魂を宿らせるのではなく、ウィルスを宿らせるということか。まあ、動くということは分かったが、こういう改良したウィルスが自然界で増殖することは大変危険なことでないのかね。それは、やってはいけないはずだが。当然農作物や生活の場にウィルスが含まれることになると思うんだが、そのことで、人間に害がないとは言えないんじゃないかい。」

 

「その点に関しましては、ご心配なさらずに、このウィルスはバクテリオファージとよく似ておりまして、植物以外の生物に触れて何か作用するということはございません。また、人間の体内に入っても胃酸で死んでしまいますので、害はございません。」物怖じせずに磐田はハキハキと答えた。

 

「もう一つ聞きたいんだが、地形が動くということは、別の地域でも変形してしまうんじゃないかい。例えば別の地域で勝手に隆起すると、それに埋め合わせるかのように別の地域では沈降するとか。」


「現段階で確実なことは述べられませんが、そのことについても問題はないと言えます。スライドでも見せましたようにこのウィルスは、地中内で群体として塊になることと一個一個バラになることとを可逆的に変化することができるのです。したがって、ある地域ではバラになって地形を変えるけれども、別の地域は塊になって地形維持している場合もあります。なので、埋め合わせをするような変化はしないかと考えられます。ですが、田圃一筆一筆がかなり近い棚田のような所でしたら、ある一筆の田圃が変化するともう一筆の田圃が変化するということもあり得るかと。」続いて大村が説明した。


「ほう、ではウィルスが増殖する際、各有形資産が混ざり合う、えーと例えば、橋とかトンネル等のインフラと田畑や果樹園といった農地とが混ざり合うような混沌とした状況になる恐れはないのかね。そもそもバクテリオファージというウィルスには、子孫を増やす過程で、感染した細胞を溶かして子孫を放出する「溶菌」という段階があるそうじゃないか。そうなると、感染したインフラ自体を壊してしまったりする可能性もあるが。」


「確かにバクテリオファージによく似ていますし、生活環もほとんど同じです。こちらも現段階でははっきりと言えませんが・・・。」

 

 長時間の質疑応答の末、ようやく皆が納得してくれた。

 

 試験場としては、人口がかなり少ない県を10県選び、県民に許可を取ったうえで進められた。方法として、既成の基礎杭を地中に施行する杭打機と油圧ハンマーを用い、杭を所定の深さまで貫入する打ち込み杭(打撃)工法を想像してくれるとよい。ただ、従来の杭打機と異なるのは、杭の中に常温保存・輸送が可能な試薬に浸されているウィルスが充填されている点と杭の長さが500mほどあるという点である。この杭の表面は半透膜のような性質を持っており、杭が打ち込まれると、杭からウィルスが染み出て試薬液は中に残る仕掛けになっている。また、有機質土群、造成土群、ポトゾル群、黒ボク土群など地域によっては、土壌・地盤の固さが異なるため、杭の口径を変えながら打ち込んでいく必要があった。

 打ち込んだ後は、具体的な期間は定めていないが、ひとまず一年間様子を見ることにした。各市町村内の地面には、ウィルスに侵されないように、表面に試薬液を塗布した可視・赤外・電子線センサーが複数埋め込まれているため、土壌・インフラの断面の様子をリアルタイムで観察することが可能だ。観察し続けた結果、土地の勾配に関係なく各10県とも中心から半径約60㎞に渡ってウィルスが増殖し、インフラ内にもウィルスが導入されていることが分かったのである。

 加えて、地域によっては、土壌内の含水比、pH、有機物含有量、電気伝導度、陽イオン交換容量、塩基飽和度などの項目が異なるのだが、10県ともほとんど作物に適した値になっていたのである。肥料を施さなくとも、必要な養分をウィルスが作り、溶脱しないように保持しているからである。

 さて、そうなると今度は動くかどうかなのだが、これについては、はっきりとではなくともその様子をしっかりと見ることが出来た。農業機械が入りにくい農地については、低い農地はゆっくりと隆起し、高い農地はゆっくりと沈降する、勾配のある農地が平坦に変わっていく様子を直に見ることが出来たのである。また、ほとんどが半壊していたRC構造のインフラ等は、設立されたばかりかのようにきれいに修復された。たまたま観察を続けていた年に、東日本大震災と同等の大地震が再び起き、ほとんどのそれでもウィルスを導入したインフラは、導入しなかったインフラよりも崩壊することはなく依然として形を保っていた。これら各試験場の結果から、日本全国でウィルスを資産に導入する動きが急激に早くなり、各地で土地やインフラが自分で動き手入れする様子が見られた。

 ちなみに、資産が動くというのだから、もちろん農作物や森林も自分で動くことが出来る。実際、ウィルスが動かしていると言った方が良く、どちらも子ウィルスが宿主から出るときに行う「出芽」と似た形で苗木を子孫として生み出し成長させる。農作物は、葉茎菜類・根菜類は実から少し出した根を足にして、果菜類・果樹は実を付けた苗の根を足にして、農家さんに実を挙げるために作物自身が出向くようだ。農家が実を収穫した後は、初めに根を張っていた場所に勝手に戻っていく。一方、山林については、手入れをする必要がなくなった。間伐や枝切りは木自身がやり、山に生える雑草はある程度成長すると、自ら歩いてテリトリーを離れ、最終的にウィルスに分解されるため、下刈りする必要もないのだ。


 「こうもまあ調子よく進むとは思わなかったなあ。でも、こうなると農業、林業、工業の衰退に繋がっちゃうんじゃあないかい。」

 

 「そうなったら、今度は、ウィルスを管理する人材を増やしたらいいじゃないか。元々人材が少なかったんだから。いやあ、本当にこのウィルスは妖怪というより福の神ってところだなあ。」

 

 「そうだよな。俺たちが育てたウィルスを買いたいって言ってくる国外の奴らもいるからねえ。」


 そんな会話をしながら俺たちは笑った。しかし、しばらくしてある異変が起きた。各地で「南無阿弥陀仏」といったお経や祝詞、啓示的な文章が浮かびあがってきたのである。

 

 「これは、ドローンで上空から田圃を撮影した写真なんですが、代かき機で均してもすぐに文字が現れるんですよ。こちらの山林の写真は、樹木の葉色や形などを変えて、文章を作っているようです。人間の技術でこんなこと出来ますかね。」と現地調査をした際、ICT技術を利用している農業法人の職員からそんな話を聞いたこともあった。

 俺たちはすぐに研究棟の一室で写真や資料を見て原因究明に乗り出した。

 これは、ウィルスが勝手に動いているということか。いや、そんなはずはない。ウィルスを作る段階で、人間の指示にしか動かないように量子コンピュータでシミュレートしたはずだが。でもこのウィルスたちは何でこんなことしてるんだ?

その時、藤川が少し慌ててきた様子で部屋に入ってきた。


 「すみません磐田所長、ウィルスの件で少しお話がしたいというお客様がいらっしゃったのですが。」


 「誰だい?」

 

 「その口では言いにくいのですが、可能であれば研究員の皆さんも来て欲しいとのことでして、今応接室にお連れしたのですが。」

 

 何だか歯切れが悪かったため、そのお客がいる応接室に皆で行ってみることにした。するとそこには、スーツ姿の男性がソファに座っていたが、体全体から神々しい光を放っていた。

 

「た、大変お待たせいたしました。わ、私が所長の磐田です。えっと。」

 

「ああ、そんな畏まらないでください。いきなりで申し訳ありませんが、私はあなた方の言う森羅万象『八百万の神』と同じ存在だと考えていただければよろしいかと。本日は、あなた方の生み出したウィルスについて少しお話を伺いたく存じます。」とその男は言った。

 

「え、えっと神様ですか!?はあそうですか、その何ですかね。し、自然界の法則を破ることをしてしまったので、問題があるから、や、止めてほしいというようなお話でしょうか?」さすがに磐田もしどろもどろである。


「いえ、止めるなんてとんでもない。むしろ御礼を申し上げたいくらいなんです。今まで直接あなた方と意思疎通することが出来なかったのです。しかし、ウィルスのおかげで有形資産が動的になったことで、より顕著に意思疎通することが可能になったのですよ。要は、体の筋肉をいただいたと言えばいいんでしょうか。もし、可能でしたら今度は、気流とか気象とかも動かせるようなウィルスを作っていただきたいのですが。」落ち着いた物腰で話すその姿は、何だか安心感があるような、身も心も浄化されるような気持になった。本物の神様というものがそもそもどんなものなのか知らないが、人間ではないことが容易に分かった。


「は、はあそれは。えっと、すみません、少しお待ちください。すぐに戻りますので。」俺たちは一旦部屋から出た。


「おい、どうするんだ。神様出てきちゃったよ。やっぱり人間が入るような領域じゃなかったんだよ、だからこのプロジェクト進めるの嫌だったんですよ。」


「藤川ァ、今更言ってもなあ。でもあの神様の話を聞いてみると否定的というよりはどちらかというと肯定的なんじゃないかい。」


「だからって、これは『夢のうちに思いぬ』じゃないのかよ。」


「急に変なこと言いだしたな。何それ?」磐田が聞いてきた


「浮世絵師鳥山石燕『百鬼徒然袋』によく出てくるフレーズなんですけど、要は空想で作ったものだって意味です。」


「説明ありがとう永井。でもな、こっちは空想でなくて現実なんだぜ。前にお前から神様が妖怪になったり、妖怪と神とを同一にする話を聞いたことがあったけど、妖怪から神様に昇格したなんて事例も面白いもんじゃないか。気楽に考えろよ。」


「水野、お前はほんとにお気楽だな。」ため息交じりに大村が応えた。

 

 半ばふざけたことを言いながら俺は、ふと七福神の回文『永き世の遠の眠りのみな目覚め波乗り船の音のよきかな』について思い出した。この回文には、解釈が三つあるのだが、そのうちの一つに「調子よく進む船が海を蹴立てゆく波の音は、夜が永遠に続いてしまうのではと思うほど心地よいので、思わず眠りもさめてしまう」という解釈がある。調子よくとんとん拍子に事が進み、このまま永遠に続いていくと思ったら、神様が思わず姿を現してしまった。


 何となく今の状況と似ていると感じたのだ。


 このまま人口減少が進み、人類が地球上からいなくなると、動的な資産や神様だけしかいなくなる。そうなると、どのような世界が出来ていくのだろうか。ひょっとすると、旧約聖書のように神がアダムとイヴ生み出す、人類の祖を生み出す、そのような時期が再び来て新人類の世界が作られることもありうるのではないかと。いや、それも想像の世界なのかもしれないが。

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人工妖怪 枝林 志忠(えだばやし しただ) @Thimimoryo

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